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「悪気はなかった」から問題なのだ

2021-02-12
2021年にして「女性蔑視」の思考
周囲の人が漏らす「悪気はない」発言
根本的な意識がないそのことが大きな問題

どうやら辞任ということになりそうだが、オリンピック・パラリンピック組織委員会会長のあるまじき発言は、世界にあらためてこの国の精神的な後進国ぶりを露呈してしまった。長い目で見れば1964年東京オリンピックで戦後復興の姿を示し、高度経済成長により電気製品や自動車産業などを中心にした経済活動で世界でも名だたる先進国となった。だがその威光もバブル崩壊後の「失われた10年」を経て、様々な分野での失墜が目立ち2000年以降になってより内向きさを増した延長上に、今回のような問題が露見しているようにも思う。とりわけこの20年ほどで、「グローバル化」などと叫びながら社会の根底にある思考の支柱が成熟するどころか、偏り傲慢に空洞化し蔓延り続けているような印象だ。

発言が波紋を拡げる中で会見の謝罪態度はもとより、辞任しようとする者が後継を指名して託すということそのものを世界がまた見つめている。新型コロナ禍で開催自体が危ぶまれる窮地にあって、ここでこそせいぜい50代ぐらいまでの女性こそが会長に就任すべきと思う。また辞任する会長の周囲の人々がメディアに答え口を揃えて言うことに「(本人は)悪気はなかった」がある。この擁護だか弁明の論調が通ると思っている周囲の人々の思考も大きな問題だ。「悪気がない」なら許されるのでは決してない、そのような「意識」や「思考」であることそのものが余計に問題なのだ。今でも学校の部活動からプロスポーツに至るまで、旧態依然な事例が後を絶たないのは、こうした「悪気のなさ」を容認する馴れ合いな年功序列と密室談合の体質そのものが生み出しているのではないか。当事者たちとしては、様々な「恩恵」が過去にあるのだろう。それならば尚更、「恩恵」のためにもその都度に諌める態度が必要だったはずだ。未だ多くの国民が世界の先進国だと思っているが、世界で大きく後退している思考の未成熟な社会であることを、僕たち一人ひとりが自覚せねばなるまい。

オリンピック精神の本質を
どう受け止めているかが問われている
政治的な意図にあらず、参加するアスリートたちと世界の人々のために。


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