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寄席の粋な意地を讃える

2021-04-26
「社会生活に必要なもの」として
都からの要請文には「社会生活の維持に必要なものを除く」と
もはや噺のネタのような社会である

東京に四軒ある寄席、在住時には中でも上野「鈴本演芸場」には足繁く通っていた。宮崎移住後も東京へ行く機会ごとに、なるべく寄れるなら足を運んでいた。ある時、タクシーに飛び乗り「上野鈴本まで」と言ったら、運転手が「鈴本って何ですか?」と応じたことに甚だ幻滅したことがある。一時期から東京のタクシーが運転手不足で転職等での新人も多いとは聞いていたが、少なくとも都内を走るなら主な遊興施設ぐらいは覚えておいて欲しかった。それでも落語ブームの再来もあり、昨年からの新型コロナ禍でもYouTube配信を試みるなど頑張って経営しようという意地のあるところを応援していた。それがこの度の三度目の緊急事態宣言にあたり、冒頭に記したような主張で「無観客に応じない決断」をしたのだと云う。東京寄席組合・落語協会・落語芸術協会が協議しての結論らしい。

落語等の演芸・舞台の芝居・映画などは「遊興」、ゆえに「社会生活に必要がない」と果たして言えるのだろうか?これはどこか国語教育の上で「文学は必要か?」などと云う議論が展開してしまう世知辛さと同線上の社会における文化的後退であると思う。この日曜日にTVを観ていると「ヘイトクライム」の問題を論じていたが、政治による社会の分断とともに、文化的なものへの意識の後退が大きな要因になっているとの指摘をする論者がいた。落語では「与太郎噺」を始めとして、江戸時代に由来する人情が弱者を包容する社会の温かさが描かれている。御治世の社会に矛盾があれば、それを逆手にとって笑いに転じ乗り越えようとする江戸っ子の意地も見える。親友の落語家は、現状の社会を「禁酒番屋」だと演目に擬えていた。自らの愚かさに対する意識の低さこそが、文化的水準を左右する。「学校」でも「生活に必要なものを教えよ」と号令がかかるが、否、「人生に必要なもの」と言い換えてもらいたいものだ。

昨日の「酒」に続き「落語」なども
僕自身が愛好している「文化」のあるところ
健全な社会にはいつも「笑い」があるものだが・・・


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