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休音も響きのうちに

2021-11-30
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」(芭蕉)
祭りのあとの寂しさと余韻と
2日間90分×8コマの体力を思いながら

短歌がなぜ「律動」よろしく調子よく読めるかといえば、「五・七」の文字の微妙な変化による組み合わせとともに「休音」が作用していることを主旨とする評論を最近書いた。黙読よりも聲に出して読んだ方が好ましいのは、一首の中にある「休音」までも作品として「音」として聴き取るために有効であるという訳である。「音が無い」ことを感得するためには、「音がある」状況が必要である。「古池やかはづ飛び込む水の音」(芭蕉)の句こそが、この真理を我々に容易に伝えてくれる。限りないあたりの静寂さは「かはづ飛び込む水の音」によって悟られるのだ。音のみならず「静」と「動」との関係は、日常生活の中にも多くの事例がある。我々は「動」のみを問題にしてしまうことが多いのだが、見えない「静」を掬い取るのが短歌であり詩である。言うなれば、「休」や「無」に目が向けられる心の滞空時間が求められるように思う。

土日で「(90分×4コマ)×2日間」、喋る聲や喉はほぼダメージを受けることはない。座って講義をするのは本望でなくほぼ一日中立っていることで、後になっていささかのダメージを感じない訳ではない。それでも受講者の熱心さや講座内容を讃えてくれる心を支えにして、2日間は熱く語る流れは十分に持続する。問題は冒頭に記した芭蕉の俳句ではないが、終了後に寄せ来る疲労である。「祭り」というのは「非日常」なのであるとよく定義されるが、「日常」の時間に戻った際に「むなしさ」「せつなさ」が込み上げるのだ。だが前項に記したように「静」に当たる「休音」までもが短歌の一部であるとするなら、この「祭りのあと」までをその身に引き受けなければならないのだろう。受講者の感想、小欄への反響など、2日間の「響き」の「休音」となっている部分を受け止める。その聞こえない「音」を聴くことは、「日常への回帰」でもある。とはいえ「休音」を聴くのにも体力がいる。この日は、午後になって急速に疲れを実感してしまった。身体そのものは朝から「動」を続けていたからだろう。人間としての「静」である睡眠を十分にとる必要がありそうだ。

午後9時に就寝
自らの「眠る」という旅の中へ
「またひとつ夜が明けて」けふも旅行く


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「さよならは永遠の旅」放送大学集中講義(2)

2021-11-29
「永遠を待つ」とはどういうことか?
「宮崎に生きる」伊藤一彦の歌から
そして牧水の問い牧水の孤独へ

放送大学日向学習センターでの集中講義2日目。朝から宿の窓を開けると、牧水の故郷である坪谷方面の山並みが見渡せた。日向晴れともいえる晴れ渡る空の青は、冬の空気を帯びている。快晴率日本一の宮崎を存分に身に受けながら、この日も集中講義の教室に入る。「けふもまた」受講生の方々との「一日一生」が始まる。僕らは「一日」こそが「一生」だという重みで生きているだろうか?「黄昏時」が「哀しい」と思うのは、やまとうたの文化が「季節」と「一生」を重ねて表現してきた伝統によるもの。「今日一日」を「一生」だと思って、悔いなく人と出会い短歌をよみ、短歌を語り合う。この時間の重みを受け止めることが大切である。午前中は大正・昭和期のクリスマスが詠まれた短歌を追いながら、2020年前後となった「今」を考える時間。一通りの概説を終えた後に、受講者から歩んでいる人生と重ねてどう思うか感想等を聞いた。20代から70代まで受講者の年代も幅広いが、それだけに世代間交流のような貴重な時間となった。こうして世代を超えて短歌をよみながら語る機会が、日常から必要である。

午後になって「短歌県みやざきに詠う」と題して、「みやざき」を一番歌に詠んできた伊藤一彦先生の歌について考えた。第十二歌集となる『待ち時間』には、「永遠を待つ」という壮大な問いが示されている。「歩み」の速度は決して早いだけがよいという訳ではなく、じっくり熟成させる「歩み」こそが豊かなのだと教えてくれる。「東京」では「人追ひて歩く」ようだとして「たましひ(魂)」までもが「跳ぶ」のだと鋭く批判する。「みやざき」のゆったり流れる時間でこそ、人生は熟成していくのだと悟ることができる。「待ち時間」は長いのがよいというのである。航空機・新幹線・スマホ・パソコン何もかにもみんな「速い」ということばかりを目指している。リニア新幹線などを想像すればわかるが、時速500Kmで走る乗り物が人間は必要としているのだろうか?近現代の過当競争は、いつしか人間が人間らしい感性で生きることを忘れさせてしまっている。そこで僕たちは牧水に学ぶ。明治・大正期の近代化の波の中で牧水の自然との親和性ある眼差しは多くのことを僕らに警告する。「かなしみども」に追われるのが人生、しかし「何故に旅に」という自問自答をくり返し「けふもまた」歩みゆく。牧水は今もなお「永遠」に向かって旅を続けている。

