オンライン顔を出すのか出さぬのか?
2021-02-21
オンライン授業受講の際の映像情報「顔を映す」意味が問われている
対面ライブ空間との比較で指導者・学習者はどう変化しているのか?
研究学会でのご縁があって、ある大学附属中学校の公開研究会にオンラインで参加した。関西地方にある学校なので、通常であれば入試業務も控えたこの時期に参加するのは難しい。しかしそこはオンラインの力、自宅で10時から昼休みを挟んで14時半まで様々な勉強をさせてもらった。研究会の大きなテーマにこの1年間直面した「オンライン授業」のあり方が探究されていた。中学生などでもオンラインを駆使すれば、学校外の専門家や多様な分野の人々と、交流して学ぶことが可能になった。しかし、その学びが一方的であったり、基礎知識が欠如したり、対面では捕捉されていたことが不十分であるという問題も抱えている。小中高大すべての校種でいえることだが、「オンラインを活かす」ためには学びの質を見定めた取り組み方が求められる。
複数の公開授業が編集整理された情報で提供されたが、もちろん「国語」に参加した。昨年の秋に研究学会でパネルを共にした先生により、オンラインで古典『徒然草』を教材とした授業実践が展開された。教科書教材に「読み比べ」用の補助教材を加え、中学生が自らの体験において身近に捉えられるよう工夫がなされていた。オンラインを駆使した「話し合い」の様子も録画映像で拝見することができたが、その際にお互いの「顔を映すか否か」という点も話題に上った。また敢えて「チャット」を使用した話し合いの様子も紹介されたが、SNS時代に生きる生徒たちの日常の言語生活を上手く活用できるかどうかが大きな焦点かと感じた。提起された問題として、ネット上に情報を扱う姿勢が「深読みが困難」であるということ。その上で「自分の信じたものを疑う姿勢」など思考の新たな次元への意識が求められている。学習材として紙情報かデジタル情報かについても、一概にどちらが優位という問題ではなく、今後はいかに融合して活用するかが問われているのだろう。
受け手話し手の相互に「顔が見える」意義は?
対面時に疎かにしていたことが問われている
ライブ時にどのような関係を結んでいたかも重要であるように思う。
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