FC2ブログ

業社の担当に人情あれ

2020-11-30
営業や職人さんとの会話
こちら側の立場で親身に丁寧に
人情ある商売が健在な地にて

長年にわたり東京で家業を営んできた母が口にするのは、「人情がなくなった」ということだ。街の人々と顔が見えて、その人間関係を軸に商売が成り立っていた昭和の時代を回顧してのことだろう。Web環境が急速に進化したともいえる平成の約30年間には、単にデジタル化のみならず規制緩和や非正規雇用の拡大など、激烈な競争を煽って生き残りを自己責任にする社会ができあがってしまった。今年のコロナ禍が炙り出しているのは、感染対策も各自治体任せ、感染はもとより経済的な困難でも生き残るのは自己責任であるとされる冷酷な社会だ。このような社会であるからこそ、温かい人情が健在であることに出逢うと、心が大きく揺さぶられるのである。

自宅の塗装工事が完了した。工期は約1ヶ月を要したが、相見積もりや交渉、色の選定からプラン選択まで半年近い時間を要した。見積もりを依頼する段階から各業者の姿勢は顕著に表れたように思うが、重要なのは値段そのものよりも安心して依頼できる信頼ではないかと思う。どんなに実績があったり大きな後ろ盾がある業者でも、営業の方の向き合い方で僕自身の選択は大きく左右される。これは工事の発注のみではないが、営業の方の人情ある対応こそが大きな決め手となる要素だ。では果たして人情とは何か?僕自身が実感するのは、どんなものでも相手の人生の一部として親身に真摯に誠実に向き合うか否かではないだろうか。今回はそんな業者や職人さんに出逢うことができ、宮崎の地にこそ今も人情ある商売が成り立っていることを実感した。

ポストに見積もりを投げ込むだけとか
うちは人員が少ないので工期は先延ばしにと言ったきりとか
営業の方の人懐っこく温かい宮崎人らしさよろしきに出逢ってこそ。


関連記事
スポンサーサイト



tag :

適する時間を切り分ける

2020-11-29
午前中の脳の閃めき
午後の穏やかなこころ
夜になって歌をよむひととき

1日はほぼ世界の人間が公平に必ず24時間に変わりはないのだが、それをいかに活かすかで生き方は変わってくる。幼少の頃、家業が忙しく夜なべをしている父の仕事場に行くといつも前述した趣旨の言葉を聞かされた。小学校の中学年ぐらいまでは、どちらかというとゆったり時間に左右されずぼんやり好きな絵本でも読むのが好きな自分であった。だが私立中学校受験をする頃から、時間をいかに使うかという意識が芽生えたように思う。中学校高等学校では運動部と勉強の両立が生活の大きなテーマであり、高校3年の7月まで部活をしていたが大学受験では志望校に合格できた。大学に入ると細かい時間からは解放された感はあったが、卒論を仕上げるのは時間との闘いであったと記憶する。

今年はコロナ禍ということもあり、時間意識が大きく揺さぶられたように思う。春先から大学講義をはじめ、様々なことで時間を要することも多く常に追われている印象があった。いつでも「次にやらねばならないこと」があって、「まだかまだか」と追い立てられる感覚である。師走も近づいた今、あらためて時間は切り分けて「適材適所」に使うべきかと思うようになってきた。午前中は閃めきの多い時間帯、原稿を書くには格好の時間である。午後は比較的自由に新しい発想を求めていたい気がする。夜になって就寝前までの時間に短歌と触れ合う時間がまた大切である。このように時間帯で適した内容に向き合うことこそが、24時間を最大限に活かすことであろう。もちろん全体の三分の一は睡眠であり、その時間帯にもこだわりを持ちたいと思うのである。

日の出と月の出などを意識しながら
「命をいかに活かすか」と坂本龍馬は問うた
「命の限り旅を続けよう」とサザンは歌う


関連記事
tag :

語りや脱線の国語教師

2020-11-28
宮崎の教育の安心
時代に抗って語れる経験と余裕と
文学を国語を好きな生徒を育てるために

宮崎県高等学校国語教育研究会国語部会秋季大会に講演を依頼いただき出席した。県内高等学校の国語教員の先生方が、概ね60名以上は集まったであろうか。僕自身も高等学校での教歴は長く、集まった方々とは同僚のようにともに新しい時代の国語教育を考えていきたいという気持ちを込めての参加であった。僕の講演は午後に設定されていたが、午前中には宮崎で長年教壇に立たれ教頭・校長を歴任された先生の「私の『国語教師』論」のご講演もあった。先生が話される内容には、実に共感する点が多く、嘗ての高等学校現場の余裕と冗談と同僚性に富んだ時代性の良さが、様々な具体例とともに語られた。中には「文学国語」と「論理国語」に分けることを愚策だと痛烈に批判する内容もあり、ある意味でみんなが言いたいが言えないようなことを爽快に言い切る潔さとユーモアに富んでいるお話であった。