桑田佳祐『JOURNEY』
「出会い」と「別れ」をくり返す人生
されど「今日も旅行く」


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「叶わぬ恋に身悶えて」放送大学集中講義(1)

2021-11-28
「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ恋もするかな」
『古今和歌集』恋歌一・巻頭歌
「あやめ」=「理性」も知らない恋とは・・・

「若山牧水と日本の恋歌」と題して放送大学非常勤講師として、牧水の生まれ故郷・日向市学習センターで2日間の集中講義を担当している。今回は来月刊行の著書の内容について、全国で最も早く公開する機会でもある。実は先月は日向高等学校での出前講義があり、そこでも一部の内容を提供した。いずれも牧水の生まれ故郷である特権ある講義として、「封切り」としての意味合いも自覚している。受講者は短歌実作をしている方から、短歌に初めて触れる方まで多種多様である。それだけに「恋歌」「待つ」「短歌とJ-pop」という視点から、親みやすさが演出できるのは誠にやりやすい。来年度から施行される高等学校新学習指導要領「言語文化」などの科目において、このような多様な教材の読み比べが模索されていることへの提案としても有効な方法の提示であると自負する内容だ。

冒頭に記した『古今和歌集』の恋歌、その表現と桑田佳祐『ほととぎす[杜鵑草]』の歌詞の比較においては、楽曲のバラードとしての仕上がりの良さと相俟って心に滲みたという感想を多くいただいた。「人はなぜ戯れに 叶わぬ恋に身悶えて」生きるのだろう?牧水の若かりし頃の歌集を紐解くと、「かなしさ」「さびしさ」が深く詠み込まれた歌が少なくない。小枝子とのまさに「叶わぬ恋」に苦悶し身を削る日々が、むしろ牧水の表現力を鍛えて歌人として大きく飛翔させたともいえるであろう。人は誰しも孤独だ、ゆえに誰かに寄り添いたくなる。初恋とは生まれいづるまでは同体であった母から離れて独り身となった果てに、代行者を見つける営為であるともいえよう。牧水もまた母「マキ」への深い愛情を、その雅号「牧」に背負って歌人として生き続けた。牧水は晩年に静岡県沼津に居を構えたが、そこへも母・マキを呼ぼうとしたが、母は日向の坪谷を離れようとはしなかったとも云う。恋・愛は確実に母への想いに連なるのだ。さらに80年代の恋人たちのクリスマスについて、J-popを交えながらの講義が心地よかった。

日向で牧水を語る意味
「恋の文化論」として人の「生きる」を考える
夜はまた馴染みの「へべすうどん」が最高の締めくくりをくれた。


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先生と呼ばれるほどの

2021-11-27
どんな社会的立場になっても
日常で「先生」と呼ばれるほどの
いつも変わらぬ友だちとして

どうやら世間には「先生」と呼ばれたい人が多いのだろう。教師・医師・弁護士・経理士・会計士・「・・道」の師匠・理容師・美容師そして議員さんなど、職業的に幅広い分野で「先生」は使用される。元来「師」というのは「法師」など「宗教的な指導者」を指す用法が多かったようだが、総じて「指導者」全体を指すように派生したのであろう。落語家などは今でも「師匠」は使用するが、決して「先生」を使用しないのが粋である。落語という目に見える技芸に長けた人という意味で「師匠」の「たくみ(匠)」という意味は相応しい。何より「ししょう」という音が粋な感じがする。僕などは学部新卒で学校の「教師」になったので、いきなり「若造」が「先生」と呼ばれるようになり、特に日常の街中でそんな風に呼ばれるのに大変違和感があった。

