調べればよい時代にーわからないこともある
2021-07-31
すぐに調べるのはよい習慣ながらスマホで信憑性の定かでない情報に依存していないか
ルールは知っておかないと試合はできない
この約10年ほどの間に、スマホで調べることが日常化した。飲食店もその評判も、行きたい場所も、最新のニュースも、緊急な情報まで、ほぼスマホで調べるのが早いのは確かだ。僕自身は仕事上、総合辞書・事典類データベース「Japan Knowledge Personal」を契約しており、年間22000円の料金を支払い、膨大な数の辞書・事典をWebを介してスマホに格納しいつでもどこでも持ち運んでいる。講義・演習・ゼミ中に学生の発表や発言について調べたくなることがあり、スマホを操作することがあるが、その光景を学生は「先生も同じ!」という安堵感のある目をして僕を見ている。その目を感じた際にはいつも、「年間22000円の契約サイト」であることを告げると、学生たちは「高い!」と驚きの表情を浮かべる。「月々約1800円でこの教室に収まりきれないほどの信頼性のある辞書類をスマホ内で持ち運べる!なんと安いではないか!」と僕は切り返す。書籍・データベース・Web情報の価値の問題を浮き彫りにするやり取りとして、執拗に学生たちに訴える内容だ。
「上中古文学史」の講義では1年生ということもあるが、学生たちに「覚え込む」ことから「関連を考える」思考に変化させることに苦心している。中高の学習や大学・高校入試を経験してきた学生は「学習=暗記」という意識からなかなか脱しない。例えば、成立年次の定かでない作品などにおいても、「どのように答えを書いたらよいか」といった感覚が拭い去れない。もとより「成立」そのものが一回性であるわけでもなく、和歌の原資料とか伝承・説話的なものが集約され編纂され次第に現在認識できる作品形態になったという理解を、「入試的正解主義学力観」は許さないというわけだ。現代語訳などでも「スマホで検索したら」と平然と言う学生もいて、既に現役学生世代で「調べる」という行為は「図書館」ではなく「スマホ」になっている。本学の図書館でも前述した「Japan Knowledge」が館内の端末で利用できることは告知するのだが、果たしてどれほどの学生が調べているか疑わしい。(少なくともゼミ生は卒論などの際には調べている)さらによくないのは、「調べればわかる時代」だという社会に甘えてしまうこと。教員になって「古典」の授業をする際の「基礎体力」として「文学史」は欠かせない。運動競技ならば、少なくとも「ルール」を試合の際に調べていてはプレーはできない。試合中のどのような状況変化にも対応できる力、「系統立てた思考」が意識せずに動作化できるか、比喩的にそんな力を「中高国語教員免許状」の基礎体力と考えたいと思っている。
「正解=事実」否、
すべてが「解釈」という相対化の中に
この世にはわからないこともある、が常識ではなくなる虚飾社会にしてはなるまい。
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やがて苦難の真夏かな
2021-07-30
「おもしろうてやがて哀しき鵜舟かな」(芭蕉)非日常に浸る祭典が終わった時に何が待っているのか?
