オンライン読書会をしよう
2021-01-31
附属図書館創発企画集まれないならオンラインがあるさ
来月中旬試験明けからはじまる
附属図書館副館長として、学生らの「創発」活動の展開を導く役割がある。「主体的な活動」とはいうものの、現在は特に「お膳立て」が大事な時代と思う。僕自身が学生時代には、特に文学が盛んな学風ということもあったが、至る所で議論をしているような光景があった。語ることで不安やストレスを解消し、語ることで自らの存在価値を確かめていたのだろう。未読の書物の話題にも刺激を受けて、読書の範囲がさらに広まる効用もあった。「読書」というのは「読む」行為のみでは決して高まらず、やはり「読む」のちに「話す 聞く」活動があってこそ生きたものになるものだ。
新型コロナの感染状況が改善されない中で、手をこまねいているよりも「オンライン」を存分に活用すべきと思うようになった。「コロナ以前」になぜもっと「オンライン」を使用しなかったのか、とさえ思う。距離を超えて場所の制約もなく、自宅でリラックスな状態で何事にも参加できるのがよい。こうした利点を活かすべく、附属図書館発の「読書会」をオンラインで開催することにした。幸い数人の学生有志が参加したいと希望があり、また外国文学を専門とする同僚が深い興味を示してくれた。「読書」をするということは、決して「過去を読む」ことではない。今現在、我々が置かれた状況を当事者意識をもって「読み」「話し」「聞き」「書く」かということなのである。
書物の中に「我」を見つける
思索の杜に学生を誘うために
附属図書館に「読書の泉」を創りたい。
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ゼミ「=苗床」で伸びるために
2021-01-30
「ゼミ」=「Seminar(ゼミナール・独語)」「seminariumu(ラテン語)=苗床」の意味
若く活き活きとした穂を伸ばすために
1月末日は卒論提出〆切であるとともに、現2年生が3年生からの2年間所属する「ゼミ(研究室)」を決定し届出を提出する期限でもある。この日も「卒論が完成して教務に提出に行きます」と報告に来てくれる学生もいたが、これまでの暗中模索と対話の2年間が思い返されて感慨深かった。自らの卒論が今でも研究の基盤になっているように、大学教員は学生の人生の大きな糧に向き合っているのだとあらためて責務の重大性を思う。ゼミの2年間は学生の思考の方法や傾向にも大きな影響を及ぼし、その後の「生き方」にも少なからず示唆的である。どのような方法で卒論と向き合うかで、どんな教員として現場で働くことになるのかが直結した課題だと思うゆえである。
冒頭に記したように、僕の恩師がよく「ゼミ=ゼミナール」の意味が大切だと話していた。ドイツ語で「ゼミナール」、予備校の名称にも使用される語であるが、語源はラテン語の「セミナリウム」で「苗床」という意味がある。「ゼミ」に参加すれば、種子から芽を出しすくすくと苗として成長していくべき場である。僕自身は恩師のお陰をもって、大学受験も研究への問題意識も多様に成長させてもらった。のみならず「人としていかに生きるか」を考え、その基礎を養う場ではないかと体験的に思う。単に卒論のみならず多様な世界と出逢う機会に繋ぐ、生きるための交流の場でもある。卒論を書き終えたゼミ生との関係性を思うに、そんな成長こそが何よりも嬉しい。
今年も指導教員届に署名・捺印をもらいにくる学生が
選択と出逢いに感謝と使命を思い
若き苗をすくすくと成長させたい。
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「太古よりウィズ・ウイルス」永田和宏氏のコラムより
2021-01-29
「数かぎりなき死と引き換へに飼ひならし我らウイルスの遺伝子を持つ」(永田和宏「つぶやく短歌 コロナ時代に14」宮崎日日新聞 連載より)
「人類の継続性に必須」であると云う。