「試験づくり」を見ればその国語教師の姿勢がわかる。誠に至言である。この「試験」という部分は、現在の大学であれば「オンライン講義」や「ゼミ」などに置き換えられるのであろう。生徒・学生といかに向き合うか。教材を入試のために「速く読む」ことばかりが求められるような社会風潮であるが、「ゆっくり読む」ことこそが大切である。「すぐに役立つものはすぐに役立たなくなる」「国語は人生に寄り添う教科である」等々、講演の内容として覚書としておきたいことはさらに続いた。閉鎖的な入試対策学力観に拘束されたような現在の高等学校国語、特に文学の学びは瀕死の状態で文学研究者や心ある国語教師からの抵抗が続く現状である。僕自身の講演では、前述した先生の講演に呼応するように、「(文学)創作」や「物語」「演劇(脚本)」などを制作することを目標として「文学で遊ぶ」学びの醸成を意図したものであった。少なくとも「短歌」には、常に当事者の人生が寄り添う。「遊ぶ」とはまさに思考の彷徨を繰り返し「遊学」するということだ。短歌県日本一を目指している宮崎モデルの豊かな国語教育を根付かせる、そんな「短歌」に連携した使命をあらためて噛み締める機会であった。

高校国語と大学入試という長年の課題
人生に寄り添う思考があれば乗り越えていける
語りと脱線の中に明日が見えてくるのである。


関連記事
tag :

予定調和な『ごんぎつね』の話し合いのこと

2020-11-27
授業者が持つ「正解」のような結論に誘導する
気持ちや心情は二項対立では語れない多面性がある
着地点を求めるのではなくそこから創り出すということ

今週の水曜日に共同研究の一環として、附属小学校で「ごんぎつね」の研究授業が行われた。言わずとしれた小学校4年生の定番教材であり、これまでにも多くの授業実践の蓄積が成されている。また学部の教育実習生が扱う機会も多く、僕自身も教科教育科目を担当している際は、よく学生とともに学習指導案の検討などをする機会も多かった。ある時、ゼミで「ごんぎつね」の「自由読み」という機会を持ったことがある。その際にゼミ生とこれでもかと多様な読みを探った結果、僕自身は「ごんは死んでいないのではないか?」という思いに強く至った。物語の最後の場面で「火縄銃」で「いたずら狐」として「兵十(ひょうじゅう)」に撃たれてしまう「ごん」だが、「火縄銃をパタリと落とした」とする「兵十」が「ごん」に駆け寄り語りかけると目を閉じて頷く「ごん」が語られている。「火縄銃の口からは青い煙」が立ち上っているとの語りもあるが、これだけで「死んでしまった」と言い切るのは思い込みに過ぎないのではないかと思ったのである。

これを考え始めてから「ごんぎつね」の読みが膠着せず実に多様になった。その後の経過で「ごん」は死んでしまったとしても、手当などの期間があり「兵十」は償いの言葉や行為を繰り返すのではないか?物語は終幕を迎えたことで、「兵十の償い物語」が始動するのに他ならない。それが冒頭にある「村の茂兵というじいさん」から伝え聞かされた「ごんの鎮魂物語」として伝承している語りに回帰していくことで初めてこの物語の語り構造が暴けたことになるのではないかということである。ゆえに「ごんは撃たれて死んだ」ことや、その時に「兵十は悲しかった」ことを既定路線として授業を構成するのは読みの多様性に反するものではないかと考えている。講演やシンポジウムもそうであるが、「結論ありき」でそこに「持っていく」ためのやりとりを重ねていく「予定調和」が果たして何を生み出すのかと痛切に思う。「結論ありき」に慣れてしまった国民は、その路線の政治的な見世物を見せられても疑問を持つことすらなくなってしまう。「国語」では決してそんな陳腐で軽薄な思考力を育てているわけではない。いつでも「正解」や「着地点」は見えないままに探るのが、学習のダイナミックな面白さではないのだろうか。

何かがその場で初めて生み出されてこその対話
「結論ありき」の「国語」の問いにワクワク感はなし
既存の価値を超えていくことで僕たちはこの時代を生き抜こうとしている。