あらためて先の見えない世界であるといふこと
TOKYO2020が開幕して1週間が経過した。4連休に始まり特に思い入れのある競技については、選手たちの真摯な姿から多くを学ばせてもらっている。1年前の延期から予定が定まらぬ未曾有の今回の五輪大会に向けて、ただひたすら自らのコンディションを保ち最善の力が発揮できるように準備をしてきた選手たちには、深い敬意を表したいとと思う。あくまで「結果」であるメダルやその色ではなく、選手たちがどれほどに想像を超える「凄いこと」をしているのか、その質を丁寧に見極めたいものだ。メディアの喧伝も特にTVに関して言えば、「五輪一色」になりつつある。過去の五輪の際にも痛感していたことだが、なぜこの国の住民は祭典があると狂瀾的に舞い上がるのだろう?クリスマスもバレンタインも、最近ではハロウィンでもそうだ。とりわけ「西洋の容れ物」を崇め奉り、横並びで「狂瀾モード」に入ってしまう。秋頃には刊行する新著では、この問題を短歌に寄せて明らかにしようと試みた。こうした「西洋の容れ物」を統合したような祭典に、酔い痴れている自らも省みつつある。クリスマスが終わればその年が残り僅かである焦燥感に襲われるように、この祭典に酔い痴れてばかりでいいものか?あらためて「現実」が我々の眼の前にある。
新型コロナ感染者数は全国で過去最大の1万人超。特に僕のふるさとである東京をはじめとする一都三県での感染者数は、予測を遥かに超えるペースで増加の一途である。過去の波と同様に、都市部で拡大すれば必然的に地方へも波及し、全国的にかなり厳しい状況が窺える。今までの波の高さを遥かに超える大波になるであろう「第五波」を、我々は既に浴び始めている感覚だ。「第4波」までは、前述したような「国民的な横並び主義」によって、「マスク・手洗い・三密回避」などがかなりの「狂瀾的盛り上がり」によって成し遂げられていたのではないかと思う。「欧米に比べれば」と云う根拠のない安堵感を持ちつつ、日本の教育が培った「集団一斉同調」がある程度の効力を発揮したと考えてよいように思う。「行動規制(校則)」とあまり説得力のない「呼びかけ」にも全校児童や生徒が己を殺して寡黙に従うのと同様に、「ツーブロックの髪型」や「色付きの下着」を「悪」だと根拠なく規制するかのように、性善説に依存しつつ「酒」のみを「悪者」に仕立て上げて、真に波を超えようとする手段なき難航に目を瞑るばかり。こうした現状でありながら、「クリスマス・バレンタイン・ハロウィン」を束ねたような祭典がこの国で開催されつつある。くり返すが、国と地域を問わず選手たちの各競技への取り組みは、あまりにも尊い。だからこそである、開催国である此処では感染拡大が起きないような1年半の準備が必要であったはずだ。今更言っても、ではあるのだが、冒頭の芭蕉の句にある「やがて哀しき」では済まない近未来を僕らはどのように超えて行けばよいのだろう?
ワクチンをはじめとしていかに超えるか?
あらためて「現実」を見据えつつ前に歩むには
「波高し都は遠くなりにけり」(宮崎にて)
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ヒザ・ゲタ・着地ー体操競技に日本の夢よもう一度
2021-07-29
体操部の先生の口癖「ヒザ!」「ゲタ!」「着地!」
言語芸術たる短歌の結句にも通ずる演技構成
TOKYO2020体操競技男子個人総合で、19歳の橋本大輝さんが優勝を成し遂げた。個人総合での五輪優勝は、1964年(昭和39)の東京五輪で遠藤幸雄さん・1968年(昭和43)メキシコ・1972年(昭和47)ミュンヘンの2大会連続で加藤沢男さん、1984年(昭和59)ロス大会の具志堅幸司さん、2012年(平成24)ロンドン・2016年(平成28)リオデジャネイロの2大会連続で内村航平さんと、過去に4人の金メダリストが歴史に刻まれている。特に加藤沢男さんと内村航平さんの2連覇という偉業には、あらためて敬服をしたい。連覇という意味では、前2大会の内村さんに続き、今回の橋本さんで3連覇という快挙ということになる。また個人総合でなくとも、日本体操の初の金メダルは、1956年(昭和31)メルボルン大会での鉄棒で小野喬さん、1960年(昭和35)のローマ大会と2連覇し、1964年(昭和39)東京大会では団体総合優勝に導いた。「鬼に金棒、小野に鉄棒」とは当時の流行語になったと聞くが、戦後復興の厳しい時代に「体操日本」の礎を築いた小野喬さんの功績はあまりにも偉大である。実は僕自身は小野喬さんのご子息を高校で担任をしたことがあり、保護者会の面談で緊張のご対面を果たした経験がある。今回のTOKYO2020にあたり、ご子息とのやり取りで小野喬さんもお元気で体操競技をご覧になっていると知る機会があり、面談時のお話を思い返しながら体操日本の歴史を身近に感じ取る幸運な出逢いをあらためて噛み締めた。
