自然の演ずる芝居ー創発読書会Vol4
2021-04-20
「自然の演ずる芝居はつねに新しい。なぜなら彼女はつねに新しい客をつくり出すからである。」
(『自然ー断章』より)
附属図書館の活動として行なっている「創発読書会」も数えること第4回目、「ゲーテらしきもの」の手による『自然ー断章』をスローリーディングしてきている。この日は冒頭に「学校らしくない話題をすべき」といった趣旨の雑談があった。小中高の「国語」は明らかにそうであるが、「学校らしい」対話にしか発展しない傾向がある。規律正しく実直というか、「学校」にある一種の「道徳」の枠内に収めようとする矮小な話題に終始するということである。だが果たして「文学の学び」は、それでどれほどの達成を見るだろうかと疑問が尽きない。「教師ー学生」という相互の仮面を剥ぐことで、初めて見えるものがあるはずだ。人は誰しも多様な「人格の仮面」を被っている。「教師」「学生」「家族」「部員」「バイト」「町内会」等々、その「仮面」を一枚一枚剥いだら、どんな「顔」が残ると言うのであろう。
冒頭に引用した一節が、大きな話題となった。「演ずる」とは何か?この国では「演ずる」「芝居する」という言葉そのものに偏見があり、「人を騙す」とか「真の自分を隠す」といった負の趣旨で使用されるのが一般的だ。欧米の教育では「文学」を学ぶと、必ずその内容を「演じてみよう」という課題がある。「文学」に対して遠目から「学校」という「正義」の枠内での対話よりも、「文学の現場」を自ら体験する学びに利があるのは明らかだ。「演じる」とは、他者の気持ちになって未知の状況を想像上で経験することだ。我々は「自然」のことを何もわかっていない。ゆえに「自然の演ずる芝居はいつも新しい。」わけだ。「客」とのその場限りの「ライブ性」の中に生きてこそ「自然」ということになる。文章はその後に「生命は彼女のもっともすばらしい発明である。」と続く。もとより「自然」による「芝居」の中に生かされている「生命」、「豊かな自然が好きだ」と口ばかりではなく自らの身体を賭して「演じて」みるべきなのである。
牧水は短歌の響きの中に演じた
溺愛を演じ酒呑みを演じ旅人を演じた
次回の創発読書会は、参加学生さんの創作小説を読むことになった。
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