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みやざきの魚と果物

2021-12-31
移住当初からご縁ある親友
市場の魚に目利きで果物屋も展開
思えば9年間の長きお付き合い

宮崎の食の名産として全国的に有名になったのは「宮崎牛」、さらに畜産農家の奮闘で豚肉も鶏肉もどれも良質な逸品が揃っている。居酒屋メニューならば「地鶏炭火焼」、都市部のお店でも「宮崎料理」と掲げる店には必ずあるメニューだ。もちろんこうした肉類もスーパーでかなり安価で良質なものが手に入るという恩恵にあずかっている。だが「宮崎の食」で忘れてはならないのは、海の幸であると常々思って来た。8月にオンライン開催された「吉田類トークショー」でも発言したが、「太刀魚・しび・カツオ」などをはじめとして「伊勢海老」(もちろん、こちらはそれ相応の値段であるのだが)に関しては本場以上に「王国」と言ってもよい素材が揃っている。東京在住時はなかなかスーパーなどで刺身や魚を購入する気にはなれなかったが、やはりスーパーで安価に良質な刺身などが購入できるのはありがたい。さらに言えば、野菜はどんな物でも安価で新鮮。畜産業・漁業・農業に携わる方々には、誠に感謝に堪えない土地である。こうして文を綴りながら、ふとあるみかん農家を営む人のお顔も思い出した。

なぜ海の幸を見出し高く評価しているかというと、宮崎移住当初からご縁のあった親友の存在があるからだ。彼は市場でも目利きの海産物商であり、時節折々の美味しい逸品をよく知っている。当然ながら海産物を名物とする料理店とのつながりも強く、同行させてもらうとその時の旬の魚を味わうことができる。彼は「美味しいいものを食べないのは、人生の半分を損したようなものだ」と常々口にしており、自身が最強のグルメである。さらに言えば、ここ4〜5年で「マンゴー専門店」を開き、やはり時節の良質な果物の販売も行っている。友人・知人に果物の贈答をする際にお願いすると、必ずや期待に応えてくれる贈答品を揃えてくれる。しかも既製品のような物ではなく、実に手作り感がいっぱいの品となる。あらためてこの9年間を振り返り、この親友とのご縁が僕自身を大きく支えて来てくれたのだと実感している。

みやざきに生きるとは?
この澄んだ青空のように大きな心
ありがたき食文化・ありがたきご縁。


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人の目とことばの働き

2021-12-30
「人の目というものは、おもしろいものだな。
 近くは鼻のあたまでも爪の先でも見えるし、
 遠くは水平線も、いや、月や星までも見える。
 ・・・・・・・・」(『セフティ・マッチ氏の炉弁談話』より Byほぼ日手帳2022)

いつの間にか来年が視野に入ってきた。新刊著書に記したことだが日本の場合、クリスマス・イブの盛り上がりから一気に年末年始へのレールが敷かれる。今年は特にイブが金曜日でその週で冬季休業には入れたこともあり、個人的に「リフレッシュ休暇」を取得したこともあってその感覚が増幅した。思うことは今年を振り返って良かったこと・幸せを感じられたこと・交流して笑顔になれる人々のことなどを思い出して寝入るようにしている。その出来事や人々のありがたさが、さらに来年への大きな希望を灯してくれるからだ。論文執筆・「国文祭・芸文祭みやざき2020」への参加・オンライン学会の主催・編集委員としての仕事・そして著書出版等々、あらゆる分野でお世話になった人々のお顔が浮かぶ。充実感はまた心身の充実ももたらすのであろう。先週の人間ドッグの結果も、数年前よりも大きく改善された点が多かった。今年見た風景をあらためて胸に刻みこみながら、こうしてことばで反芻をする日々である。