さて、小野喬さんを保護者として面談する際にも、まずは僕自身が高校時代に器械体操をしていたことを明かした。ご子息はサッカーで頑張っていたのだが、僕の次元は違い過ぎるが同じ競技に取り組んだという親近感から、ご子息の進路面での話題などもスムーズにいったように記憶する。僕自身が体操部の頃の印象深い記憶としては、顧問の先生が常に「ヒザ!ゲタ!着地!」とくり返し指導してくれたことだ。中学時代から野球部上がりの僕は、なかなか「美しく演技する」という意識にはなれなかった。「ただやればいいのではない!綺麗に演技せよ!」というまったく新しい競技観に目覚めたのであった。先生はよく「加藤沢男のつま先を見よ!」と言っていた。空中での回転する際の姿勢でも、つま先まで伸びているのが日本の体操なのだと教えられた。昨夜も橋本大輝さんは平行棒や鉄棒の得点で大逆転を成し遂げたが、やはりどんな難易度の技であっても、空中姿勢で足が割れたりヒザが曲がったりつま先が「ゲタ(先が伸びずに手前方向に折れて下駄を履くようになっていることから)」になることはほとんどなかった。この点に関しては、内村航平さんの脚線の素晴らしさを継承していると言えるかもしれない。体操日本の多くの先輩たちを継承しつつ、新たな時代の担い手が登場してきた。リオデジャネイロで内村さんが個人総合を優勝したのを、中学校3年生として見守っていたと云う。夢は現実化する。小野喬さんに始まる体操のレジェンドが、いま日本社会が失っている夢を思い起こさせてくれるのだ。
惜しくも5位入賞の北園丈琉さんも怪我を乗り越えての健闘!
緻密・精度・堅実、そして美しさ
僕がいま、言葉の美を求めて演技をすることを奮い立たせてくれた。
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ショートストップの栄冠ーTOKYO2020ソフトボール競技に寄せて
2021-07-28
ソフトボール日本代表優勝もちろん投手・上野さんも偉大であるが
ショートストップ・渥美万奈さんの守備による栄冠
ソフトボール日本代表が、五輪決勝で米国を2対0で下し金メダルを獲得した。2008年北京大会でも決勝で米国を制しての優勝であったが、その後の2012ロンドン五輪・2016リオ五輪でソフトボールが正式種目ではなくなってしまい、日本のソフトボールは13年の時を待たねばならなくなった。その間、複雑な思いで現役投手を続けていたであろう上野由岐子投手は、2019年には試合で打球が顔面直撃などの不運にも見舞われたが、見事にこのTOKYO2020で13年前とは違うスタイルの投手として栄冠を再び掴んだ。いま「違うスタイル」と記したが、08年の際の速球(ライズ系)で抑え込むタイプではなく、コーナーに上手く制球しドロップ系やチェンジアップ系の緩急を上手く取り混ぜた「打たせて取る投球」スタイルの投手として円熟味を増したと言ったらよいだろう。昨晩の決勝も含めて、その「打たせて」を支えたのがショートストップ・渥美万奈さんの鉄壁で奇跡的な守備であった。僕自身が野球をしていた時にショートを守っていたこともあり、ソフトボールや野球では「ショートストップ」の守備こそが、チーム勝利の鍵を握ると考えている。二塁手とともに二遊間が強いチームでないと、真に勝利できるチームには仕上がらないのがソフトボールである。僕が高校教員として監督をしていた際も、まずはバッテリー、次に二遊間に能力の高い選手を起用するのが定石であった。
