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学校にもの読める声の

2021-06-03
公立学校応用実習
子どもらの素朴な心に救われて
地域の教育を創るということ

昨年度は新型コロナ感染拡大で春先からの全国一斉休校ということもあり、この時期に行われる学部4年生の教育実習が中止になった。文科省も特例として、大学講義単位で「実習」の単位を置き換えることができる措置を取った。この時期の4年生の実習は公立学校での応用と位置付けられ、教員養成4年間の学びの集大成である。採用試験前に志望意識を高め、二次試験に向けて現場での授業実践そのものが大きな対策となる。その「仕上げ」ができなかった昨年度卒業生にとっては心残りが多かったことだろう。現在も昨年の今頃に比べて、決して感染状況がよくなったわけではない。むしろ変異や若年層の感染は現在の方がリスクは高い。もちろん十分な感染対策をした上で、ゼミ生の応用実習の当該校を訪問した。

まずは校長室で会話をしていると、意外な出逢いに気づいた。2年前の9月「牧水祭」で僕が対談をした際に、どうやら当校の校長先生が列席していたという。これこそが「日向市」の学校の大きな意義でもあろう。しばらくすると実習生の担当クラスの児童2名が、校長室まで迎えに来てくれた。「牧水の歌を知っている?」などと会話しながら、教室まで楽しく3人で歩んだ。当校はゼミ生の母校、日向市の学校では朝の時間に「牧水短歌」の朗詠(現在は飛沫対策で音声を聞くだけらしい)を実践している。ゼミ生もその頃からの馴染みもあって、現在は卒論テーマに「牧水短歌」を選んでいる。こうした教育の縦の繋がりというものは、誠に大切なことだろう。授業が始まるとマスクをしつつも、子どもらの「もの読める声」が聞けた。あくまで素朴に、ことばを楽しむように声を出す。塾による学力観のみが偏向する都会にない豊かな心が育っている。ゼミ生の素直でひたむきな姿勢は、こうして創られて来たのだと納得した。あらためて「学校には何が必要か?」を研究授業によって深く考えさせられた。

授業後も他の児童2名が校長室まで
大学から高速道路を使い片道1時間
牧水の心が漂ふ日向市が好きだ。


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