親友が社会的な立場が大きく変わった。その変革を祝して会う機会を持ったのだが、あくまで「友は友」でありたいと願う。巷間の夜の街では特に、僕自身も「先生」とは呼ばれたくない。歌人でも「師匠」と思いを寄せる人は「先生」と呼びたくなるものだが、大変に若い歌人が平然と「・・さん」と呼んでいるのを見ると、それもいいなあと思うことがしばしばだ。短歌を創り読み批評するという地平においては、あくまで「平等」であるという証のようで公平性が担保されているような感覚である。反対に無闇に「先生」とばかり呼びたがる人々が、世間には少なくない。どこか建前を優先しており、人と人との本質的な関係で向き合っていないような印象を受ける。ゆえにその呼び方ひとつで、その人がどう生きているかという姿勢がわかるものである。

我が良き友よ
建前でなく生きるための仲間として
「先生と呼ばれるほどの・・・・・」とはよく言ったものだ。


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遊びで自分を曝け出せ

2021-11-26
「冗談だよ、真に受けるなよ」
真面目と遊びの間に何がある
自己開示をして無理なく健全に豊かでありたい

人々にとって学校ひいては社会は、基本的に「仮面(ペルソナ)」をかぶっている。自分の思いの丈をどれほど開示していいものか?公共の仮面をかぶりながら、次第にその匙加減を学んでいくことになるだろう。だが所謂「良い子」の「仮面」をかぶるとそのまま習慣化して、なかなか本質的な自分とのズレが生じることになる。すると「仮面」の自分ならどう考えるか?と思い悩み作文も書けない、感想も言えない、運動・芸術のパフォーマンスもできない無機質な人間になりかねない。「自我」との断層が次第に激しい誤差となってしまい、「仮面」を剥いで暴発する事態にさえ至る。昨今、社会のあちらこちらで頻発する凶行な事件の多くが「普通の人」だったと周囲が印象を語る人が当事者である場合が少なくない。「普通」の「仮面」をかぶりながら、心の中で大きなストレスを感じジレンマに陥っている果ての悲しき所業なのではないかと想像する。

「多様でよい」と言いながら「正解」を求めさせる学習は、こうした「仮面」の肥大化を助長する。学びには「遊び」が必要であり、「冗談」を覚えるのも「学校」における大きな学びであるような気がする。だが「冗談」でも「冗談にならない」ものがあり、その質そのものを学ぶことも重要である。「ハラスメント」が多様に指摘される社会においては、この点も欠かせない視点であろう。ここ数年、担当の「文学史(中近世文学)」において、「連歌会(連句)」を実施している。いかに連想豊かに言葉を紡いでいくか、また素材をある程度の自己開示を持って提示していく必要がある。まさに「正解主義」な頭であると、なかなか付け句が出てこない。昨日は実施前に「これは遊び心が大切だ」という点を強調した。すると「クリスマスは一人ぼっちでバイト」とか「彼女ができて紅葉を背景にツーショット」といった趣旨の付け句が次々と現れた。周囲もそれを「笑い」で受け止め、和やかな中でクラス16名二周りの連歌会が実施できた。前週には室町期の「式目(連歌のルール)」を学んだことにこの「体験」から回帰しつつ、各自の思考を機能的なものとして保管しておいてもらいたいと願う。

学びの中に「遊び」を
言葉遊びの中に文学がある
そこに自己開示という和やかな心が表われる。


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型を学び協働してこそ気づくこと

2021-11-25
「型」を真似ぶことから
臨書やシャドーイングなどの反復
そして協働して自らの傾向に気づくこと

大学学部時代に免許状取得のため「教職課程」の講義を受けていた。僕は文学部であったので教育学部まで出向き、全学部から教職希望者が参集する大教室での講義であった。力んで1年生から受講したが、後からサークルの先輩らから評判を聞くと甚だ評価が厳しい先生だと知った。伝説的なエピソードさえあり、講義の最初に出席カードを提出した学生が大教室から抜け出すのを見つけた先生が、「なぜ出ていくんだ!」と大声をあげてその学生を追い掛け、とうとう高田馬場駅まで走って追いかけたと云う尾鰭背鰭のついた噂さえあった。だが僕自身はその先生の教育への情熱が大好きであり、いつも最前列で講義を受け今でも筆記した講義ノートを大切に保管している。先輩の噂では成績の「優」は難しいと言われたが、その難関を克服して「優」で単位を取得した。なぜこの先生を本日の話題で思い出したかというと、「教育とは、指導者の学びを追体験させることだ」と力説していたことが今でも肝要だと思うからである。となると「指導者の思考」そのものが誠に大事だと言い換えることもできる。

