学長退任に寄せてー地域貢献度全国立大学法人一位
2021-09-30
学長の2期6年間自らの8年半のうちの大半において
「短歌」への理解と様々な機会に感謝
9月は大学役職任期の交代時期、現学長の任期も本日が最終日となる。僕自身が宮崎に赴任して9年目8年半が過ぎたが、その大半を現学長体制のもとで勤めてきた。振り返れば、2015年夏には県立劇場と組んで「地域連携群読劇・星の王子さま」を宮交ボタニックガーデン(県営植物園)でかなり強引な試みとして共催、その直後に現学長の任期が始まったことになる。この頃から短歌創作にも夢中になり始め、2016年には俵万智さんの宮崎移住により「短歌県づくり」の機運が高まった。2017年10月には「和歌文学会宮崎大会」を主催、河野県知事の懇親会への参加は「当該学会初」だと研究仲間に賞讃してもらった。2018年1月1日個人的に「教授昇任」当年10月からは副教務長の役職となり、2019年10月から副学部長(教務担当)となった。さらにこの年は「教育活動表彰」を受け、学長を前に受賞者代表で挨拶をしたのをよく覚えている。ホームカミングディで講演をしたのもこの前後、牧水や短歌の研究成果が学長の目に止まり、その後は諸々の講演機会を学長からいただくことになった。2020年コロナ禍に見舞われ役職上学部の学生や授業対応に苦心したが、全学の教職員で何とか乗り越えようとする「仲間意識」に頼もしさも実感した。そして今年の7月には学長の専門分野である「日本周産期・新生児医学会学術集会」での講演の大任もいただいた。
昨日は「学長退任講演・式典」に出席した。6年間を振り返るスライド・動画・メッセージが多く紹介された。その中で全国の国立大学法人地域貢献型大学で評価が一位になった成果について、様々に言及された。既に地元紙で報道もされたが、琉球大学と並んでの一位ということ。国立大学が「法人化」してから既に20年近くなるが、その改革によって「1、世界的先端研究」「2、特色ある専門研究」「3、地域貢献研究」の大きく三分類が為された。1は東大や九大など旧帝大系が多く、2は東京芸大や鹿屋体育大など、本学は3の地域貢献研究に分類されるという訳である。所属学部の場合は、地域教育への貢献を大きな柱として「宮崎」の発展に貢献できる研究が望まれている。僕自身は宮崎の地に赴任したことで、あらためて短歌の魅力に出会い直し、若山牧水を研究し近現代における「声」の問題を教育とも関連付けながら向き合ってきた。所属大学が「地域貢献大学」であるからという拘束感ではなく、「宮崎」という土地の魅力を知った県外出身者としてこの地に惚れ込んだという方が適しているように思われる。同じく県外出身者である俵万智さんが、あらゆる面を全肯定的に語る機会も多く、いつも背中を押されるような機会に恵まれたこともある。僕自身の研究や取り組みが、どれほど「地域貢献度」の評価に繋がったかは定かではないが、学長が方針として掲げた「宮崎でしかできない研究」を自然に取り組む流れになったと今にして振り返ることができる。
牧水研究と短歌創作に向き合った6年間
その成果は新刊著書として本年末までに刊行する。
現学長に感謝を伝え、僕自身の「宮崎でしかできない研究」はさらに未来へと続く。
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テーマ詠「魚」ー宮崎大学短歌会9月例会(3)
2021-09-29
身近な命を考える実験教材・食べ物・食べ方・観賞用・属性など
生命の根源としての魚
今月は図らずも、宮崎大学短歌会例会が1週おきに3回開催できた。これもまたオンラインによる利点であろうか、毎回の参加メンバーは決して多くはないが歌会が持てることそのものが尊い。出詠6首・参加5名・テーマ詠「魚」である。宮崎は畜産王国とも呼ばれるが、それと同等に東側がすべて海に面しているので海産物の豊かな県である。我々は「魚」に対して、どんな点を捉えて生活をしているのだろう?冒頭に記したように、実験「教材」として、食べ物として、その食べ方の問題、観賞用の飼育状況、そして魚の名前が持つパワーを感じさせ、さらには映画「MINAMATAーミナマタ」で描かれた魚の状況などを題材にした歌が並んだ。海に囲まれ、山と平野を河が結び、この国土に魚との付き合いは欠かせない。その姿勢そのものを考えることが、自然そのものとの向き合い方を考えるような歌会の内容になった。