1月28日付宮崎日日新聞17面文化欄に、前記の永田和宏さんのコラムが掲載された。世界的な細胞生物学者でもあり、歌人としても名高い永田さんの真骨頂ともいえる分野を素材にした一首である。昨今「ウイズ・コロナ」と盛んに喧伝されるが「人類はもう何万年も前からウイルスと共存、共生してきたのである。」として、「ウイルスの遺伝子の力を借りなければ、人類の継続性が保障されないという訳である。」とされている。新型コロナに関する昨春からの各国における対応を俯瞰していて、「ウイルスに打ち勝つ」と敵対視するような見方や発言に違和感を持った理由を明らかにしてくれたようで、喉のつかえが取れたような気持ちになった。我々人類の生存そのものが、「ウイルス依存」でしかあり得ない事実をまずは深く噛み締めておきたい。
東京の親友から電話があって、「新型コロナに感染した」と聞かされた。既に数週間は経っているようで、自宅隔離療養を経て陰性となり保健所から「隔離解除」の確認をもらったのだと言う。40度以上の発熱が2日も続き、病院からは抗生物質や頓服の漢方薬を貰っただけ。既に入院ができる医療の状況ではないらしく、首都圏の厳しい現実として生々しい声を聞いた。ここに来て特に「変異ウイルス」の感染について報じられているが、大抵は報じたられた頃には蔓延しているのが相場だろう。味覚・嗅覚の異常という自覚症状はひた隠しながら、感染力のみが増量している傾向にあるという報道も眼にした。まさにこの「変異」を目の当たりにしている我々は、人類が生き延びて来たことの一過程をまざまざと見せつけられているのかもしれない。もはや「ウイズ」ではなく、人の存在そのものにウイルス性があると言うべきではないか。
何万年も前から「死と引き換へに飼ひならし」てきた
多くの人々の歴史上の「死」の上に僕たちの「生」がある
敵として殲滅しようとすれば、自らを滅ぼすことにもなりかねないことを学ぶ。
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身体は嘘をつかない
2021-01-28
健診結果にみる思い当たること日常の習慣がそのまま反映する
身体は正直で嘘をつかないものである
世界中で、主に政治家の言葉に注目が集まっている。新型コロナが地球を席巻する渦中で、どれほどのメッセージを国民に訴えられるかが大変に重要であるからだ。感染対策に成功しているとされる国、例えばニュージーランドや台湾の指導的立場が語る言葉は正直で素直である。正反対にフェイクニュースを連発する大統領は論外であるが、強権的に虚飾な言葉を連ねている指導者も散見される。「・・・している」や「・・・を検討する」という響きは、誠に頼りない限りである。あらためて自分の生活を預けている「国」への信頼について、ウイルスは僕らに深く考えさせる機会を与えた。正直に嘘をつかないことの尊さを、見せつけているようだ。
さて、10日ほど前に受診した健診結果が自宅に郵送されて来た。特にさらなる精密検査を要求される項目はなかったが、率直な感想は「身体は嘘をつかない」ということ。数値が基準値を外れているものに関しては、あれこれ自らの生活を振り返ってみた。すると「これか」「あれか」と思い当たる節がある。主に日常的な食生活で習慣的に実行してしまっていたことにおいて、その影響が正直に反映されている。人は必ず「間違う」ものとも云われる。「間違いを間違いのままにしておくのが、本当の誤ちである」とも云う。自らの行動には客観的に示唆を与えてくれる、「通信簿」=「科学的データ」が必要である。振り返りをして、いかに改善していくか。歩く習慣をつけたことで、昨年よりは改善された数値も少なくない。その成果を思い、来年に向けて今日の生活がある。
年代とともに身体に変化が
小さな習慣の積み重ねが怖い
自国の国民を、そして自分の身体を、誤魔化していては未来は見えない。
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ともかく思いを三十一文字
2021-01-27
教職大学院担当科目「国文学」牧水・啄木・俵万智と近現代短歌を講読
そして最終回は受講者の創作短歌で歌会
教職大学院には学部卒の院生とともに、県内の学校現場から新たな学びを求めて入学する現職教員院生がいる。多くは就任後10年が経過した先生方が多く、現場での経験は豊富である。この点においては、担当講義内での対話から僕の方が現場のあり方を学ぶことも少なくない。ただし僕自身には一つの思いがあって、自らも現職教員として修士・博士後期課程で学んだ経験から「学問」を学ぶ場では院生を「先生」と呼ばないようにしている。学びの場では担当者を含めてお互いの学び合いが必要であり、「先生」という呼称はやや「上から教え込む」という趣旨が伴う言葉であるからだ。僕自身が修士在学時に研究室のある人に「研究発表が上から教えてやろうという構えだ」と指摘されたことに起因する信条である。学びに来た場では、あくまで「・・さん」である。