冒頭の引用は、新年の手帳を購入し送られて来た箱に記されたことば。僕ら「人の目」というもの不思議を説いている。引用部分は「具体的に見える景色」が記されるが、この後があって次のように続く、「みにくいものも、きれいなものも。ときには、かくしごとまでも、おんなじ目玉で、みんな見えてしまうのだ。」とある。と考えると誠に僕らの「目玉」は高性能だ。だが考えてみれば、「鼻のあたま」は目から近いのによくは見えず、「爪の先」まで注視することは稀だ。「水平線」も意志を持たないと見る機会は稀だし、「月や星」もその状態や見え方まで意識するかしないかは人によって大差がある。誰もが見えているが「どのように見ようとするか」によって「見えるもの」は大きく違う。さらに「みにくいもの・きれいなもの・かくしごと」の場合は、見えた光景のみならずそこに「ことば」がないと意識できないことである。こう考えると、人は「ことば」によって喜怒哀楽が生じていることがわかる。「ことば」をもってして意識が働くために「近くも遠くも」見える訳である。さらに目は耳ともそして鼻や口や肌とも連携する。寝入るときには「きれいなもの」のことばを意識するが、日常では「みにくいもの・かくしごと」も自ずと見えて来てしまう。しかし、それは避けて通れないのならば、「ことば」で見方を変え、「ことば」で「きれいなもの」に転じるように他者にも伝えなければならない。「待つこと」という「ことば」を著書で提示した身として、あらためて「目」と「ことば」を考えている。

目で見て心に映し自分だけの「ことば」にするのが短歌
「きれいなもの」だけを描けず、「哀しみ」も「寂しさ」も描いた近現代短歌
社会の変革でむしろ大切な「目」を失っている現代。


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かけがえのないパソコンに愛を込めて

2021-12-29
今朝、スイッチを押しても起動せず
宮崎での9年近くを支えてくれたパソコン
小欄をはじめ研究学会や宮大短歌会歌会オンラインなども

先ほど、小欄を書こうとして書斎のパソコンスイッチを押すと、ウンともスンとも言わない。電源コードを一旦外して、再びスイッチを押すなど試みたが起動せず。過去に一度作業中に急にブラックアウト画面になってしまったという衝撃の経験があるが、今回は予告なく次第に衰弱した果ての結果かと比較的冷静に受け止めている。それもデータの多くはクラウド保存してあり、失われたものはほとんど無い。今もこうして小欄を書き記しているのは携帯用タブレットを使用してのことで、研究室のパソコンを含めてバックアップ後継機を複数台持っているのも心強い。その多くがWeb上のクラウドで繋がっているため、小欄の原稿を含めて確保されているのだ。過去のブラックアウトの際は大学院生時代で、もちろん外部媒体にデータは保存していたが経済的に苦しく両親の支援によって新規購入したのが思い出される。あらためて僕が研究へ踏み出す一歩を、心から支えてくれた両親にも感謝をしたい。

思い返せば今朝眠ってしまったデスクトップパソコンは、宮崎に就任した際に購入したものだ。当初はテレビ機能として使用したり、生活そのものを支えて来てくれた。毎日はこのパソコンと向き合うことから始まる。研究論文の多くは研究室のパソコンで執筆したが、自宅にこだわって作成した短歌関係の文章はやはりこのパソコンにお世話になった。何よりここ1年半ほどは、オンライン学会や会議が全盛となり、休日の学会や夜間に行われる編集会議などは自宅で参加したいゆえ、同時双方向会議システムの動作でかなり負荷をかけたように思う。昨年秋の「中古文学会」パネリストとしての登壇は大きな業績となるとともに思い出の学会経験となった。また宮崎大学短歌会歌会でもほぼ毎月2回ほどはこのパソコンによってオンライン参加してきた。学生たちがコロナ禍でも短歌を詠み続けることには、僕自身も励まされてきたものだ。既に僕自身の目であり耳であり手であるパソコンの思い出は尽きない。などと小欄を記しつつ、Web記事で「電源が入らない場合」の記事を見たりして未練がましくパソコンの蘇生を試みた。すると!なんと!昨日の掃除で画面裏側の電源コードが少し外れているのに気づいた。差し込み直すと、どうやらまだ老衰ではなくパソコンは目覚めた。僕の早とちりであったが、僕の一部であるような大切なパソコンの貴重さを実感できる朝になった。あらためて可能な限り大切に使用したいと思う。