大学短歌会の面白いところは、様々な学部学科の学生がいること。今回は特に農学部獣医学科や医学部医学科の学生たちの大学での学びの一部が開陳される歌会のコメントが興味深かった。実験用動物の保護の問題、動物の出産後の人間から見ると考え難い現実、研究倫理とは何か?というようなことまで考えさせられた。高校で進路指導される「文系」「理系」などという狭い視野の区分けを超えた学びが、短歌によって起動するような気がしている。「ことば」を捉えることとは、これほど学問横断的な話題に接することができるのかと驚いた。また「おさかな」の食べ方はテーブルマナーとしての大きなトレーニングであり、超えるべき生育段階なのだろう。さらに焼き魚には何をかけて食べるか?柑橘系の果汁の選択における議論も面白かった。我々の生命の根源は「海」にあると云う。僕らの遺伝子の祖先は、海に生まれたのだ。近現代は「便利な生活」を求める傲慢な人間の嗜好が、その海を汚染してきた。これは人間みずからが、地球上の生命を冒涜する行為だと心得るべきだろう。
短歌から派生する様々な話題
脱線・横道もまた楽しきオンラインの余裕
やはり短歌は素晴らしい!!!
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2021年の仕事としてー校正と講義動画撮影と
2021-09-28
新刊著書ゲラの校正を進め宮崎コンソーシアム講義の動画撮影も
今年なにができるかな?
9月末は年度の半分、10月からは新しい仕事も始まる。そんな「年度」の意識ともに、2021年1年間を考えると残りは3ヶ月、まったく新型コロナ禍と五輪狂想曲と政局などに翻弄されているうちにあっと言う間に過ぎ去っている印象である。ふと自分は今年、どんな足跡が遺せているだろうかと立ち止まって考えたくなる時節である。年頭早々に出版社への企画書提出、春まだ浅き頃から日々の原稿執筆に勤しみ、諸々の修正や著作権の許諾を経て、ようやくゲラの校正まで進んで来た。自らが打ち込んだワープロ原稿と違い、ゲラを見ると1冊の著書に仕上げるのだという実感が湧いてくる。農耕作業に喩えるならば、春先に苗を植えた稲が大空に向けてすくすくと育ち、秋には稲刈りをしてようやく籾殻になって社会に提供される前段階になったということか。研究者としてまた一人の書き手として、自らの著作が世に出ることこそ大きな足跡となる。今回の著作に続き、既にいくつか出版したい原稿の構想がある。以後、年次1冊ぐらいの出版を叶えたいものである。
『日本の恋歌とクリスマスー短歌とJ-pop』(新典社刊)という題名、一昨年2019年年末に「国文祭芸文祭みやざき2020」のプレ企画「まちなか文化堂」で市内の書店で出前講義をしたのが今回の著書の基盤となる。友人のライターに言わせると、「仕事の波が来た時に躊躇なく乗れる勇気が大切」であり、それが書き手として仕事への肝心な姿勢であると云う。今回はまさに「波に乗った」という比喩が的確で、宮崎でのありがたきいくつもの出逢いが僕の背中を押してくれている。映画でも音楽の新作アルバムでも発売前には前触れがあるものだが、自著についてもそろそろと思い要約版の90分講義を制作することにした。ここ何年間も担当しているのだが「宮崎コンソーシアム」という大学の枠を超えた講義「宮崎の郷土と文化」、ここで牧水を起点としながら新刊自著の一部を展開することにした。今回は担当大学の方針で動画撮影を専門の会社に委託したということ、この日はその動画撮影が行われた。会社のスタッフは今回の「みやざき短歌甲子園」オンライン配信動画も担当したのだと云う。「ちょうど短歌に興味を持ったので、講義内容は楽しかった」と撮影後に話してくれた。今後、動画は編集されて11月ごろには宮崎県内の多くの大学生が視聴し受講することになる。
出版紙面そしてデジタル情報として自らの足跡
小欄を日々語って12年、その筆力がサーフボードになってくれた
2021年私の仕事。
