日南の春と抒情詩
2021-02-24
緋寒桜と城ヶ崎が咲き誇り暖かな陽射しの中で昼のひと時
そしてなぜ自らが抒情詩を求めているのかを再認識
朝から急に思い立って妻の実家に行くことになった。気温は裕に20度を超え、4月5月の陽気の宮崎であった。日南海岸の遠望はやや春霞がかかり、気温の高さを目で捉えることができた。この冬も巣篭もり状態であった僕の両親も伴い、日南へ向け明るい春を探しに行った趣だ。小学校の校庭で野球少年が元気に練習している様子を見ると、なぜかとても安心する。人が集まり人が声を掛け合い、一つの球(ボール)に夢中になる純朴な姿が貴重なものと思える世相である。そのような意味では、僕らが「普通に幸せ」であることを今一度見直すべき時なのかもしれない。義母の美味しい手作りランチをいただきながら、そんな幸せを実感する。帰りには棚田で有名な「酒谷」の道の駅に立ち寄る。緋寒桜や城ヶ崎という品種の花が盛るだと聞いたからだ。「酒谷」には5年以上前に「朗読ワークショップ」で小中学校を訪れたことがあった。しかし日南ダムや道の駅までは、なかなか訪れる機会はなかった。評判通り花は盛りで、既に葉桜に近い樹々も見られた。「花見」という行為自体が「普通」にできる環境も貴重になったものだ。
帰宅して夜はWOWOWで録画した谷村新司「THE SINGER」(『谷村文学2020』の曲を中心にし、コロナ禍の苦難の中、昨年のツアー予定のうち唯一9月に開催したライブ)を観た。「組曲ーいい日旅立ち・いい日旅立ち西へ」「サライ」「群青」に「グレイス」などの曲に涙が溢れた。そうだ!「昴」が発表されたのは僕が高校生の頃、「我は行く、青白き頬のままで」の歌詞に背中を押され、憧れの大学の先に煌めく星たちがあることを夢見た。今、この歳になって「チンペイさん(谷村新司さんの愛称)」の熱唱を聞いて思い出した、抒情詩を自らのライフワークにしているのは、谷村さんの影響も大きな要因であったことを。二世代上の谷村さん、一世代上の桑田佳祐さんらの歌詞は、ともに文学的で素朴に深い読みを許容する。「人は音楽なしでは生きていけない。古代でも宗教的な場面で音楽を人々は奏でたことを思えば」そんな趣旨のことをこの日の映像で谷村さんは呟いた。新たな春に自らの置かれている生活に限りない幸せを感じて生きてゆきたい。
「グレイス」という曲が生きる後押しにも
「我は行く 心の命ずるままに」
ライブが普通にできるようになる日に谷村さんの声を聞きに行きたい。
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