今回のTOKYO2020・ソフトボール競技の日本代表戦はことごとく生中継で観た。2対1で唯一敗戦した予選の米国戦を含めて、日本代表の強さの秘密は明らかに守備であった。本塁打が多く出た序盤の闘いではどうしても打撃面が話題となったが、ソフトボールは元来が「ディフェンシブ」な競技である。投手の手からボールが離れるまで走者は塁をリードできないとか、あの大きさのボールはそうそう遠くまで飛ぶものではない。「ソフト」という名称で勘違いしている人もい多いのだが、高校まではゴム製だが大学・社会人は革製で縫い目も高く硬式野球のボールと何ら変わらない硬さなのである。その上、塁間が短いので守備は一瞬のミスが許されない。TV中継の実況や映像がそこまで伝えないのだが、今回のMVPはショートストップ渥美さんだと僕は思う。三遊間の安打性を何気なく一塁で刺すこと幾度となく、バント処理後の二塁送球でアウトを取ったのち切り返しての一塁送球ダブルプレー、そして決勝で三塁手がグラブに当てて弾いた鋭い打球を好位置にバックアップしていたことで直接捕球し、すかさず飛び出した走者を二塁上でフォースアウトにしたダブルプレイ。あまりTV映像ではわからないが、いずれも打者や配給に応じた守備位置取りの妙が前提にある。名の如くこうした「ショートストップ」渥美さんの守備なくして日本代表の栄冠はなかったといってもよい。さらに言えば渥美さんは9番打者であるが、決勝の1点目の叩き付けた打球の内野安打、さらには予選リーグメキシコ戦でサヨナラ勝ちに導く走者3塁のエンドラン(これも叩いて高いバウンドの内野ゴロを打つ)など、渥美さんの打撃面の功績も忘れてはならない。力任せではない緻密かつ堅実な守備、我々日本人が世界で再び力を見せるにはどうしたらよいか?ソフトボール日本代表チームが、そのヒントを提示してくれたのである。
一球一球に根気をもって精密に守り切る
打球の可能性をデータと状況から判断し的確な位置どりを考える予知能力
米国発祥の競技を日本文化らしさを活かし新たな競技に仕立てた勝利と言ってもよいだろう。
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講義の学びスピーチから気づくこと
2021-07-27
スピーチでこそ表出する心嫌われない「古典」嫌われない「国語」であるために
講義最終週にあたり
前期講義も最終週に入った。15回目の講義でこれまで何を学んだか?〈教室〉で個々の考えを提供してもらい相互に気づきを得る時間とする。『伊勢物語』を扱う講義では、「高校生に向けて『伊勢』の魅力を語るスピーチ」を1分30秒ずつ展開してもらった。未だ「高校古典学習」には文法の丸暗記や断片的な教材の扱いから、嫌悪感を示す者が少なくないことが知られる。それを受けて大学講義でいかに古典に親しみを持てるようにするか、免許状授与機関として重要な役割があるとように思う。本来は小学校から「古典に親しむ」ということは、大きな目標になっているはずであるが、現場の実情はなかなかそうならないことが学生たちの教育経験から知られる。『伊勢物語』は「むかし男」の恋愛譚が主なるテーマとなる物語であるが、人間の「愛情」という点において、学生らには現実生活上でも響く内容が多い。高校までの「古典教育」でも、「愛」と「恋」をもっと前面に出した授業が為されるべきと思う。それにしても教員を目指す学生たちのスピーチは、なかなか訴える力があった。
「1分30秒」は、ひとまとまりのテーマを冗長にならず具体的にスピーチする単位であると考える。「×2=3分00秒」「×3=4分30秒」「×4=6分00秒」と倍加していくと、かなりの内容を主張することができる。講義では「ちびまる子ちゃん1話分(約12分)」という原則を意識するのだが、それは「6分00秒×2」という感覚である。一人の人間が同じ速度やトーンで「13分」を話すと、人々は「冗長だ」と感じるらしいのは、この五輪の開会式に対するWeb上での批判的意見でわかる。「テーマの全体像」「要点の明示」「具体例の列挙」「要点の連携」といった構成で、「1分30秒」ごとに「ギアチェンジ」する感覚が大切であるように思う。また「6分」話をしたら、聴き手が主体的に思考し発表する時間を「6分」組み合わせるとよい。こんなことを考えながら、学生らにこの「時間単位」でスピーチの感覚を身につけさせることは、教員養成として大切なことだとあらためて思う。自戒を込めて言うが「教師は話が長い」、いずれの校種でも朝礼の「話」がキツかったという経験は誰しもが持つだろう。効果的な「話す 聞く」を学生時代に意識として根付かせておく必要がある。その前提として大学教員も「冗長で主旨のわからない話」を、まずは自覚して避けなければなるまい。