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短歌県の綺羅星たちーみやざき短歌甲子園
2021-09-27
全国高校生みやざき短歌甲子園オンライン開催ながら白熱の接戦が展開
そして「短歌展」開催もきらり
25日・26日の2日間にわたり、国文祭芸文祭みやざき2020の一環として「みやざき短歌甲子園」が開催された。全国には「短歌甲子園」と通称できる大会が3箇所で開催されている。石川啄木の故郷岩手県盛岡での「全国高校生短歌大会」・『万葉集』編者とされる大伴家持ゆかりの地富山県高岡での「高校生万葉短歌バトルin高岡」・そして若山牧水の故郷宮崎県日向市での「牧水短歌甲子園」の三大会の成績上位校を集めて開催される三冠統一交流戦が今回の大会である。昨年11月にプレ企画としてオンライン開催、今回はリアルに高校生が集結することが望まれたが、やはりオンライン開催を余儀なくされた。それにしても参加した高校生たちの短歌はいずれも素晴らしく白熱した接戦が展開し、審査員の歌人の方々も判定に深く悩む表情が見てとれた。審査員の講評の中では短歌の本質が語られる。「伝えたい気持ち」があり、それを「自分なりの言葉を発明し自分なりの手つき」で「相手に手渡す」、俵万智さんの評は現代版の歌論とも言えるもの。「作者の(描写対象への)接触する角度」(米川千嘉子さん)や「ポエジー」(笹公人さん)といった批評の表現そのものにも学ぶものが大きかった。
題詠は「耳」「読」「嘘」、特に形のない「嘘」を詠む場合に「物に寄せる」ことで描写が可能となり、意志を持って言葉を選ぶということの大切さがわかると云う。26日の2日目は審査員座談会が行われたが、題詠について「本音をいうための隠れ蓑」(俵万智さん)という効用が述べられたのも興味深かった。高校生たちの質問も奥深いものがあり、それに対して「情報を込めきれないのが短歌のメリットで、何を切り捨てるかが大事」(俵万智さん)という核心に迫る返答が展開した。歌を創る姿勢に対しても「(できない時は)場所を変える」(大口玲子さん)とか「自分が面白いものを作ればよい」(笹公人さん)などが語られた。散文との対比についても、「言葉を削ぎ落とすことの厳しさ」(俵万智さん)などが。まずは「創ってみること」すると人生に実に深みが増すという短歌の素晴らしさを、会場に来た宮崎県内の高校生らが共有できた機会となった。会場となったメディキット県立劇場では「短歌展」も開催されており、この日は最終日であったが、午後にようやく訪れることができた。制作に関わった方や県の担当者の方にも会えて、短歌県へ向けて多くの人々の心がそこにあることを実感できた。
短歌県の綺羅星たち
そして全国の短歌に向き合う豊かさに目覚めた若者たち
繊細に丁寧に焦らず社会を自らを見つめる、より多くの人が短歌に目覚めればこの世は平和だ。
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映画『MINAMATAーミナマタ』が語ること
2021-09-26
9年前の水俣フィールドワーク相思社に2泊して実感したこと
「ユージン・スミス」の写真が今も訴えること
2012年8月、福岡の炭鉱から長崎の平和祈念式典、そして水俣で2泊して町の歴史を辿るフィールドワークに参加した。水俣病に苦しみ命を落とした方々の位牌が安置されている仏壇を前に寝泊まりし、夜は相思社の方々とあらゆる話題で語り尽くした。同行した親友の落語家は、そんな語らいの宵の口に「誰かが耳元で囁いた」と叫び出し、無念にも命を落とした方々の魂を感じたらしい。朝のトイレに彼が入ると、必ず天井から巨大な蜘蛛が糸を垂れて降りてきたとも云う。フィールドワークして歩いたのは水俣の町の様々な場所、小さな漁村での人々の生活の手触り感がわかるところ、また水俣全体で自然はいかに循環しているかが知れる山と海が感じられるところ、もちろん「株式会社チッソ」の排水口跡とか町にとっての会社のあり方がわかるところなど多岐にわたった。この旅全体に及び、「日本の近現代が引き起こしたもの」を再認識する機会となった。石炭火力による産業振興は大量のCO2を排出し、第二次世界大戦は世界で唯一の被曝を招き、高度経済成長は公害による人体の侵害をあからさまにしつつ、かたや社会が「発展した」と金を儲け喜ぶものがいた社会を築き上げてきた「近現代」を。