さらなる入念なバックアップの充実を
パソコンは大切な相棒である
いずれにしても、過去の両親への感謝を思い出させてくれたのかもしれない。


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推敲からが作ることー三十一文字の清らかな川

2021-12-28
スラスラと出てくるわけでなく
素材を骨組みして言葉にすること
推敲してこそ自分がわかってくる

昨日も自らの文章が載せられたある学術雑誌が自宅に届いた。早速に開封して自分の文章を読み返してみる。既に手遅れとは思いつつ、どこかで間違いはないだろうか?という思いが脳裏では起動している。編集後記など他者の文章内容に間違いを見出すこともあり、「気づいてしまった!」という思いにさせられる。ある意味で「文」は「生きている」のであり、書き手であってもあらためて接すれば変えたくなったりするものだ。著名な作家の小説でも、推敲がくり返されてようやく「名作」の境地に至った訳である。高校のすべての教科書に載っている芥川龍之介『羅生門』の末尾などは、芥川が最後まで悩んで推敲に推敲を重ねたというのは有名な話だ。作家とて、スラスラと小説が書けている訳ではないのだ。授業研究などで小学校を訪れ、文章を書く活動を参観していると「最初からキチッとしたものを書こう」と思っている几帳面な児童ほど文章を綴るのが苦手のように思うことが多い。中高教員の時の経験でも、日常では大雑把でいい加減に思っている生徒があっさり文章を書き上げることも少なくなかった。真に良いものを書こうとしたら、「書き上げたところから」の推敲をくり返すことでようやく文章ができてくるものだ。

嬉しいことに、母が短歌を作ろうとしている。常々「なかなか出てこない」と口にするが、誰しも著名な歌人とて「出てくる」ものではない。日常生活で「心が揺れた」ことを、忘れぬようにまず「言葉にしてみる」というのが第一であろう。「心の揺れ」とは、喜ばしいこと、怒りたいこと、哀しいこと、楽しいこと、なんでもよい。とりあえずは「七音」のみの好ましく思ったフレーズ「故郷の友と」などを書き留める。初句(五音)から順序立てて考えるのではなく、「五音」「七音」のことばを探すという感覚がよい。その素材を「三十一文字の形式(姿・さま)」に流し込むのだが、ここでも「とりあえず組み上げる」感じでよい。その後、上と下を反対にしたり、意味が重なるものはないか?(一つあればわかるものが無駄に二つある場合)書かなくとも「私」とわかるのが短歌であるゆえに、次第にことばを自己添削していく。先日の出版記念トークで伊藤一彦さんが言っていたが、推敲してこそ「自分がわかってくる」のだと云う。それはことばの骨組みになった「自分」を自らが見つめられるからだろう。「こんな自分ではない」とか「意外に安泰なのでは」など、「三十一文字の自分」が見つめられるという訳である。

心の中に濁りを溜め込んでいてはいけない
流れない水は腐ってしまうのである
清らかな水であるためには言葉を「三十一文字」の川に流すのである。


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『牧水研究第25号』発刊ー牧水研究会総会

2021-12-27
貴重な歌人専門の研究誌として
25冊目となる今号は「牧水短歌の愛誦性」
新たなる若い書き手・会員を求めつつ

『牧水研究第25号』が12月22日付で発行となった。僕が入会し執筆を始めたのが第20号、それ以来毎号必ず執筆しているので評論も6本目となった。年2回発行していた時期もあったようだが、年1回の発行となり昨年来は僕も「編集人」に名を連ねることになった。「牧水短歌の愛誦性」という特集で「私の牧水愛誦歌」のコーナーを設けることによって、多くの会員の方々の原稿が集められると思っていたが、実際には依頼を含めてなかなか難しい面があった。「購読をして学びたい」と思っていることと、自ら執筆するという間にやや大きな壁があることが理解できた。また昨年来のコロナ禍で、講演やシンポジウムができていないことも大きいように思う。会員の交流の場が紙上のみとなり、牧水歌について語り合う場がないことは寂しい。今後は執筆の動機付けとなるような会合の設定が、あらためて求められている。