昨日は、附属学校園の共同研究の日であった。中学校の公開研究会や小学校の授業研究など、諸行事の報告がなされその振り返りの対話の時間が持たれた。共通した視点として、「思考の型」を提供した上で「批評」的な力を引き出すということが話題になった。僕自身も短歌を例に「型があっての型破り」という比喩的な物言いを、話題として提供してきた。短歌のよみの上達には、先人の短歌をどれほど多く辿るかが大切だということである。また書道であれば、やはり「臨書」から学ぶことは計り知れない。「形」のみならず先人の「筆運び」を学ぶことで、まさに文化は伝承されていくのだと思う。さらに肝心なのは「型」によって「真似ぶ=学ぶ」のちに、必ず「協働」する場を設けることだ。「真似ぶ」という内にも当事者の「解釈」が必ず加味される。その傾向を知ることで、自らの「真似び」の深さを知る必要があるということだ。自己を客観視できるかどうかが「大人と子どもとの差」であるとも、前半に綴った大学の先生に学んだ記憶がある。せめて教職の現場に出る前の学生には、客観視ができるまで徹底的に指導すべきとあらためて思う。そして僕ら大学教員にとっては、附属学校園との協働の場こそが自らの価値を見定める大切な客観視の場であるのだ。

叱り追いかけるという教育への情熱
「叱正」を忘れてしまった社会で起きる様々な出来事
協働して自らを開放し自らを知り自らを磨く必要がある。


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黒潮の文化をたどるー宮崎ー高知ー和歌山へ

2021-11-24
宮崎から高知さらに和歌山へ
「ウツボ」を食する文化があると云う
年のうちに2回開催された「国文祭・芸文祭」

「国文祭・芸文祭みやざき2020」は新型コロナ感染拡大で、1年延期となった。2021年の7月3日から10月17日まで、延期とはいえ前半7月8月は、感染拡大によって各市町村でのプログラムが中止を余儀なくされたり、オンライン開催となったりと担当の県庁の方々のご苦労を思うと頭が下がる思いであった。イベントを開催する側に立つと、「中止」というのは誠に耐え難いものがある。幸い大学附属図書館で開催した「みやざき大歌会」は、ゲスト歌人の東直子さん・田中ましろさんも対面でお迎えできたが、そこに到るまでには学内の承認なども含め困難な道でもあった。吉田類さんのトークショーはオンライン開催、しかしそれだけに類さんと宮崎との関係を上手く引き出すべく類さんのご著書を読み返したりとあらためて勉強したことも少なくない。その中で「黒潮文化」といった趣旨のことが書かれていて興味深かった。宮崎そして類さんの故郷の高知、さらには和歌山に至る食文化では「ウツボ」を食するという共有点があると云う。確かに僕も宮崎に来て1度だけ、地元に根ざしたコアな寿司屋さんで食したことがある。

昨日、NHKにて「国文祭・芸文祭わかやま2021」(本年10月30日〜11月21日)開会式と併せて「みやざき」の開会式と2大会を振り返る番組が放映された。「わかやま」のキャッチフレーズは「山青し 海青し 文化は輝く」であり、「みやざき」の「海の幸 山の幸 いざ神話の源流へ」と共通したものであることを知った。畿内である「わかやま」では、京都・奈良と連なる古くからの文化も根付いており、高野山の僧侶たちの「声明」の声などは心の奥底へと響く荘厳なものがあった。必然ながら神仏習合の色彩も強く、「山に海に祈る」ことに文化の源流があることに気づかされる。盆地で海のない京都市内や奈良県からすると、海に臨む「わかやま」の文化は機内でも大きな世界へ開いていく傾向があるようだ。山があれば渓谷もあり、海とは川で連なっている。NHK番組の後には吉田類さんの「日本百低山」を放映していたが、類さんの故郷も山の奥なる自然豊かな渓谷であると聞く。あらためて山で生まれた若山牧水が、7歳で海を初めて見た際の感激に思いを寄せる。「SDGs」など盛んに喧伝されているが、元来のこの国の文化を取り戻せば、僕たちは自然と共生できるはずなのだ。「宮崎ー高知ー和歌山」という「黒潮文化」の流れを、あらためて地方にしかできない豊かな文化として再認識すべきであろう。