一昨日23日に全国公開となった映画『MINAMATAーミナマタ』を2日目にして早速観に行った。「ミナマタ」の悲劇を自らの写真によって世界に伝えた写真家「ユージン・スミス」の格闘を描いた作品だ。「写真を撮るということは、自らの魂も削ることになる」という趣旨のことを信念に、米国メディアとの確執や葛藤を持ちながら、自分しか撮れない写真を求めて「ミナマタ」へ住むようになる。罹患者やその家族らと心を交わすまでの苦闘や様々な妨害に遭うことを超えて、世界に発信する写真を撮るまでの様子が語られた映画であった。映画題の『MINAMATAーミナマタ』という表記は重い、「オキナワ」「ヒロシマ」「ナガサキ」「ミナマタ」「フクシマ」と世界に知られる地名、もはや日本語固有名詞という枠組みを超えた世界の意志を表現するための表記である。我々はその当事者の国に住みながら、どれほどこれらの土地の真実を知っているのだろうか?映画で描かれた水俣や被害者の格闘の様子は、僕にとって9年前に実感した「経験」と重なり合いながら、世界にここしかない受け止め方ができたと言えるだろう。それは近現代が錯誤の末に至った様々な環境問題は、今もまさに進行中であるということ。映画の帰りに購入した昼食が詰まったプラスチック容器、それを買ってしまう自分をどう見つめるか。この映画は過去ではなく、地球の未来へ向けて皆が当事者であることを考えさせられる。帰宅して「ユージン」の写真集をあらためて見直している。
相思社発行『ごんずい162号』は映画特集号
「近現代」の歴史そのものを振り返る大きな視野が求められる
「SDGs」などというのは、もう遥か以前から「ミナマタ」で学ばれていたことだ。
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事情を知らぬ人が読んでも文書は
2021-09-25
文脈で「自分たち」だけがわかるのではレポート・卒論を書く学生らに指導すること
誰が読んでもわかる文章を書く
先日、ある会議に出された事務文書において、「・・をーーに推薦することが承認された。」というものがあった。「・・」「ーー」はいずれも人物呼称が入る。初めに読んだ際に「・・」の人物を「ーー」という役職に「推薦する」のかと解釈し、大変に違和感を覚えた。その場で文書訂正の発言をしたのだが、声に出して説明するうちにすぐ、「・・」の人物を「ーー」の元へ向けて「推薦する」のだと気付き、意味の確認をした上で「読み間違えていました」と発言してその場を終えた。会議全体では「特に問題はない」という雰囲気であったが、「解釈の多様性」などのことを普段から考えている身としては大変に気になった。要点は助詞「に」の使い方である。「ーー(という役職)に」とも解釈でき、「ーー(の立場の人の元)に」とも解釈できるわけである。「ーー」が「目的」にもなれば、「ーー」が「対象」とも解せる。
短歌ではこのような助詞の機微によって、多様な詩的世界が拡がることが少なくない。それだけに助詞の選択は、生命線といってもよいほど難しい。むしろどれだけ「説明的」に明確にしないかが、短歌を創作する上で心がけることだ。短歌の批評で「説明的」とか「散文的」と言えば、「詩になっていない」と言っているわけで批判の対象である。名歌ほど多様な解釈ができ、一様な解釈に落ち着かない懐の深さがあるものだ。牧水の有名な「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の歌も、「にも」と表現されているが「白鳥」が「空」になのか「海」になのか、どちらに「ただよふ」のかは読者の想像次第で多様な解釈ができる。「空」「海」という単純な「場所」なのか?より哲学的な場所の持つ含意があって「目的」なのか?「白鳥」が何羽いるか?という問いも含めて多様に解釈できることが、この歌が名歌中の名歌とされる所以である。助詞で文章成分をつなぐ膠着語(対立する概念は「孤立語」で文型で成分の役割意味を示す言語)である日本語の特徴を、最大限に活かしたのが短歌という文芸であるといってよい。だが事務文書で当該の状況をまったく知らない人が読んで、解釈の多様性があってよいものか。周知の内輪ゆえに当該人物を知っているから解釈が定まっているだけで、まったく知らない人が読んだら「読み間違う」ことがあるはずだ。僕などは学生のレポート・卒論を読む際には、当該の学生を知らない立場で文章を評価するよう心がけている。もちろん僕たちは論文を書く上で、自分のことを何も知らない人に対しても説得力のある文章を書くことを心がけているプロなのだから。