今号の新たな試みとしては、僕の研究室の卒業論文を基にした投稿を掲載したことだ。「牧水短歌の社会性」と題した論文は、「短歌」そのものが社会の中でどのように受け入れられていくかを考える上で多くの切り口を提示する秀作である。若い世代が「短歌」そのものをどのように分析・批評していくかを交流する意味でも、大きな意義ある掲載となった。この若手の参加を機として、当人と交流がある仲間が購読したいという希望が生まれた。さらに次号には自分たちも、関連した卒論や修論を掲載してみようかという志が産まれた。今号掲載の当該論文そのものが語るように、「共感性」「対話性」の要素があるからこそ「短歌」は世代を超えて重ねられていく。そして「日記性」とされたように記録として遺る意味も大きい。「文学」としての「短歌」は決して手の届かないものではなく、個々の人々の「共感・・対話・記録」として身近に機能するかけがえのない文藝である。以上のような意味で今号への投稿をしてくれた卒業生には、心より感謝をしたいと思う。今後も大学が持つ地域貢献チャンネルも活用して、「公開講座」などでの研究・広報活動の展開も考えていきたい。また「まちなか書店」での公開合評会や語り合う会など、広く社会へ向けて発信する研究会となるべく、僕なりのアプローチを多く提案・企画していきたいと思う。

今年を振り返ることの多い日々
新たな未来へ向けてさらなる希望を見つけ出す
「牧水先生!ありがとう!牧水先生!ありがとう!」


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伊藤一彦×中村佳文「クリスマスをうたふ 宮崎に生きる」その2

2021-12-26
「致死量の日向の空の青にまだ殺されずわれ生きてゐるなり」
(伊藤一彦『待ち時間』より)
死んでしまいそうに愛してる

1週間の時を経て、標記の出版記念トーク第2弾が開催された。場所を宮崎市中心部、駅の正面からデパート街に伸びる高千穂通りにあるカリーノ内TSUTAYAさんの特設会場である。クリスマス当日という条件ながら、定員20名以上の方々にお出でいただき盛況なトークとなった。対象当該本を著して初めてのクリスマス、24日25日をあらためて現実に過ごしてみての実感は「感謝の日」であるということだ。出版の契機を作ってくれた方々、出版そのものに関係してくれた方々、出版後に温かく厳しく評価してくれる方々、そしてこうした機会に来場いただく方々、感謝の思いを込めてトークを開始した。「分裂家族」「ゆがめる国」やがて「クリぼっち」、2000年代となってからのこの国の社会・教育・家族などの問題に日々僕たちは直面している。むしろ高度経済成長期は、「家族で過ごす」ことがクリスマスに関しては大切にされていた面もある。残業で遅くなる一家の大黒柱を「待つ」ことのできた時代。「待つこと」を肯定的に捉えていた俵万智『サラダ記念日』の大きなモチーフの一つであったとする佐佐木幸綱の評も紹介した。(埼玉所沢角川武蔵野ミュージアムで開催の『俵万智展』に展示がある)伊藤一彦さんからは「俵待つ」と呼んでもいいのでは、というユーモアも含めて前半のトークが展開した。