「山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇を君」(牧水)
南国に通ずる海の道
黒潮の豊かな流れの恩恵をさらに引き出すべきだろう。


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ジレンマを克服する力ー見直しと変革と

2021-11-23
OECDラーニングコンパス
「変革を起こせるコンピテンシー」
学習伝達とは自身の学習の調整力である

オンライン開催された大学祭後の休講日にあたり、FD/SD研修会が開催された。ここ数年は前年度の教育活動表彰を受けた先生方の日頃の教育実践に関する報告が為されている。2年前には僕自身も発表をさせてもらったが、「説明しては動かぬ学び」と題して講義では指導者が説明するのではなく、学習者が脳のエクササイズができるように仕向けることが肝心であることを述べた。上手く説明すれば学習者は理解し成長するという考え方を、まずは捨てることから始めようという講義変革を主張する内容であった。この日も研修会の冒頭に前述したようなOECD(経済協力開発機構・欧州を中心に日・米など38カ国が加盟する国際機関でPISA調査など学力調査を実施していることで有名である)「ラーニングコンパス」の新しい学力観が示された。「知識を得るのが学習」という観念から脱して、「変革を起こせる力」「対立やジレンマを克服する力」というのが肝要であるとされる。自らの行動を振り帰り見直し、自身の学習そのものを調整できる力が求められているわけである。

石川啄木の小説『我等の一団と彼』(1912)に「現在の此の時代のヂレンマから脱れる」という用例が『日本国語大辞典第二版』にあり、意味としては「選ぶべき道が二つあってそのどちらもが、望ましくない結果をもたらすという状態。八方ふさがり。」とある。同辞書項目(1)には論理学の議論のことであるとされ、鴎外の用例も引かれていることから明治期に使用されるようになった外来語の類だということがわかる。たぶん封建社会の江戸時代までならば、「八方ふさがりで仕方ない」と泣き寝入りしていたことが、西洋化近代化が急速に進んだ明治には「克服できる可能性がある」という新たな思考に芽生えたゆえに使用されるようになった語の一つではないだろうか。「二極」で考えるから「八方ふさがり」になるわけで、「第三極」を設けるべく変革をさせる、ジレンマ打開を目指した振り返りと見直しこそが一元論に縛られない近現代の価値でもある。だが啄木の小説から110年、社会は成熟したのかといえばむしろジレンマの坩堝のような21世紀が眼前にある。とりわけ経済・技術革新・開発などの分野での日本の凋落は、世界的視野で見たときに甚だしい。かつては世界を席巻した自動車産業もTVなどの家電製品でも、世界から取り残されやしないかという状況が明らかだ。教育の分野で「変革」を好まず、「対立やジレンマ」に対する経験をさせないことばかりに躍起になり、数字上の目標を単純に目指す空転した脳の使い方のみに偏向した実情を変えて行かねばならないと痛感するのである。

現実に直面して打破する力
ジレンマから逃げず第三の方向性を開発すること
小中高大、まずは指導者自身に大きな変革が求められている。

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夢を夢につなぐ(その2)

2021-11-22
好きなことを仕事にできる
叶った夢をまた新たな夢へとつなぐ
イルカとの信頼関係で成り立つ大ジャンプ

幼少の頃、絵本が好きだった僕が文学研究を仕事とすることができた。途中、野球選手やアナウンサーにもなりたいと思ったことがあった。野球選手の夢は初任校が当時は甲子園常連校であったことから、教える生徒たちが間接的に叶えてくれたような気がしている。またアナウンサーの夢は朗読研究に連なり、多くの朗読公演の機会や声に関係するプロの方々との出逢いで曲がりなりにも叶ったと思っている。現在、自らの新刊著書で「夢のある時代」を語り直すことで、自分のつないできた夢はこれだったのではと思うこの1年である。本の中には大きな夢がある、それは児童向けの絵本であればあるほど、豊かで「詩と愛と夢とロマンス」に溢れている。現実的な「文学研究」という階段を足場にしつつ、この「夢」を忘れてはいけないとも思う。このように幼少時の「絵本」に発する夢は、常に「夢につなぐ」ことで人生を彩ってきた。これからもまた「短歌」という「詩」の縦横双方に深い深淵で夢を探し続けるだろう。

