「さよならは永遠の旅」放送大学集中講義(2)
2021-11-29
「永遠を待つ」とはどういうことか?「宮崎に生きる」伊藤一彦の歌から
そして牧水の問い牧水の孤独へ
放送大学日向学習センターでの集中講義2日目。朝から宿の窓を開けると、牧水の故郷である坪谷方面の山並みが見渡せた。日向晴れともいえる晴れ渡る空の青は、冬の空気を帯びている。快晴率日本一の宮崎を存分に身に受けながら、この日も集中講義の教室に入る。「けふもまた」受講生の方々との「一日一生」が始まる。僕らは「一日」こそが「一生」だという重みで生きているだろうか?「黄昏時」が「哀しい」と思うのは、やまとうたの文化が「季節」と「一生」を重ねて表現してきた伝統によるもの。「今日一日」を「一生」だと思って、悔いなく人と出会い短歌をよみ、短歌を語り合う。この時間の重みを受け止めることが大切である。午前中は大正・昭和期のクリスマスが詠まれた短歌を追いながら、2020年前後となった「今」を考える時間。一通りの概説を終えた後に、受講者から歩んでいる人生と重ねてどう思うか感想等を聞いた。20代から70代まで受講者の年代も幅広いが、それだけに世代間交流のような貴重な時間となった。こうして世代を超えて短歌をよみながら語る機会が、日常から必要である。
午後になって「短歌県みやざきに詠う」と題して、「みやざき」を一番歌に詠んできた伊藤一彦先生の歌について考えた。第十二歌集となる『待ち時間』には、「永遠を待つ」という壮大な問いが示されている。「歩み」の速度は決して早いだけがよいという訳ではなく、じっくり熟成させる「歩み」こそが豊かなのだと教えてくれる。「東京」では「人追ひて歩く」ようだとして「たましひ(魂)」までもが「跳ぶ」のだと鋭く批判する。「みやざき」のゆったり流れる時間でこそ、人生は熟成していくのだと悟ることができる。「待ち時間」は長いのがよいというのである。航空機・新幹線・スマホ・パソコン何もかにもみんな「速い」ということばかりを目指している。リニア新幹線などを想像すればわかるが、時速500Kmで走る乗り物が人間は必要としているのだろうか?近現代の過当競争は、いつしか人間が人間らしい感性で生きることを忘れさせてしまっている。そこで僕たちは牧水に学ぶ。明治・大正期の近代化の波の中で牧水の自然との親和性ある眼差しは多くのことを僕らに警告する。「かなしみども」に追われるのが人生、しかし「何故に旅に」という自問自答をくり返し「けふもまた」歩みゆく。牧水は今もなお「永遠」に向かって旅を続けている。
桑田佳祐『JOURNEY』
「出会い」と「別れ」をくり返す人生
されど「今日も旅行く」
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