後半は伊藤一彦さんの『自選歌集ー宮崎に生きる』を中心とするトークへ。1週間前のトーク後に学生が好きだと言った短歌が、紹介されて行った。そのうちの一首が冒頭に記したもの、この「日向(宮崎)」の空の青さをを「致死量の」と形容した迫力のある歌だ。僕自身も幾度となく宮崎の空の青さには驚かされているが、「致死量」ゆえに「殺されずわれ生きてゐるなり」という語りには圧倒される。物事の素晴らしさを言う際に肯定的に述べるばかりでは、迫力や真意は伝わらないのであろう。「LOVE(愛)」とは「あなたのために私は死ねます」と訳したのは明治時代の二葉亭四迷であったが、そんな文学的な奥行きを感じる歌である。その後、40年ぶりの卒業生も会場にいらしていたことなどから、伊藤さんが高校教員として長年取り組んできたことの話題へ。カウンセラーとして多くの高校生の悩みを聞いてきた経験の厚みを知ることができた。あくまで学校では「生徒に教わる」ことが全てだと伊藤さん、僕自身の教員経験でも同感である。ゆえに「聴く」ことが大切、この「聴」の字には「心」が付いており、「受け入れる」「治める」「待つ」という意味もある。何より大切なのは人の声を「心で聴く」ことである。短歌は「人の心が種」なのだとすれば、その奥行に響く心を「聴く」ことが「よむ」ということになるのだろう。『伊藤一彦が聞く』(青磁社)という書籍もあり、牧水賞歌人の心の奥に伊藤さんが分け入った渾身の書でもある。

トークショーを終えた街はクリスマス
妻の実家へ向かい義母と馴染みのお店で「カレー鍋」とともに店主と楽しいトーク
あらゆることへ感謝の思いを込めたクリスマスとなった。


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クリスマス・イブに感謝を!

2021-12-25
今年に叶えられたことへの感謝
支えていただいた多くの人々の顔を思い浮かべ
妻が「出版記念」とメッセージ入りのケーキをサプライズ

「クリスマスをどう過ごすか?」幼少の頃からの永遠の疑問といってよいだろう。幼稚園の頃にこの時節になると毎年、紙芝居『マッチ売りの少女』を園長が熱演してくれた。厳しい生活に苦しむ少女が「マッチ」を街で売り歩くが思うようには売れず、寒い夜にやむを得ず売り物のマッチを擦ると祖母などの姿が浮かび、夢と希望の世界に誘われるという話だ。そのマッチを擦る場面で紙芝居上でありながら本物のマッチを園長が擦る熱演には、園児として驚嘆の声を上げたことを記憶している。小さな灯火でも大きな希望となり、それを支えてくれているのは祖母など自分の 存在がこの世にある上で欠かせない親族であること。園長は講話をしたわけではないが、そんな家族の大切さや生きることの尊さを幼児ながら感得できたのであろう。時代は1960年代から70年代に入るころ、毎年のようにクリスマスは家族で過ごし新築の自宅が叶い今思っても両親に感謝に堪えない日々であった。新刊著書にも記したが高度経済成長と家族のクリスマスというのはある意味で、この国が豊かに戦後復興し均衡の取れた真っ当な社会を築いていた貴重な時代だったのかもしれない。

「1980年代の恋人たちのクリスマス」に学生時代を過ごせたのは幸か不幸か?新刊のご感想も各方面からいただいているが、「(我々は)よい時代を生きてきました」というメッセージには共鳴するものがあった。しかし「バブル崩壊」に象徴されるように勘違いをしてしまったこの社会の方向性は、今もなお修正されることなく歪んだまま「真っ当な心」をサンタは届けてくれることは無い。だが不平不満ばかりを言っていては何も始まらない、ゆえに僕らは小さなマッチのような灯火でも希望の灯を点すべきなのだ。ある意味で今回の新刊著書は、僕自身が生きてきた時代とそれに連なる明治以降のこの社会の矛盾や利点を炙り出したとも言えるのかもしれない。ゆえに今一度、クリスマスは身近な人に感謝する日という思いを再興させるべきではないだろうか。今年一年に交流し得た人々への感謝のマッチを一本づつ擦りながら、明日への希望をつなぐ。妻のサプライズな演出は、そんな大切なことを僕に教えてくれた。この人がいたからこそこの著書が書けた、その感謝のクリスマス・イブにさらなる新たな人生の希望が見える。