イルカトレーナーの花形になった姪っ子は、今月中で引退をする。最後に晴れ舞台をと妻と父母とさらには義母も駆けつけ、ともにショーを観覧した。「ショー」を観ているというよりは、姪っ子の一挙手一投足に注目しつつ、これまでとこれからの彼女の人生を思う時間である。今回は合計3回もショーを観覧したので、1回はショープールの水中が見える地階のガラス窓から敢えて観ていた。その理由は、ショーのクライマックスで水中に飛び込んだ姪っ子を、イルカが口先で突き上げて空中5mぐらいまでジャンプさせる場面がある。会場全体からは、飛沫も忘れて多くの来場者から声が上がる一瞬である。だが考えようによっては大変に危険な見せ場と言わざるを得ないであろう。何より調教したイルカとの信頼関係が、極限で試される所業である。ガラス窓から見たイルカプールは、思っていた以上に浅く狭い印象であった。ジャンプしたイルカが水中に戻ると、底ギリギリまで潜りスルリと身をかわしてまた水面に上昇する。その身体能力には驚くばかりだが、いよいよクライマックスとなった。イルカしか見えなかった水中に姪っ子が飛び込み、片足を伸ばしている。そこをめがけてかなりの勢いでプールの底まで潜った1頭のイルカがかなりのスピードで上昇する。もし姪っ子の足裏の小さな一点をイルカが外してしまったら、彼女の身体は大きな衝撃を受けて普通ではいられないのではという恐怖さえ傍目に見ていて感じた。しかし、幾度となく行われてきたショーで一度たりとも失敗もなく、調教したイルカを信じ続けイルカもまた寸分違わず姪っ子の足裏を捉えて空中に大ジャンプをさせる。まさに「プロ」としての信頼関係の上で成り立っているショーなのだ。引退して施設を離れるにあたり、姪っ子は「イルカと別れるのが何より辛い」とささやかに語っていたのが印象的であった。

動植物を愛する心
幼少の頃からの「夢ー第1章」は終わりが近づいた
夢を次の夢につなぐために。


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夢を夢につなぐ(その1)

2021-11-21
小さい頃からの夢を叶える
現実にぶつかってもその先の夢へとつなぐ
まずは教師が夢を持つことだ

姪っ子は幼少の頃、僕の両親である祖母・祖父らによく水族館に連れて行ってもらっていた。そこで観たイルカショーがあまりにも素晴らしく、大きくなったらトレーナーのなることを夢見た。18歳の岐路に立たされ頃に、叔父の僕は大学進学を勧めたかったが頑なにイルカトレーナーの専門学校へと進学した。在学中に先輩がいるからと僕の住む宮崎にある施設を見学に訪れた。その後、就職試験を受験する段となり、再び僕のところを足場にして見事に採用試験に合格した。今「見事に」と書いたが、困難はまだまだここからであった。就職後は併設ホテルの給仕やベッドメイクなどの仕事が割り当てられ、長年の夢には程遠く厳しい日々を送った。何度かくさってしまいそうなことを言ってよこしたが、その都度に「今を耐えないで長年の夢は実現しない」と励まし続けた。ようやく2年目からイルカ施設へ配置転換され、ようやくトレーナーとしてのスタートを切ることができた。夢を叶えるには、何よりどんな境遇を経験してもくさらないことである。夢は勝手に消えるわけではない、当事者が諦めるから消えるのである。

その後、姪っ子は花形トレーナーとなって施設のショーを支えてきた。この夢が叶った体験を支えてくれた人は多いが、何より高校在学中の指導がありがたかったように思う。世間は高校の進学実績競争のような趣であり、生徒本人の「夢」や「志望」よりも学校が看板にできる数字が欲しいような指導を優先して行う高校も少なくない。だが姪っ子のような夢の叶え方を見ると、偏差値の高い大学に進学することだけで豊かな人生になるとは限らない事例のように思う。2002年に大きな話題となったOECDのPISA学力調査で読解力の大下落、その後には回復したとされているが、依然として問題なのは学力を下支えする日本人の「主体性」「自発的なやる気」の問題ではないかと筆者は常々懸念している。つまり自らの「夢を叶える」という大きな視野で中高時代を過ごすのではなく、「入試偏差値」という矮小な価値観だけに囚われて生きる教育環境そのものが、世界でも高水準の「主体性のない生き方」を育んでいるのではないか。あらためて姪っ子は、夢を追い求めさせてくれた高校の進路指導に出逢えたことで、今の夢の実現につながったのであると感謝している。

「私はこのように生きたい」という志
人生はあなた自身のためにある
夢を夢につなぐ(つづく)


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