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TOKYO2020開会式への思い

2021-07-24
「いま この時を生きて」
東京1964からの思いをいまに
様々なドタバタの中で実行したスタッフに感謝しつつ

TOKYO2020開会式が行われた。コロナ禍での開催への賛否、根本的に開催地選択の考え方や誘致段階の疑念、競技場建設の混乱、エンブレム問題やJOC会長にはじまり担当演出家・音楽家などの辞任、ともかく我々にとってこの五輪開催は何のためにあるのだろか?という疑問が10年以上にわたって燻り続け終着駅に到着した感じがした。この開会式を観るための心のもち様として、どうしても「東京1964」からの「時間の距離」という思いを抱く。1964年10月10日快晴であった「あの日」には新生児で9ヶ月目であった自分を思う。いま「思う」と書いたが、もちろん記憶があるわけではない。記憶にある「生まれた家の白黒TV」の前で、きっと母に抱かれている新生児がわからないと承知の上で、家族らに「東京オリンピック始まるよ!」などと声を掛けられている光景を想像するだけだ。物心つくようになって、古関裕而作曲の「オリンピックマーチ」に乗って日本選手団が入場する姿や、聖火に点火される光景が自らの生誕の年であったと自らで「物語」を創ってきた訳である。あらためてその1964年が、かの大戦から19年しか経過していないことに驚かされながらである。

長い間、東京に住んできた父母とともに、いまは宮崎でTOKYO2020を観るという感慨もある。きっと国立競技場に上がる花火やドローンが自宅から見えたかもしれない、などと実家の屋上や住んでいたマンションのベランダからの光景を想像する。無観客でありながら競技場周辺の駅では尋常ではない混雑であったとも報じられているが、あらためて東京の特権的な妄想を抱いた人口集中度の異常さを思わざるを得ない。潔く宮崎の地からTV中継で観ることの自然さと客観性を自覚し、すっかり納得している自分がいる。この記憶を妻と二人で脳裏に刻みつけていることに、未来への希望を見出すのである。MISIAの国歌独唱から思うのは、『古今和歌集』では「わが君」という初句になっていて、「自らが敬愛する人」の命が永遠たれと祈る歌だということ。妻や親子と親愛なる人々との関係が豊かであれと常に僕は願う。選手らの入場に際して、妻は世界地図を見ながら「この国は何処だ」と確かめる。僕もどの程度に自分が把握できているか?など問い返しながら、多くの人々がスポーツに取り組み世界が平和であることを願うばかり。この場面を観ることで、紛争も兵器も政治的な諍いがいかに愚かなことかが自覚されるはずなのだが。クライマックスは聖火台の点火、競技場内でリレーする役割に長嶋茂雄さん・王貞治さん・松井秀喜さんが登場したのにはいささか驚いた。2004年アテネ大会で野球代表の監督を務めるはずであった長嶋さんは、直前で脳梗塞で倒れ念願が叶わなかった。その後の人並み外れたリハビリの末、回復されて公の場にも姿が見せられるようにはなった。昨夜の場面もご本人の強い意志なのであろうか、「国民栄誉賞」受賞のお三方を起用する采配の思考が気にならなくもない。

長たるものが「実」のない話をするのはいづこも同じ
東京1964以後、豊かになる昭和で育てられた僕たち
ゆえにTOKYO2020から何を学び未来を創ればいいのだろう。


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