父母へ祖父祖母への思いとともに
今を生きる「我」を見つめる灯火
この社会のクリスマスをより豊かにするためにも。


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健診は親への感謝を新たにする日

2021-12-24
1年1度の人間ドッグ
多くの項目が改善されて好ましい傾向
1日10000歩が築いた脚の筋肉量

誕生日前後1ヶ月に、人間ドッグを受診するようにしている。「誕生日」をただケーキを食べて終わらせるのではなく、この健康な身体をいただいた親に感謝する日にしたいがためだ。今年は予約が出遅れ、なかなか「前後1ヶ月」に受診日が取れなかった。しかしこの「クリスマス・イブ・イブ」に偶然に1席空いているというので、午後からは講義であるが一つ返事で予約した。健診そのものには大変慣れて来て、抵抗を覚える検査はほとんどない。一番精神的に負担なのは「胃内視鏡」であるが、それも細いファイバーカメラの進歩により「経鼻」によってほとんど苦痛もなく終えることができる。「バリウム」を呑んでX線台の上で二転三転するよりも、排出までを考えるとかなり楽である。人によっては「経鼻」を忌避するようであるが、先入観を配して選択したら良いと思う。かくしてあっという間に、全ての検診項目を終えたが、鼻に軽い麻酔がかかっている間は飲食ができないということで、近所の書店に自著が置いてあるかどうか?など散策をしていた。

診断コースにセットされた昼食と珈琲を美味しくいただき、その後は医師の説明。まずは「年齢にしては大変に優秀」であると太鼓判を押された。数年前はやや肝臓の数値や悪玉コレステロール値が高く出ていたが、今年はほとんど問題なく「A」判定になった。ここ数年は医師の丁寧な説明付きのコースでなかったゆえ、その高めの数値の意味がわからなかったが、どうやら「脂肪肝」になりそうな傾向が出ていたらしい。しかし、野菜中心の食事・飲酒量の減少・毎日10000歩目標の徒歩の三要素で改善したのだろうという見解をいただいた。(事前問診アンケートの項目などによる医師の判断である)オプションでつけた腫瘍関係の数値も問題ないようで、腹部超音波や胸部X線の画像をPC画面で見せていただきながらの説明に大変に納得がいった。その後は健康指導士さんの面談があり、心体組成の数値で「脚の筋肉量98%」というのを大変に褒められた。通常は「90%」が目標でなかなか到達している人は少ないと云う。「アスリートで110%程度」ということなので、凡人として年齢の上でもなかなかの数値である。歩くことと筋トレを欠かさないこと。脚の筋肉が僕自身の脳を支えているがゆえに、自著も完成出版できたということか。思い返せば原稿を書いていた春先に、筆が進まなくなるとよく日中の公園へ歩きに行ったものだ。「ことば」と「歩く」ことは連動している。牧水が旅を好んだのも、こんな意味合いがあるのかもしれない。

あらためて健康な身体をいただいた親に感謝
自著が生み出せたのも親のお陰である
そして食事も生活も支えてくれている妻のありがたさが身に沁みた。


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贈り物の向こう側

2021-12-23
著書が届いた若山牧水の曾孫さんから
お世話になった方々の喜ぶ声と笑顔を想像し
クリスマスから年末年始は「感謝」で過ごそう

新刊著書は「2021年12月24日初版発行」となっている。市中に出回る前に献本をした方々には、いち早くお贈りしてほぼ2週間が経過する。この人はどんな顔をして、どんな感想を持って読まれているだろう?そんな想像をくり返す日々である。昨日は若山牧水の曾孫さんにあたる方から、ご丁寧なお手紙をいただいた。お孫さんにあたるお母さまとそれぞれに、新刊を手にとっていただいている。「幅広く短歌に繋がる魅力」があるのは「日々学生さんと接する視点」があるという旨のお手紙の一節には、大変にありがたくもあたたかい心でお読みいただいたことがわかり大変に嬉しい気持ちになった。著書には牧水についてもだいぶ書いたが、その血を受け継ぐ方々と交流できていることは書き手として誠に光栄なことである。今後も牧水が明治生まれの近代歌人としての大きな存在価値について、評論や評釈などの仕事を重ねていこうと考えている。この出逢いに心から感謝しつつ、その手紙を何度もくり返し読んだ。

