海は広いな大きいが
2021-04-14
トリチウムの海洋放出「風評被害?」「科学的根拠?」
五輪招致の際には「制御下」と喧伝していたが
九州・沖縄地方で海岸に打ち上げられるゴミの類を漁れば、必ずといってよいほどに東アジア諸国のものと思われるものに出会う。海流や潮目の影響で、海は常に大きく動いている。そのゴミの類にプラスチック製品が溢れ、世界的な海洋汚染が深刻であることに僕らはどれほどの意識を持っているだろう。目に見えない「マイクロプラスチック」が生態系に影響し、やがて人類にも多大な悪影響を及ぼすのではないかと懸念が深まる。「目に見えない」という意味では、福島第一原発の放射性汚染水の海洋放出は本当に世界的に「容認」されることなのだろうか?と甚だ懐疑的になる。「WHO基準の飲料水」だとか、「世界のどこの原発でも行なっている」と聞かされると、その基準や原発そのものが問題だと思うのであるが。
「科学的根拠」とは言うものの、その情報公開が十分に科学的で公正公平だとはあまり思えない。単純に子どもが考えても、今まで「汚染水」と言ってタンクに貯蔵し投棄はためらっていたものを、「貯蔵が限界」だからという理由で「薄めて投棄」する理屈が「科学的」に説明できるのだろうか?また「風評被害対策」などと言うのも、本質的に「風評」なのかどうか?の「科学的根拠」は示されているのか?もとより「薄めて海に」と言うのは海洋で再結合などしないのか?など「科学を知らない」素人は馬鹿と言われるかもしれないが、不安ばかりが頭をよぎる。「貯蔵」という方針を「投棄」に変更したことで、五輪招致時に「アンダーコントロール」と豪語したことに嘘はないのだろうか?(投棄は2年後からというが)それを「制御」だと言い通すのは、少なくとも日本語の上では無理があるのではないか。
マイクロプラスチックが
何年も後に問題化するように
母なる海を穢す人類にどんな未来が待っているのだろう。
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