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親といふこと

2021-04-05
例外なくすべての人は
親ありてこそ此処にある
「木の上に立って見る」=「親」

昨日の小欄に「命ということ」を記したが、自らの命がこの世に存在するのは「親」ありてこそなのだとあらためて思う。親の出逢い無くして、この世に存在しなかったこの命。その母と父の出逢いそのものが、地球上の確率からして奇跡とも呼ぶべきものだろう。さらには生殖段階でどれほどの大海の中での稀少な確率のうちから、自分の命が生まれたのだろう。その神秘ともいうべき確率の中から、選ばれて生じた我が命。親に対しては年齢に応じて様々な思いを抱くが、尊敬と感謝を忘れてはならない。

4月2日小欄記事に、「松明を次の人に手渡す」ことが「文学の継承」であるという村上春樹氏の弁舌を引いた。これはそのまま、親子の「命の継承」にも言い換えることができる。自らが「命の灯火」をまっとうするにあたり、また子に次の「松明」を託す。受け取った子がまた、「灯火」を消さぬように次へと繋ぐ。「親」という漢字の部品を分解すると「木」の上に「立」って「見」るとなる。いついかなる時も「親」は「子」を高いところから見ているのである。

春の雨がやまず
また一つ夜が明けて
今日はいづこへと続くのか


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