夕食後に東京の親友から電話が来た。上京の度にお世話になっているため、宮崎の味として焼酎と旬の果物を贈ったものが届いたという連絡だ。19歳の頃から一貫して変わらぬ親友との付き合い、電話の声の向こう側の笑顔の表情がよく想像できた。宮崎に遊びに来ると言いつつ、コロナ禍になってしまった。僕自身がなかなか上京できない状況が続き、親友と逢えることそのものが大変に貴重なことであることをお互いに悟った感じがある。「親友」の「親」が40年に近い付き合いの中で真の意味がわかって来たような感覚だ。宮崎の親友の店で果物を手作り感あるように詰め込んでもらい、また社長も杜氏さんとも親しい酒蔵の焼酎を贈った。人の付き合いから人の付き合いが笑顔で連鎖していくような思いで、クリスマスに感謝の思いが届けられる。人生は人との出逢いそのものであるように強く実感する。贈り物で喜んでくれる笑顔を思い、幸せを噛み締めるのがクリスマスであるのかもしれない。

贈り物の果物が「どれもハイレベル!」と喜びの声も
親友の落語家は、新刊を諸々の場所で紹介してくれると云う
2021年のありがとうの思いをここに。


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宮崎大学短歌会年忘れ歌会ー題詠「金」

2021-12-22
やっと対面でできる幸せ
今年の漢字となった「金」
「お金」「金曜」「金平糖」など・・・

新型コロナ感染状況は、次なる変異「オミクロン」が欧米で拡大するのを横目に恐れつつやや落ち着いている国内である。大学の行動規制も緩和されており、サークル活動も通常にできるようになった。宮崎大学短歌会では約1年半はオンライン歌会を続けていたが、前回から対面を再開した。放送大学の講義前日で日向へ移動したため前回は欠席したが、かなり久方ぶりに学生らと顔を突き合わせて歌会ができた。オンラインでも歌会なら十分であると思っていたが、いざ対面を再開するとやはりリアルでこそ伝わる・わかる部分が大きいことを悟る。評をする個々の表情や声の質、どんな間を持って語るか、わからないことがあれば「横ヤリ」を入れることも対面ならタイミングが計れる。オンラインは時と場合によって今後も活用するとして、やはり学生短歌会の歌会は対面ですべきと強く思った。

今年の漢字となった「金」が題詠、出詠11首、参加者10名。「料金」「金柑」「金ピカ」「お金」「金麦」「金属」「金平糖」「金曜(日)」「金運」「金継ぎ」などの歌が並んだ。社会で「金」の価値観が多様化する中で、この文字とどう向き合うかは重要な課題であるようにも思う。クーポン券などが随時話題になるものだが、宿泊などの場合にその料金額を超えた券が支給されている現状には個人的にあれこれ考えさせられている。宿泊施設への支援という意味合いは十分に理解しながら、やがてそのクーポン額分は税金として僕らへの負担として跳ね返って来ないのか?特に若い学生らや子どもたちの世代の大きな荷とならないかが心配である。奇しくも「金柑」や「金平糖」と食べ物を詠んだ歌が高点を獲得した。また「金曜日」への思いがよく滲み出た歌も好評であった。「お金」でない「金」はどこにあるだろう?という学生たちの思索が、このような歌になったのだろう。スマホ利用のQR決済などの歌があるかと思いきや、なかったのも一興。相矛盾する作用を上手く一首に込めた歌が、高点である納得感のある歌会であった。

対面を続けて新人も増やそう!
歌は肉声、ゆえに生で語りたい!
新年も感染が拡大しませぬように!


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