スピーチに体操競技の構成の感覚を
これは一首の短歌にもいえることだろう
五輪の喧騒が巷間を覆うのだが、学生たちは期末レポートなどに必死な時期だ。
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体験で生きる奥行きを広くースポーツへの向き合い方
2021-07-26
剣道・野球・器械体操浅く広くながらそれぞれの体験が
スポーツから多くを掬い取る視点に
一つのことに専念して生きるのも悪くないが、欲張りに多様な体験をするのも悪くない。TOKYO2020で様々な競技を観ていて、こんな風に考えた。正直、2000年前後以来こんなに五輪の競技をじっくり観るのは初めてである。なぜなら修士課程を修了し博士後期課程へと研究の階梯を登る時期であり、その後も大学非常勤時代の困難さや公募採用を目指す時期へと続いたことから、意識して「スポーツ脳」から切換えを図ろうなどと考えていた。確かシドニー五輪の時のことか、ソフトボール中継があるのを振り切って研究会に出掛けた鮮明な記憶がある。今回は新型コロナ禍ということも手伝ってか、4連休はかなり久しぶりに違った脳の使い方をした感じがある。疲労も蓄積していたので、その回復にも大きな効用があった。それにしても自分の人生経験で貴重なのは、多様な体験である。できる時にできるだけ多くの体験をしておくことを、若い人にはお勧めしたい。体験は想像の幅を広げ、物の見方を大きく拡げてくれるものだからである。
幼馴染の近所の友だちの祖父が大変著名な剣術師範であったこともあり、小学校の時に2年間剣道場に通った。その前の段階で師範に指南を受けた時、その竹刀を持った立ち姿の威厳には圧倒された記憶がある。何もせずになぜこれほどに隙がないのか?そんなことを幼心に感じて、時代劇の剣術シーンの動きへの想像が拡がった。歴史小説『竜馬がゆく』(司馬遼太郎)を読んだ時も、北辰一刀流の稽古シーンなどでの緊張感を肌で感じる想像力があった。中学時代は野球部に打ち込んだが、決して強くないチームをどうしたら建て直せるか?という意識のもと「チームとは何か?」ということを主将であった親友と副主将としてよく話し合っていた。その経験が高校教員になって「野球経験のない女子にソフトボールを教える」際に大いに役立った。またグランドのない高校では野球を続ける意義を感じなかったので、素晴らしい体育館のあった器械体操部に転向した。野球で増加した体重を落とすことや俊敏な身のこなしを体得し、身体を芸術的に美しく見せる意識が根付いた。短歌もそうであるが芸術領域でも「身体性」を視点に考えたくなるのは、この体験の影響も大きい。体験したスポーツ三競技はいずれも異質な声の出し方をしたもので、自ずと声も鍛えらえたのだろう。この多様な体験が自分の生きる奥行きを拡げてくれたのが、今回ははっきりと自覚できたのである。
ものの見方と考え方
体験する場に立たされることの意味
これからもできる限りの体験を、などと考えさせられる五輪である。
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体操から学ぶことー究極の再起・修正力を讃えよう
2021-07-25
思いもよらぬ落とし穴が内村航平さんの鉄棒に学んだこと
メダルだけではない学びがスポーツにある
メダル獲得という結果のみを騒ぎ立て、競技から学べるものに目を瞑る。当該競技の映像が流れる画面に「メダル獲得」のニュース速報音が流された時、メディアのスポーツに対する次元の低すぎる意識を垣間見た。今回に始まったことではないが、五輪となると「メダル・メダル」と連呼し、それまでは注目しなかった選手でもスター扱いに豹変する。とりわけ「メダルラッシュ」などという用語には、呆れ返るばかりである。この空気感が半世紀以上にもわたりこの国のスポーツ選手を重圧で縛り付けていることから、いい加減に目覚めた方がよい。このTOKYO2020こそが、そんな意識改革が成される大会と信じたいと思っている。体操男子初日の競技で鉄棒のみに専念して出場した内村航平さんが、落下してしまい予選通過ができなくなった。もちろん彼自身も、頂点を目指しての挑戦であったのは確かであろう。本来なら動揺を抑えることができないはずの競技後のインタビューにも、冷静に自らを客観視するように語っていたのが印象的だ。同時進行で競技していた若き日本代表チームに動揺が伝播しないようなその後の振る舞いなどは、TVでは映らない部分だが、たぶん彼なりの十分な配慮の元での言動であったことは想像に難くない。
