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慣れれど馴れ合わずー新型コロナ1年の新年度

2021-04-09
「慣」=「心+貫き通す」
「馴」=「馬+川のように(人に)従う」
「なれる」にも大きな違いがある

新型コロナ感染拡大が、世界を覆い尽くして1年以上が経った。昨年の今頃は、新年度の講義が予定通りに始められず右往左往していたことが思い返される。約1ヶ月遅れで講義を始めなければならなかったのは、一向にこの「新型」の正体がわからなかったからである。その後もオンライン中心の講義を余儀なくされ、大学のあり方には多くの課題が提起されている。そして1年が経過した今、果たして「新型」の正体は「わかった」のだろうかとも思う。既に第4波の入り口とも云われているが、過去からグラフの波は再拡大をくり返す図式は変わらず、次に来る波が確実に大きいのが事実だ。現状の大阪の状況などを鑑みるに、1年前よりも深刻なのではないかとさえ思う。やがてその波は、日本列島全域を覆い尽くすだろう。

我々は、マスク・手洗い・消毒液にも慣れた。既にそれを「せねばならない」ことを疎ましくも思わない。(人によるのかもしれないが)しかし、冒頭に記したように「なれた」という時に「慣れた」と「馴れた」では大きな違いがあることを知るべきだろう。「マスク・手洗い・消毒液に慣れた。」と言えば、「初めから終わりまで一つのやり方、心の働きを通す」という趣旨である。しかし、人間は往往にして「馴れて」しまう。馬には申し訳ないが、字源の上で「馬が人間に(無批判に)従う」のが「馴れる」ということ。馬ならず人間も、この「新型」の状況に「馴れて」しまっていないだろうか?いつしか1年前に正体不明のウイルスに向き合った時より、安易に対応してはいないか。政治家の中には「恐れていては何もできない」などと抜かす輩もいる。それを尻目にウイルスは変異をくり返し、さらなる正体不明になろうと進化している。しかし、人間は無策に第〜波まで「馴れて」しまうのだろうか。

「わかっている不幸」に眼を瞑る
即ち「馴れ合い」と言う
原則予防、適切に恐れることに「慣れる」ことだ。


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