こうして小欄の文章を見直すといくつか助詞の訂正が
それでも「内輪話」になっている箇所があるかもしれない
知っている人が読めば「こうだ」とわかり、知らない人が読めば一般論などはよくあるのだが。
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日南海老と坂本棚田
2021-09-24
「伊勢海老」と云う名を変えてみては?お彼岸に日南南郷のお日和もよく
坂本棚田の彼岸花と蜻蛉と
これもまた、先月の「吉田類トークショー」での話題。僕が宮崎の海産物の素晴らしさを話題にすると、伊藤一彦さんが「伊勢海老という呼び名を変えられないものか」と言った。確かに全国的に通行する呼び名は「伊勢」であるが、今やその水揚げなどからすると宮崎の名産といって過言ではない。宮崎から名称由来の「伊勢」へ向けて「供給」さえもしていると聞いたことがある。宮崎の中でも特に日南方面、油津・大堂津・目井津の漁港周辺では「伊勢海老祭り」なども開催されている。解禁日は9月1日であるが、先日の台風の余波による豪雨で「日南海岸ロードパーク」の内海付近で大規模な土砂崩れが発生し、宮崎市内から日南方面への海岸ルートが寸断されてしまった。ただでさえ「コロナ禍」で経営に影響ある飲食店であるが、この「海老」の稼ぎどきにルートの寸断による来客現象は痛いところだろう。話題を元に戻すが、ならば「日南海老」とか「目井津海老」などの呼称も考えたいところだが、「伊勢海老」の「いせえび」という各一文字音韻と(「いせ」が一字一音であるということ)「えび」の終末が「び」という濁音であることの響きを、なかなか超えられないという言語名称上の理由も作用しているように思う。
この日は妻と僕の両親を伴い、迂回路である山間ルートを通り妻の実家に向かった。開店早々から義母に「めいつ港の駅」のレストランに名前を書いてもらい、この時季ならではの御膳をいただく計画。地漁れの新鮮な刺身とともに、伊勢(日南)海老味噌汁に舌鼓を打った。小ぢんまりとした漁港に秋晴れの空が映える、やはり季節のものを新鮮に漁獲産地でいただくのは何にも代え難い美味しさに出逢える。海の幸のちからをありがたくいただき、僕らもまた明日への力を養う。この目井津漁港からほど近い所が妻の実家であるのは、海の幸への愛着をさらに深めたといえるだろう。食後は実家でゆったりとした時間を過ごす、時間にとらわれず自由な話題で話す時間は大変に貴重である。こうした「ゆったり」した時間こそが、宮崎でこそ味わえる「豊かさ」なのである。帰路もまた山間ルートとなるので、途中で「彼岸花」が綺麗に咲くという「坂本棚田」に立ち寄ることにした。かなり細い山道へ向けて「展望台」の表示がある。それに従い可能なかぎり自動車で奥まで分け入ったが、その道の険しさに「展望台」まで行くのは断念。細い道をバックで引き返し、棚田そのものの高さにある駐車場へと辿り着いた。彼岸花はやや盛りを過ぎていたが、実る田と秋晴れに蜻蛉たちが気持ち良さそうに出迎えてくれた。この棚田に流れる水が山から渓谷を下り、やがて海に養分をもたらせる。それが「日南海老」を大きく育てるものかと、「山の幸・海の幸」を実感する秋分の日となった。
「みやざき」を味わい尽くす
ありがたき時間・ありがたきご縁
「日南海老」せめて僕だけでもそう呼んでおこうではないか。
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わかる・できる・やってみるー行動あってこそ
2021-09-23
「わかってるよ!」他者に怒って言う口調
それは「できるのか?」「やってみる」行動はあるか?
