体験で生きる奥行きを広くースポーツへの向き合い方
2021-07-26
剣道・野球・器械体操浅く広くながらそれぞれの体験が
スポーツから多くを掬い取る視点に
一つのことに専念して生きるのも悪くないが、欲張りに多様な体験をするのも悪くない。TOKYO2020で様々な競技を観ていて、こんな風に考えた。正直、2000年前後以来こんなに五輪の競技をじっくり観るのは初めてである。なぜなら修士課程を修了し博士後期課程へと研究の階梯を登る時期であり、その後も大学非常勤時代の困難さや公募採用を目指す時期へと続いたことから、意識して「スポーツ脳」から切換えを図ろうなどと考えていた。確かシドニー五輪の時のことか、ソフトボール中継があるのを振り切って研究会に出掛けた鮮明な記憶がある。今回は新型コロナ禍ということも手伝ってか、4連休はかなり久しぶりに違った脳の使い方をした感じがある。疲労も蓄積していたので、その回復にも大きな効用があった。それにしても自分の人生経験で貴重なのは、多様な体験である。できる時にできるだけ多くの体験をしておくことを、若い人にはお勧めしたい。体験は想像の幅を広げ、物の見方を大きく拡げてくれるものだからである。
幼馴染の近所の友だちの祖父が大変著名な剣術師範であったこともあり、小学校の時に2年間剣道場に通った。その前の段階で師範に指南を受けた時、その竹刀を持った立ち姿の威厳には圧倒された記憶がある。何もせずになぜこれほどに隙がないのか?そんなことを幼心に感じて、時代劇の剣術シーンの動きへの想像が拡がった。歴史小説『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)を読んだ時も、北辰一刀流の稽古シーンなどでの緊張感を肌で感じる想像力があった。中学時代は野球部に打ち込んだが、決して強くないチームをどうしたら建て直せるか?という意識のもと「チームとは何か?」ということを主将であった親友と副主将としてよく話し合っていた。その経験が高校教員になって「野球経験のない女子にソフトボールを教える」際に大いに役立った。またグランドのない高校では野球を続ける意義を感じなかったので、素晴らしい体育館のあった器械体操部に転向した。野球で増加した体重を落とすことや俊敏な身のこなしを体得し、身体を芸術的に美しく見せる意識が根付いた。短歌もそうであるが芸術領域でも「身体性」を視点に考えたくなるのは、この体験の影響も大きい。体験したスポーツ三競技はいずれも異質な声の出し方をしたもので、自ずと声も鍛えらえたのだろう。この多様な体験が自分の生きる奥行きを拡げてくれたのが、今回ははっきりと自覚できたのである。
ものの見方と考え方
体験する場に立たされることの意味
これからもできる限りの体験を、などと考えさせられる五輪である。
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