手紙を書く気持ちで
2021-06-30
相手の立場になるためには「真の手紙は、その本性からして、詩的なものである。」
(ドイツ・ノヴァーリス『花粉』より)
真に相手に気持ちを伝えるためには、どうしたらよいか?月並みに「相手の立場になる」というが、それはどういうことなのだろう?少なくとも、よく学生らに話すことはこうだ。自分がどんなに上手く話したつもりでも、あくまで独りよがりに過ぎない。相手の反応を伺うようにして話したとしても、十分に伝わったかは疑わしい。よく講演などで大きく頷いて聞いている方の理解の度合いは、むしろ低い場合が多い。最終的に「伝わる」ということは「聞き手の中に価値ある意味を生成できるかどうか」にあるということ。大学講義であるならば、学生らに当事者意識を持たせて「意味生成」が成されれば、学生らは居眠りすることはない。よい書き手の文章は誰が読んでも「分かりやすい」と感じるのは、多くの人の中で「意味生成」がしやすいものであるということだ。それは簡単なことのようで、深く意識しないとできないことである。
相手の立場を思う想像力、例えば「この人はなぜ遅れてしまうのか?」を考えた時、「厳しく責任ある仕事を終えてから来るのだ」と想像すれば、「待つこと」は苦痛ではない。むしろ「途中の車の運転などに注意して慌てないで来なさいよ」と伝えたくなる。もしその人が「仕事にも無責任」であったり、「制限速度を違反してこちらへ向かっている」としたら、「時間を守る」ことの意味は無いに等しいだろう。「愛情を持って信じる」とは、そういうことだろう。僕が大学学部卒業後に高校教員となった初任校でお世話になった先生から、「あなたは生徒らの側に立って物事を考えている」と言われたことが記憶にある。初任時などは所謂「舐められまい」として、「教師側の権力」を生徒らに押し付けがちだ。だが僕は自分が高校の時に「(権力を)押し付けられた」経験があったので「生徒の側」で物事を考えることが自然とできたのだろう。教師は何とも思わずとも、生徒側からすれば「深刻な大問題」であることも少なくない。詩歌など文学を「よむ(読む・詠む)」ということは、これと同じだろう。書き手・読み手の立場になれるかどうか?僕が「国語」を専攻し研究しようと思った大きな理由は、こんな要因が大きかったのだと今にして思うのである。
短歌は手紙
すでに見えない誰かにも届くコトバ
ある意味で教育現場の基本でもある。
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