関連記事
tag :

世界の人々が心高鳴る音楽を

2020-11-26
「日本古来の伝統を取り入れたり
 復興を高らかに叫ぶのではなく
 普遍的な世界の人々が心高鳴る音楽にしたかった」
(NHK連続テレビ小説「エール」裕一の台詞より)

コロナ禍で途中の撮影が中断し、本来は9月中に終幕のはずであったNHK連続テレビ小説「エール」が大詰めを迎えている。たぶんラストは1964年(昭和39年)の「オリンピックマーチ」(東京五輪入場行進曲)であろうと予想はしていた。当時を生ライブで観ていない僕らでも、映像などを通じて誰もが心の中に響くその音楽。モデルとなった古関裕而さんは開会式当日に、スタジアムに招待されていながらなかなか観客席で自らの作曲したマーチが流れるのを聞くのを恐れ、トイレに籠もったという逸話さえありドラマでもその様子が描かれていた。謙遜な行動はさておき、戦中には戦意高揚させる作曲に携わったことで戦後に曲を書くことに極限の苦悩をした作曲家が、世界平和のために書いた渾身の一曲であったわけである。

ドラマ内では「闘魂こめて」(ジャイアンツ球団歌)を作曲した譜面を見ながら裕一が歌う場面もあり、僕自身も「紺碧の空」「栄冠は君に輝く」とともに人生に刻まれた古関の楽曲があることが再確認された。昭和が築いたONを中心とする野球文化、そして甲子園への熱い想い、それとこれらの曲は誠によく適合して僕自身の野球熱を高めてきてくれた。誰しもが聞いて心高鳴る曲、それは日本人という枠に止まらず世界の人々を意図されていたことが冒頭の裕一の台詞によって描かれた。1964年(昭和39年)東京五輪は戦後19年目という時間的距離感の中で、戦地で犠牲になった世界の人々への鎮魂と広島・長崎への核兵器使用への警鐘など、世界的な視野での平和の祭典であったと考えたい。などと思うと「TOKYO2020」はどうなのだろう?「日本」が開催する利権的な強調や復興宣言という内向きの発信ばかりが喧伝されているようで、冒頭に記した裕一の信念とは反転したようなテーマを感じざるを得ない。果たして既に延期となっているこの大会を、コロナ禍に苦しむ世界がどう受け止めていくのだろうか。

傷と苦悩の中から世界平和を願うこと
現況はあらゆる面で何かを踏み違えてはいないか
降るコロナ昭和は遠くなりにけり


関連記事
tag :

教員志望動機のさまざま

2020-11-25
なぜ教員になりたくなったか?
尊敬し憧れの先生に出逢うこともあり
この授業でいいのだろうか?と疑問を持つこともあり

学部1年生の大半が履修するオムニバス科目「国語」の担当3回が進行中である。小学校教員免許取得のために必要な科目群であるが、基礎教科としての「国語」のみが1年生後期に履修する課程となっている。僕の担当回の役割は、詩歌を読んで活用できる基礎知識と言語活動の実践的な内容となる。もちろん短歌を中心に扱っており、短歌を通じて教職への意識が考えられるよう教材開発をしている。この講義で提出される課題には各学生の「教員志望」が披瀝されるわけだが、その多くは「尊敬し憧れた先生」にいずれかの校種で出逢っているということだ。これぞ「教育」の豊かな継承であると感慨を覚えつつ、僕自身はどうなのかと考えさせられることもある。

僕自身も多くの学生と同様に、特に中高時代に心に残る「尊敬し憧れた」先生は数人はいる。だがその反面、「このような教員にはなりたくない」と思える先生にも多く出会った。父の母校である私立学校に中学から進学したことに「意義」があるとしたら、このような聊か負の経験をしたことも大きいように思われる。商売を営んでいた両親であったこともあり、「教員になる」ことへは根本的に否定からスタートしていた。さらに「教科内容は面白そうなのに生徒の興味関心を惹きつけられない授業」をする教員を恨みもした。お調子者を贔屓し発音も儘ならない英語教員、生徒の顔を見ずほぼ一人で喋っている国語教員、授業で雑談をすることで突っ張った連中に反発されないように防御する歴史教員等々・・・「良い教員を育てたい」という現在の僕の使命は、こんな経験に裏打ちされているのだと、課題を読む合間に回想したりしている。

真に面白い話ができるとは何か?
教科内容にも憧れる授業こそが
次世代の子どもらを豊かにするために・・・


関連記事
tag :