さて「国文学・近現代文学」を主とする大学院講義(複数担当で7回担当)が、この日は最終回を迎えた。牧水・啄木と近代短歌に新たな光をもたらせた同年の歌人の歌から、「我」とは何か?「時間」とは何か?などを考えて来た。また俵万智さんのわかりやすい表現の奥に読める深さとは何か?についても対話を深めた。最終回はいよいよ、受講者の創作短歌による歌会である。教員免許状更新講習でもよく受講者の要望にあるのだが、「児童生徒の短歌を指導したいが、どうしたらよいか?」というものだ。答えは一つ、「あなたが短歌を創ることです」と答えている。少なくとも授業で児童生徒に短歌表現を求めるならば、自らの創作体験なくしては話にならないだろう。何より表現を求める児童生徒らに後ろめたいはずだ。なぜか短歌を創作することが「難しいこと」と思われがちだが、理屈ではなく「やってみる」ことしか学びの道はない。こうした意味では俵万智さんの歌を読み味わった後ならでは、受講者が「学校」「新型コロナ時代」という二つのテーマ詠を楽しんでもらう時間となった。
この経験を「学校」に帰って子どもたちへ
教職大学院は実践的学びが肝要であろう
歌を批評しあった体験も実に貴重であるはずだ。
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過信か盲信の病い
2021-01-26
健康習慣のいろいろなぜ?その行動をしているのか
自分の外側に出てよく考えてみよう
人間ドッグから1週間が経過したが、結果票はまだ手元に届いていない。受験などでもそうだが、自分が試された後にその結論が出るまでは宙に浮いた心境である。その一方で、根拠のない確信があることも少なくない。受験なら「必ず合格している」と、自らを過信して待つのも一つの手ではある。しかし、どのような結果が出ようとも受け止める心の広さも必要だ。大学受験の際は「第一志望が駄目なら予備校に行こう」と決意をして合格発表を見に行ったところ、自らの受験番号を掲示板に見つけることができた。何事も人生の道は、其処で終わりではない。よく若い人がちょっとしたミスをすると「終わった」と言うが、そう簡単に「終わる」などということはないのだ。
健診は「悪いところを見つけに行く」のではない、「健康である度合を確かめに行く」のである。加齢とともに様々な数値も、次第に変化して来るようだ。それでこそ必然でもあり、考え方の切り替えが必要ではないか。人はどうしても、自らが全盛だった頃の感覚が維持されていると思いがちだ。高齢者による自動車運転の事例などを見ると、その過信が事故の大きな原因になっている。変わりゆく自分を受け入れられない、それこそが自らを危険に曝すことになる。ついつい毎日行なっていたことで、健康習慣だと思い込んでいたことがある。妻とあれこれ対話していて、考え直すべき行為だと悟った。誰しもが「良かれ」と思ってやっていることを、客観的に見つめ直すと健康を害する行為であったりする。過信と盲信が、人間の何よりの「病い」なのかもしれない。
過ぎたるは猶及ばざるが如し
科学的に客観的なコロナ対策を願っているのなら
まず自らの行動を見直すことから始めよう。
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時にぶれても変節しても
2021-01-25
「人生の大きな目標を達成するために、時にはぶれたり、変節することも厭わない。・・・
人生の岐路に立ったとき、中期的な信念を捨てる勇気も必要。」
(真山知幸氏 Twitterより)