内村さんの競技を見て学んだのは、幾度となく配した「離れ技」での落下ではなく、車輪中のひねりを加える技によるそれだったこと。最も落下の可能性が高い「離れ技」は全て完璧に遂行したといってよい。たぶん本人も練習時の「通し」において、今回に落下した部分で失敗したことは一度もなかったのではないかとさえ思う。だが「落とし穴」というのは、そんなところにあるものだ。車輪中のひねり技とて、決して簡単なものではない。だが演技の構成としては、後半の「離れ技」や「降り技」に向けて気持ちを向ける部分でもあるだろう。向き合う「いま」の技を丁寧に着実にくり返すしかない体操演技において、先を予見した思考は禁物であるように思うのである。百戦錬磨の内村さんが、そのようであったとは言わないが「ミス」とは普遍的にそんな箇所で起きるものである。だが何より内村さんを世界一の体操選手として讃えるべきは、落下後の演技である。他人では想像できないほどの落胆があるだろうに、まったくそんな様子もなく完璧ともいえる演技で着地も微動だにせずに止めた。その演技には「無意識の底知れぬ境地」のようなものを感じ取れた。実は僕自身も高校3年間は、部活動で器械体操に挑んでいた。次元は違い過ぎるが、試合で演技が「通った」(落下・静止などなく演技を一通りこなすこと)時は、その途中経過が記憶にないほどの境地であったことを記憶している。分野は違うが現在の職業でいうならば、講演などで自らの流れで乗った話ができた時、その途中経過が記憶に刻まれないのと似ている。「作為」の言動ではなく、無意識に身体と脳に刻まれた「自己」が表出するのである。「芸術体操(アーティスティック・ジムナスティクス)」たる領域をいま魅せられるのは、内村さんだけだ。「失敗」という「喪失」を含み込み「美の極致」を体現できる力。いまこの国に必要なのは、メダルの順位のみに拘る栄誉ではなく、内村さんのような究極の再起・修正力なのではないか。
結果のみをとやかく言う世の中で
競技の機微に何が視えるかを見極めたい
内村航平さんの演技の自然美をもっと讃えるべきだろう。
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TOKYO2020開会式への思い
2021-07-24
「いま この時を生きて」東京1964からの思いをいまに
様々なドタバタの中で実行したスタッフに感謝しつつ
TOKYO2020開会式が行われた。コロナ禍での開催への賛否、根本的に開催地選択の考え方や誘致段階の疑念、競技場建設の混乱、エンブレム問題やJOC会長にはじまり担当演出家・音楽家などの辞任、ともかく我々にとってこの五輪開催は何のためにあるのだろか?という疑問が10年以上にわたって燻り続け終着駅に到着した感じがした。この開会式を観るための心のもち様として、どうしても「東京1964」からの「時間の距離」という思いを抱く。1964年10月10日快晴であった「あの日」には新生児で9ヶ月目であった自分を思う。いま「思う」と書いたが、もちろん記憶があるわけではない。記憶にある「生まれた家の白黒TV」の前で、きっと母に抱かれている新生児がわからないと承知の上で、家族らに「東京オリンピック始まるよ!」などと声を掛けられている光景を想像するだけだ。物心つくようになって、古関裕而作曲の「オリンピックマーチ」に乗って日本選手団が入場する姿や、聖火に点火される光景が自らの生誕の年であったと自らで「物語」を創ってきた訳である。あらためてその1964年が、かの大戦から19年しか経過していないことに驚かされながらである。
