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家電品を購入する当事者として

2021-11-03
誰から何処から「買う」のだろう?
大企業ブランド名のつく商品を量販店?
顔の見える「街の電気屋さん」という「人」から・・・

些細なことに苛立つ社会である。先日来、自宅の洗濯機が不調で一度訪問修理を受けたのだが、また同様の不具合動作をし始めてしまった。東京で購入した商品のため、購入店での長期保証を紐付けに紐付けをくり返しようやく確認し、先方からメーカーサービスステーションに依頼が入り、さらに地元営業所に連絡され日時選択の電話が入りようやく訪問修理に至った。不具合があることそのものよりも、この何重もの依頼担当責任構造にすっかり辟易してしまった。そこへ来てあらためて訪問修理の際にもらった確認書のメーカーサービスステーションに再び依頼をすると、東京で購入した家電量販店に依頼せよと言われた。一般的には普通の些細なことなのかもしれないが、依頼の過程が複雑でようやく保証を掘り返した経験が特異に僕の中で大きなストレスになっており、電話を切った後に叫び出したい心境になった。まるで新型コロナでたらい回しにされる患者のように、家電量販店とメーカーという大企業の関係が一地方の一家庭に対して、あまりにも親身でない対応にすっかり呆れてしまった。正直なところ、この家電メーカーそのものの信頼、故障の多さ(先日は同メーカーの便座も不具合)そのものが日本の凋落ではないか?など拡大解釈してしまうほどだ。僕が幼少の頃の実家でも、社名は違ったがこのメーカーを愛用しており、家電にこんな不具合が生じた記憶はほとんどない。

宮崎に移住して以来、「街の電気屋さん」と呼べる親しいお店での購入を続けている。もちろん量販店より値段は高いが、不具合があればすぐに駆けつけてくれる。その選択をするにあたり思うのは、僕の両親が経営していた会社のことだ。量販店やネット販売が活況を呈するようになって、顧客に値段を比較され「お宅は高い」と言われたことが多々あったと聞かされた。内装を中心に建築工事全般を請け負っていた小さな会社であったが、街に住むおばあちゃんが「ドアの不具合がある」と電話が来ると、父がすぐに訪問するような会社であった。東京であっても、下町の人情に長けた商売を続けて来た両親を大変に誇りに思う。TVのCMが喧しい量販店の巨大組織競争力や大企業の「メーカー名」だから買うのではなく、「信頼できる人」から買うというのが一地方の一家庭の幸福につながるはずだ。今回の事例に遭遇して、あらためて「人」ということを実感した。今回の選挙の諸々の争点も、気候変動問題もそうであるが、まさに僕らは当事者であるという意識に欠けてしまう。それは顔のない大企業や量販店から、安価だからという理由のみで購入する生活のあり方にも問題があるように思う。昨日の小欄に記した投票率の問題を、ゼミで少々意見を聞いたが、やはり学生たちは当事者意識が欠けることが大きな問題だと自覚しているようではある。

社会構造の中でいかに生きるか?
何事にも当事者意識を持つべき
欧州で気候変動を訴える若者たちを見習いたい。


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