友人の著述家・偉人研究家・名言収集家である真山氏が、「東洋経済オンライン」に「渋沢栄一」の連載を書いている。コロナにより遅れたNHK大河ドラマ「麒麟が来る」も大詰めで、来月からは「渋沢栄一」を主人公とする新シリーズに切り替わるが、それを見据えての連載のようである。真山氏のTwitterにその題や一部の内容が投稿されるが、その中に冒頭のようなな記述があった。NHK大河の予告編もこの日は眼にしたが、「幕末・明治・大正・昭和」を生き抜いたというような触れ込みであった。日本の近代化・西洋化が急速に進む社会の中で、渋沢はいかに生きたか?戦国物にはない微妙な機微が描かれるのではと期待も膨らんだ。
さて冒頭の渋沢の姿勢を、如何様に感じるだろうか?この国では特に「ぶれる」ことは悪いことだと考えるのが一般的であろう。「学校」でひとたび「誠実」と見られた子どもが、時に羽目を外したとしよう。たぶん「あなたは普段、そんな子ではないでしょう。」と叱られるに違いない。もちろん個々の性格に傾向はあるが、日々人間は変化しているのも確かである。他者の視野の狭い「レッテル貼り」には辟易とすることがあるが、自らが築いた信念に絡み取られて身動きができないこともある。特に「人生の岐路」に立った際は、まずはその場を乗り越えるために「中期的な信念を捨てる勇気」が必要だと渋沢は言ったというのだ。自分自身のみならず、社会が日々変転する時代。むしろ「ぶれたり、変節する」ことこそ柔軟に荒波に乗った生き方といえるかもしれない。自らの中心軸さえ「此処」であると、確かな認識さえあればそれでいいのだろう。
「昨日はこう言ったじゃない」
「はい!言いましたが何か?」
信長・秀吉・家康、一番ぶれて変節したのは?などとも考える。
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飾往虚帰にはならぬように
2021-01-24
父母らと義母との会話僕が産まれる以前や物心つかない頃の話題
いかに自らの生命が成立しているかを知る
時に小欄をなぜ書き続けているのか?などと考えることがある。日々の記録・備忘、考えの整理、文章書きのウォーミングアップと鍛錬、所有した情報の共有、考えの主張、企画や実践の広報、等々・・・・・。「何のために役立つか?」と短絡的な効果を狙う思考が昨今は蔓延っているが、小欄の場合はまったくそんな思考の元に続けているのではなく、「労力対効果」などを考えている訳でもない。もとより小欄に定まった「人格」がある訳でもなく「三百六十五面体」であり、統一的な思考があるとも思わないでもらいたい。人は日々「生まれ変わ」るものであり、この朝にまた生まれ今日の自分は今日で終わる。この国の国語教育の哀しい成果であるが、文章があると作家論的に書き手に統一的人格があると勘違いしている読み手も少なくない。
「虚往実帰」は空海が唐へ渡った際に使用したとされ、中国の思想書『荘子』に典故のある四字熟語である。端的な意味を示すならば「何もない虚(=空)の心で(学びの場)に往き」「(学び)を実らせて帰る」ということになろうか。空海が真言密教の教義を短期間で唐の国で得度したことは、有名な歴史的事実であろう。その「入唐」そして「帰国」の学びそのものが「虚往実帰」であった。嘗て高野山に宿泊した際の宿坊で、かもいの上にこの書字を発見した時は感慨が一入であった。この空海の事績による意味があるのを承知で、僕は僕なりの解釈を持っている。日々を生きると諸々と雑多なことが耳目に入ってくるが、そこから「虚=空」な心に「往く」ことで物事が客観的に眺められ、現「実」に生きるための心の糧に「帰」ることができるのではないかなどと解釈している。物事は「飾る」ことで取り繕うと、むしろ「虚」なる現「実」に「帰」することになる。せめて妻や父母らの間では、飾らない装うわない「心」を持っていたいと思う。誰しも人は「分裂体」である、日々において「虚」を自覚し人に飾らず、どう考え行動したら「実」に帰れるかを考えるべきではないか。
日々を幸せに生きるために
飾りて事実を覆い隠せば虚しき行末があるばかり(「飾往虚帰」である勿れ)
あらためて「虚往実帰」を噛み締めている。
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移らない移さないあらためて
2021-01-23
「社会的距離(ソーシャルディスタンス)」再考個々人が移らない・人に移さないために
自分が感染しているとしたら、という想像力