子どもが親に「勉強しなさい」と言われると、たいていは「わかってるよ!」と反発するのはよくある光景である。子ども側の言い分からすると、「そんなことを言われるとやる気がなくなる」というのも定番な物言いである。多くの家庭で経験があるであろうこの会話だが、なんとか抜け出そうとして言い方を考えた方も少なくなかろう。親としてはどんな面でも子どもの行動が心配で口に出すが、子どもも「勉強した方がよい」ことは「重々承知」であるというのだ。考えるに、この「わかってるよ!」という反発は、ある意味で便利である。親の言うことの趣旨を「自分は知っているし、理解している」にも関わらず、余計な心配をして注意する親の方が間違っていると言うが如く反発して逃げられるからである。しかし「わかっている」とはどうすることか?また「わかっている」ならどうすべきか?が肝心であって、「わかっている」だけでは駄目なことをはっきりさせる必要がある。
教員養成の場でもよく語られることだが、「わかっている」だけでは「授業はできない」と云う。教材内容を研究し教える対象の学習者の実態を知り、授業計画を考案し板書に使用する教具などを準備する。だがいざ教室に行ってみると、「授業案』通りに「できる」のは容易ではない。教材研究などはその幾分の一が活かせるや否や?教育実習生を見ていると多くが、このような「できる」の壁を越えるために「やってみる」をくり返している。3週間の基礎実習であると最終週頃になって「できる」感触が、ようやく掴めるのが実際のところであろう。これはスポーツでも楽器演奏でも絵を描くのも同じではないか。プロ野球選手なら誰しもがどうしたら速い球を投げ、本塁打をたくさん打てるかを「わかって」はいる。だが高校の舞台でできてもプロでは「できない」とか、練習でできていても試合で「やってみない」と当人の資質は定かにならない。こう考えると大谷翔平などは、常に最高の舞台で「できる」「やってみる」を行動としてくり返している。本塁打がなかなか出ない時も、どうすればよいかは「わかって」はいる。ゆえに様々な微調整を実行動で「やってみる」からこそ、現在の数字が残せているのだろう。大人の社会では「わかっている」は通用しない、「できる」「やってみる」の行動あってこそ「わかった」ことになることを忘れている人がいるのが残念である。
「やってみる」をくり返して今の場所まで来られた
もしかすると「わかっている」と口にするのは「わかっていない」証拠か?
