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学位をもったソフトボール部顧問

2021-07-22
ただただソフトボールが観たいゆえ
試合の状況を冷静にひとりTV観戦
ソフトボールに夢中になっていたあの頃

「東京五輪が」を主語とすることなく、「ソフトボールが始まった」という思いで講義のないこの日の午前は「日本対豪州」の試合をTV観戦した。先発投手は北京2008の栄冠の立役者・上野由岐子さんだ。北京以降は五輪開催国が欧州・南米であったせい(*ソフトボールの競技人口が極端に少ない地域・だいたい世界でも競技人口の多い国は限られる)もあり「ソフトボール」が正式種目から外れるという悲運の中、13年ぶりに世界のマウンドに帰ってきたというわけだ。初回、立ち上がりは慎重に丁寧になりすぎた投球、四球などで走者を満塁と貯めてしまっての死球。これは豪州の右打者が打ちに行く動きを見せながら、右肘にボールが当たっての判定。たぶん日本の審判であれば、その動作から「死球」とは判定しなかったのではないかと思う。上野さんの表情にもそんな気持ちが表れていた。しかし、2回以降は7奪三振の好投、かつての豪速球のイメージではないが、あらゆる球種を巧みに制球し打者に付け入る隙を与えない投球は見事であった。プロ野球でもそうであるが、自分の投球スタイルを年齢とともに変化させられない投手が多い。そんな中で「ドロップ系」や「チェンジアップ」を主軸とした投手としての進化は、選手としての思考の柔軟性を感じさせた。

なぜ僕が「ソフトボール」に詳しいかというと、中高教員だった20年間において担当部活動顧問を続けていたからである。2009年に学位を取得したが、そこから数年間は「学位をもったソフトボール部顧問」としてあれこれ考えさせられていた。試合など引率して炎天下で采配をしていると、片や自分はなぜ文学系の「博士号」を取得したのに、このような立場であるのだろう?という思いが絶えなかった。正直なところ、当時の部員たちにとっては「悪い顧問」でしかなかったと申し訳ない思いが逡巡する。新任1年目まだ非常勤講師であったが、同好会から部活動に昇格したばかりの「ソフトボール部」を顧問の先生があまり面倒を見なくなったという現場の事情もあり、練習に付き合うことになった。野球の経験があり大好きであった僕は、ボールも投げられない女子部員が試合に出て勝てるようになるまでの過程に、崇高な「成長物語」を体感したのだった。折しもソフトボール好きや経験者が入部してきて支部大会を突破して都大会まで進むようになった。野球とは違うソフトボール独特の投球や戦術に戸惑いながら、他校の顧問の先生らから多くを学び若き教員としてその時にしかできない「青春」時代を味わうことができた。時に地区大会の責任者を務めたり、高体連の役員に名を連ねたこともある。当時の先生方には誠に申し訳ない思いもあるが、僕は「文学研究」という人生の道を選ぶことになる。人生に欲張りであるのは罪なことなのだろうか?などという思いを持ちながら、僕は今回の「ソフトボール」に世界で僕だけの思いをもってTV観戦しようと思っている。

あくまで競技を緻密に
その魅力を見極めたいがため
ソフトボール部顧問としての学びは、時折「教師論」として学生に話している。


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