長い間、東京に住んできた父母とともに、いまは宮崎でTOKYO2020を観るという感慨もある。きっと国立競技場に上がる花火やドローンが自宅から見えたかもしれない、などと実家の屋上や住んでいたマンションのベランダからの光景を想像する。無観客でありながら競技場周辺の駅では尋常ではない混雑であったとも報じられているが、あらためて東京の特権的な妄想を抱いた人口集中度の異常さを思わざるを得ない。潔く宮崎の地からTV中継で観ることの自然さと客観性を自覚し、すっかり納得している自分がいる。この記憶を妻と二人で脳裏に刻みつけていることに、未来への希望を見出すのである。MISIAの国歌独唱から思うのは、『古今和歌集』では「わが君」という初句になっていて、「自らが敬愛する人」の命が永遠たれと祈る歌だということ。妻や親子と親愛なる人々との関係が豊かであれと常に僕は願う。選手らの入場に際して、妻は世界地図を見ながら「この国は何処だ」と確かめる。僕もどの程度に自分が把握できているか?など問い返しながら、多くの人々がスポーツに取り組み世界が平和であることを願うばかり。この場面を観ることで、紛争も兵器も政治的な諍いがいかに愚かなことかが自覚されるはずなのだが。クライマックスは聖火台の点火、競技場内でリレーする役割に長嶋茂雄さん・王貞治さん・松井秀喜さんが登場したのにはいささか驚いた。2004年アテネ大会で野球代表の監督を務めるはずであった長嶋さんは、直前で脳梗塞で倒れ念願が叶わなかった。その後の人並み外れたリハビリの末、回復されて公の場にも姿が見せられるようにはなった。昨夜の場面もご本人の強い意志なのであろうか、「国民栄誉賞」受賞のお三方を起用する采配の思考が気にならなくもない。
長たるものが「実」のない話をするのはいづこも同じ
東京1964以後、豊かになる昭和で育てられた僕たち
ゆえにTOKYO2020から何を学び未来を創ればいいのだろう。
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勝つと思うな思えば負けよ
2021-07-23
「負けてもともとこの胸の」もとより「勝つ」とは何であろうか?
再びソフトボールから学ぶこと
世間は4連休、暦や手帳が印刷される際はまだ確定しておらず、手帳主義な僕はこの月曜日19日に祝日の感覚が拭えず、急場な感じで連休初日を迎えた。だが前期の7月前半までの忙しさが身に沁みていたので、この日はゆっくりして再びTVでソフトボールを観戦した。前日の豪州戦に比して予想通り厳しい闘いに、2008年頃の感覚だと明らかに豪州の方が強敵なのだが、メキシコ代表のチーム力は明らかに高かった。連投で上野由岐子さんが先発、前日の反省も活かして立ち上がりからさすがな投球を見せていた。5回に本塁打を浴びて1対1の同点とされるも、日本代表が1点を勝ち越した6回は走者を二塁に背負うものの中軸打線を打たせて取り最終回を迎えた。ここで多くの人は、上野さんの完投勝利を思い描いたであろう。だがメキシコベンチの選手たちはこの追い込まれた場面で試合を楽しむかのように盛り上がり、走者を出して無死一・三塁から中堅手が取れるかと思うような当たりが安打となり同点。(*中堅手が捕球するに越したことはなかったが、それでも犠牲フライとなり同点は免れなかっただろう)その後、上野さんは続投するもライズボールが主審のマスクを直撃、ここで主審が首をケアする時間を取ることになり、上野さんの投球リズムが完全に失われた。
救援登板したのは弱冠20歳の後藤さん、前日も好投はしていたがこの窮地での登板は大きな重圧があったであろう。しかし逆転のピンチを冷静かつ繊細な投球で好救援、延長タイブレーカー(*前イニングの最後の打者を走者としてイニングの最初から2塁に置いて点が入りやすくする促進ルール)に入り、無死一・三塁のとされてから三者連続三振と見事に日本代表の窮地を救った。8回裏に一死三塁から日本代表はスワップ(叩きつけるようにして高いバウンドの内野ゴロにする打法)して三塁走者がスタートするエンドランを敢行、見事に本塁に滑り込みセーフ。誠にソフトボールらしい決勝点のもぎ取り方で予選リーグ2勝目を飾った。さて、この試合を見て学んだことを覚書としておこう。試合前のメディア報道も試合後のインタビューでも、「今日誕生日の上野さん」が常に語られていた。2対1で最終7イニング目も続投した上野さんのに「誕生日完投勝利」という、さも日本メディアが喜びそうな見出しをベンチまでもが妄想したことが気になる。(*監督インタビューでそんな趣旨の発言があった)一つに家族のようなチームワークであるように見える日本代表チームの「家族愛」の美談を作ろうとしたのは確かだろう。