ふて腐れていては人生は豊かに生きられない。
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仲秋の名月への道
2021-09-22
旧暦8月15日十五夜満月であるのは8年ぶりとか
宮崎でこそ見える海上の「月の道」へ
3年前のことだ、宮崎港を臨むある見晴台で人生でこれ以上ないと思える月を見た。宮崎は海岸線が全て真東に面しているゆえ、海上に昇る月が大変に綺麗である。もちろん旧国名「日向(ひむか)」というように昇りくる太陽にも向き合うわけだが、それ以上に月が似合うような気がする。都会が太陽ギラギラで燃え尽きようとするのなら、宮崎は太陽の光を反対側からいただきながら自らの存在を輝かせつつあくまで穏やかに和やかに語りかける柔和さが特長である。3年前の月が心に焼き付いたのは、たぶんこうした宮崎の土地柄を象徴するような感覚を抱いたからである。月は水平線から海上に昇るため、雲がなければ海上には月に向かって月灯りで照らされた「月の道」ができる。波穏やかな港の海面にできる一筋の道、まさに月に向かってその道を歩いて行きたいような幻想的な気にさせてくれる。
天気予報では曇り、しかし18時台までは「晴れマーク」早く現地に向かえば可能性がある。妻を早々に職場まで迎えに行き、その後の所用へ赴き、早々に普段は食べないハンバーガーを買い込んで3年前の見晴台に向かった。自ずと自動車の向かう方向が東となり、助手席の妻が月の出を発見した。建物の間にある月は、比率の上で大きな顔に見える。誠に鮮やかな「仲秋の名月」である。見晴台に着くと津波避難場所とされる防潮堤がこの3年の間に整備されており、港を眺める趣がやや変化してしまっていた。しかし、3年前に妻とともに見た見晴台は健在、階段を駆け上がると数組の人々がすでに名月を写真に収めていた。しばらくすると、出航したばかりの神戸行フェリーが「月の道」を右側から左側へと横切って行く。これもまた3年前と同じ、要は同じ季節の同じ時間でないと海上に月の道はできず、フェリーの航行時間も1日1便ゆえにそうそう変わるものではない。現在の世情、何事にも「希望」が欲しい。「太陽」というあまりにも高温なものではなく、柔和な月の表情が僕たちをいつまでも「希望」の未来へと導いてくれているかのようだった。
海の水そして地球の惑星としての月
この光景は時代を超えて人間の心を癒してきた
ギラギラ燃えるのではない、穏やかな月灯りに照らされる宮崎が好きだ。
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地元新聞の文芸欄【短歌】ありがたさ
2021-09-21
地方新聞を毎朝読むに身近な話題や知っている人のことが記事に
そして文芸欄のありがたさ
日本の新聞の特長を語る際に短歌人が取り立てて云うのは、「どの新聞にも文芸欄があり公募短歌・俳句が盛況である」ということだ。三大紙はもちろん、地方新聞でも選者を立てて短歌・俳句の文芸欄が必ずある。これほどに詩歌が日常生活に定着している国など、そうそう世界を探してもないだろうと云うのだ。はっきりと調べたことはないが、文芸の草の根の拡がりとして誇るべきことと考えてよいだろう。やや勝手な推測であるが、江戸時代の庶民的な文化の拡がりが世界でも目を見張る識字率の上昇を招き、草の根で文芸への関心が高まったあたりに根がありそうな気がする。いずれにしても地元紙の「文芸欄」を読んでいると、この地域の人々が何を実感し何を心に抱いたかがよくわかる。短歌という文芸による、公的な瓦版や目安箱のようにさえ思えてくる。
昨日の宮崎日日新聞文芸欄「伊藤一彦選」の【評】には驚いた。◎で選歌された歌が初句から「類さんとニシタチ巡り・・・」というもの。どうやら先日の「だれやみ文化大学」を観ての歌ではないかとされて、その後に「トークショー」について「類さんと俵万智さんと宮崎大学教授の中村佳文さんと私で、・・・」と選評の文章が綴られていた。オンラインとなったのはいささか残念な面が否めないが、伊藤一彦さんにとっても大変に楽しい機会であったことが語られている。7行ほどの選評において多くの紙幅を「吉田類トークショー」の振り返りに当てているのである。◎二首目の歌は、かつては箪笥の上にあったラジオが今ではベッドで朝まで鳴るという趣旨の歌。選評には続けて「ラジオ深夜便」で類さんが宮崎でのことを楽しく語ったことにも触れられており、当該番組の人気が高い秘訣がこの歌にあると記されている。類さんとの「トークショー」の件は開催翌日の記事にもあったが、公募短歌を交えてあらためて選者によって語られるとまさに地域の方々と吉田類さんの素晴らしさを共有したような気になってくる。これこそ地方新聞の責務であり特長であろう。何よりこうした楽しい選評を記す伊藤一彦さんの度量と地元愛の深さに感謝である。
短歌でつながる地域の人々
コンパクトで生の顔が見える社会
地方新聞が読めるありがたき生活
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