専門家ではないから、あくまで放談だと思って読んでいただきたい。新型コロナの第1波・第2波に比べて、この第3波は何が違うのだろうと思う。まずは冬季という気候の問題、低温と乾燥がウイルスにとって生き延びやすい環境なのだろう。また昨今急激に取り沙汰されているように、ウイルスそのものが変異して感染力が大幅に強まったと云うこと。その変異にも世界ではいくつもの類型があって、もしかすると日本でも風土に合わせた変異が起きているかもしれないという予測もある。いずれにしてもこのウイルスはしたたかで、人間がわかってくるとその網の目をかいくぐるように、「わからない」状態に身を潜めてしまう。100年前の「スペイン風邪」も大変ではあったのだろうが、さらに上を行く新時代のウイルスのような気さえしてくる。
こうしたウイルスそのものの要素とは別に、我々人間が「変異」してしまったことも見逃せないと思っている。昨春に一斉に喧伝された「手洗い・マスク・三密回避」などと云うことが、慣れてしまうことで疎かになってはいないだろうか。手洗い習慣は春や夏に比べて、冷たい水だと短時間になりがちで、乾燥して手も荒れやすく無自覚に簡略化してはいないだろうか?マスクも個性的になりほとんどの人が着用はしているが、「鼻出し」「顎下げ」など緩んだ着用姿勢も問題視されている。さらに「三密」に対しては、都市部での通勤電車が平然と混んでいる状況をはじめとして、仕方ないという理由で回避していない場合が少なくない。当初は「自分が感染しているという想定で行動せよ」と云うことだったはずだ。マスクをしているからといって、「近い距離で喋る」という回避すべき行為を慣れてしまって実行していないのである。最後に、多くの人が「新しい年になれば」という意識がなかったか?五輪開催も含めて「2021」は回復するのだという希望的な幻想があったのではないか?それを嘲笑うかのように、日本の年末年始にウイルス感染が拡大したのは、この国の人々の特性がウイルスに利用された誠に象徴的な出来事だったのかもしれない。
あらためて公衆衛生を考える
人の知性が試されている
考えて考えて日々の行動によって自らを護ろう。
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お誕生日おめでとうは「命を大切に!」
2021-01-22
妻から母からおめでとうの言葉SNSを通じてのメーセージも親戚や友人から
そして受講学生やゼミの学生らから
「お誕生日をおめでとう」と言われた時は、「また1歳若返った」と謂うことにしている。諸々と思いはあるが、あらためて「この命を大切に」という思いを込めてである。朝起きれば妻から「お誕生日おめでとう」の言葉、さらには密かに用意してくれたプレゼントをもらった。安眠できるようにと「高級パジャマ」、人生の三分の一は睡眠と言われるが妻との安眠の時間にさらなる至福のアイテムが加わった。また、早朝から母がメーセージをくれた。その日から、母と子の歴史が刻まれ始めた記念日でもある。誕生以前に僕を妊っていた時間を含めて、その愛情の深さをあらためて胸に刻む。出勤時間前後になって、妹や親戚からLINEが届く。SNSによって遠距離でも手軽にメーセージがいただけるのは、誠にありがたい。
Facebookでは、なぜか研究者仲間の方々からまずはメーセージが届き始める。短歌にしたためたメーセージもあり、返歌する構想などを頭に浮かべる。さらには数々の友人たちからのメッセージには、それぞれの人との関係のありがたさを思う。またこの日は講義が2コマ、ゼミが1コマあった。まず『枕草子』の演習では、発表の最後にプレゼンソフトに「Happy Birthday」を仕込んで祝ってくれた学生がいた。まさにサプライズであり、教師冥利に尽きる時間だった。さらに夕刻のゼミでは、全体の議論が終わった後に、Zoom画面上で全員で「Happy Birthday!」の曲の合唱。現在、ゼミは「女子校」化しているので華のあるお祝いをしてもらった。そして夕餉は、妻が熱心に腕をふるって料理を作ってくれた。宮崎産スパークリングワインとともに、心温まる宵の口であった。
多くの人々に囲まれて
またこの日を機に「命を大切に」行こう!
みなさま、ありがとうございました。
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