だが冷静に試合を見つめれば、連投で微妙に疲れの見える上野さんを「完投主義」で続投させた判断は、今後の米国・カナダなどとの試合での「誤ち」につながらないのだろうか?好救援の後藤投手にこれだけ抑えられる力量が首脳陣に見極められていたなら、7回当初からの登板の可能性も探るべきではなかったのか。あくまで「結果オーライ」でこの試合を勝利したことを、日本代表は省みておくべきだろう。あらためて、最終7回を1点差で「勝つ」と思い込んだ油断に恐さがある。前述したように劣勢でもベンチで選手たちが楽しんでいたメキシコ代表の心にも、多くを学ぶべきではないか。
美空ひばり「柔」には
「せめ今宵は人間らしく 恋の涙を 恋の涙を 噛みしめる」こんな歌詞もある。
メディアが作ろうとする「物語」を注意深く拒みながらスポーツ観戦をしたいものだ。
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学位をもったソフトボール部顧問
2021-07-22
ただただソフトボールが観たいゆえ試合の状況を冷静にひとりTV観戦
ソフトボールに夢中になっていたあの頃
「東京五輪が」を主語とすることなく、「ソフトボールが始まった」という思いで講義のないこの日の午前は「日本対豪州」の試合をTV観戦した。先発投手は北京2008の栄冠の立役者・上野由岐子さんだ。北京以降は五輪開催国が欧州・南米であったせい(*ソフトボールの競技人口が極端に少ない地域・だいたい世界でも競技人口の多い国は限られる)もあり「ソフトボール」が正式種目から外れるという悲運の中、13年ぶりに世界のマウンドに帰ってきたというわけだ。初回、立ち上がりは慎重に丁寧になりすぎた投球、四球などで走者を満塁と貯めてしまっての死球。これは豪州の右打者が打ちに行く動きを見せながら、右肘にボールが当たっての判定。たぶん日本の審判であれば、その動作から「死球」とは判定しなかったのではないかと思う。上野さんの表情にもそんな気持ちが表れていた。しかし、2回以降は7奪三振の好投、かつての豪速球のイメージではないが、あらゆる球種を巧みに制球し打者に付け入る隙を与えない投球は見事であった。プロ野球でもそうであるが、自分の投球スタイルを年齢とともに変化させられない投手が多い。そんな中で「ドロップ系」や「チェンジアップ」を主軸とした投手としての進化は、選手としての思考の柔軟性を感じさせた。
なぜ僕が「ソフトボール」に詳しいかというと、中高教員だった20年間において担当部活動顧問を続けていたからである。2009年に学位を取得したが、そこから数年間は「学位をもったソフトボール部顧問」としてあれこれ考えさせられていた。試合など引率して炎天下で采配をしていると、片や自分はなぜ文学系の「博士号」を取得したのに、このような立場であるのだろう?という思いが絶えなかった。正直なところ、当時の部員たちにとっては「悪い顧問」でしかなかったと申し訳ない思いが逡巡する。新任1年目まだ非常勤講師であったが、同好会から部活動に昇格したばかりの「ソフトボール部」を顧問の先生があまり面倒を見なくなったという現場の事情もあり、練習に付き合うことになった。野球の経験があり大好きであった僕は、ボールも投げられない女子部員が試合に出て勝てるようになるまでの過程に、崇高な「成長物語」を体感したのだった。折しもソフトボール好きや経験者が入部してきて支部大会を突破して都大会まで進むようになった。野球とは違うソフトボール独特の投球や戦術に戸惑いながら、他校の顧問の先生らから多くを学び若き教員としてその時にしかできない「青春」時代を味わうことができた。時に地区大会の責任者を務めたり、高体連の役員に名を連ねたこともある。当時の先生方には誠に申し訳ない思いもあるが、僕は「文学研究」という人生の道を選ぶことになる。人生に欲張りであるのは罪なことなのだろうか?などという思いを持ちながら、僕は今回の「ソフトボール」に世界で僕だけの思いをもってTV観戦しようと思っている。
あくまで競技を緻密に
その魅力を見極めたいがため
ソフトボール部顧問としての学びは、時折「教師論」として学生に話している。
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