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教師嫌いからの旅立ち

2021-06-01
視野が狭く社会性が無い
「教師になどなるな」と言う親の言葉
こんな授業でいいのか?という嫌悪からの始発

中学校・高等学校での経験から大学に至るまで「教師」という仕事に就いて、心底よかったと思っている。どれだけ多くの生徒・学生らと出逢い、たくさんの喜怒哀楽をともにし、自らを育ててもらって来たか。そんな人生経験を賭して「この素晴らしい教師という職業に就きなさい」と自信をもって勧めている。自分が教えたい人生の素晴らしさ、文学と出逢うことの気高さ、そして生身の人々と心を交わす豊かさ。などと考えると、やはり僕にとって教師は天職であったのかと思う。しかし、こうした選択は最初から一直線であった訳ではないのも確かだ。子どもの頃から商家を営む父母には、「先生などになってはいけない、視野が狭いから」と言った趣旨のことを常々言われていた。始発の時点から「否定」があったのだが、むしろそれが「教師」に向かう大きな動機に作用した気もする。

母方の親戚には教師が多い。時にそちらの血統を引いたのかと強く意識することがある。その一方で父母の会社経営を幼少の頃から見て来て、日々が闘いであるような実感がある。教師は思い込みで上から物を言えば済むが、「お客様」相手の商売はそうはいかない。常に自らの仕事への姿勢が検証・評価され、「不可」となれば「お客様」は離れてしまう。信頼が築かれなくては、生活が成り立たない「プロ」なのである。だがある時考えた、「教師もプロのはずだ」と。そして様々な分野で「真の教師」に巡り会うべく行動した。中学校・高等学校では素晴らしい先生も僅かにいたが、「プロ」として疑問を持つ人も少なくなかった。当時から生意気にも「自分ならばこのように授業をする」という意識をいつも持っていた。恋愛や結婚の秘訣は双方の「ダメ過ぎるところ」を理解することだ。という意味からすると、僕はむしろ「教師嫌い」から始発したことに大きな意義があった。教員養成学部の教師として思う、入学前の高校生らを含めて「教師嫌い」の人材こそが教育を変えていくのであると。

自分の教育経験を相対化せよ
教師然とだけしていたら教師は育たず
個々の様々な人生を照らすべし


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