もしものいまよりいまの今

2020-11-24
8年前の運命が違っていたら
いま頃はどんな生活をしていただろう
あらゆることが運命的な今

妻と朝晩のウォーキングに出るのが日課になった。この日は休日で朝はゆっくりして休止したが、晩御飯後はいつも通り肌寒さにもめげずに実行した。その約20分〜30分の間に、歩きながら話すことがなかなか大切のような気がしている。自らの脚を動かしながら話すのは、時間の概念を巻き込むようで不思議に思うことがある。しかも前に進み続けなければ自宅へは帰れない。円環するコースにありながらその景色の変化にも多々気づくようになった。昨日は8年前の採用面接記念日であるが、その話題に花が咲いた。「もしもその面接で不採用になっていたら」という想定の妄想なども抱く。「今ここを歩いていない自分」は、まったく想像できないと思いながら・・・

他大学で最終選考まで残ったところ、また後に研究分野や業績ではなく年齢構成等の条件で不採用となったと聞かされたところ、人生にいくつかの選択肢が用意されていたとしても、宮崎に決まった必然を思う「今」がある。京都に住んだら研究の方向性も違っていただろうか?母の故郷の大学だったら、母は東京から故郷に戻ったのだろうか?温暖で自然と食材に恵まれた宮崎であることは、大変に大きな恩恵をもたらせてくれていることに気づかされる。あらゆる物事は相対化してこそ、その価値の真実が見えてくるものだ。宮崎での短歌との濃密な出逢いがなかったら、と考えると恐ろしくさえ感じられる。何よりこうして妻と美味しい空気を吸いながら日々歩めること、採用・赴任の条件としては考えもしなかった人生最上の幸福が此処にある。

住む街の暗さを感じた頃が懐かしい
日の出月の出それぞれが楽しめる東の大きな空に向かい
「いまの今」の幸せがあらゆることを生み出してくれる。


関連記事
tag :

あのマグロ丼と温泉から

2020-11-23
今も東の空に見える一番星
明るい照明に惹かれて食べたマグロ丼
青島の海と空に誓ったこの地で生きること

小学校1年生の子どもであれば、今は中学校2年生になっている。8年という歳月を思うとその距離と蓄積と変転をつくづくと考えさせられる。ちょうど8年前の今日、現所属の採用面接を受けていた。前日に非常勤講師の講義を終え、夕刻の便で羽田を発つ。到着すると空港のレストランなども終わっている時間、そこからは電車を乗り継ぐべく暗いホームの乗換え駅で待ち、やっとの思いで青島駅に到着したのは9時近かったように記憶する。青島駅から徒歩で宿に向かう途中で、照明が煌々と輝いているお店に出会った。もう半ばコンビニ買いの夕飯程度しかと諦めていた空腹な僕は、迷わず入店した。海鮮料理中心のメニューから「マグロ丼」を選択したが、その新鮮でボリューム感ある丼の味わいは一生忘れられないほどである。翌日のために脳内の栄養を十分に養った。

宿は往年のONが巨人キャンプ時代にも宿泊したホテル。敢えて大広間の前に行ってみたりして、嘗ての王貞治選手が素振りしたであろう努力と栄光の気をいただいた。屋上に露天風呂があり、やや肌寒い季節ではありながら湯加減は心地よかった。遥か太平洋を望み夜空の星に明日への願いをかけた。海岸沿い間近にある青島は毎年の巨人キャンプの初日で戦勝祈願をする聖地、この夜は露天風呂から暗闇の島影へ、翌朝は嘗ての長嶋監督が毎朝のジョギングをしていたことを思いつつ、神社に面接採用が成就することを祈願した。この日が、僕の現在の地での確固たる第二の人生の出発点となった。「マグロ丼」のお店は今でも懇意にしており、東京から友人などが来訪すると屋上露天風呂の宿を用意する。青島神社のご利益はこれ以上ないものがあり、唯一無二の良縁を導いてくれた。8年目にしてあらためてあの日の原点を忘れずに生きようと誓うのである。

この8年間をさらなる先の未来へ
また新しい旅が始まる
この地でしかできないことがあるのだ。


関連記事
tag :

県内高校行脚ー高大連携へ向けて

2020-11-22
出前講義今秋5校へ
短歌が教師へ興味ある学生へ
宮崎の教育をつなぐための行脚

校種ごとの連携が様々な面で提起されて久しい。私立は従前から中高一貫教育を基本としている場合も多いが、公立でも「中等学校」として6年間を見据えた学校が多くなった。高校入試の隔たりがなく中学校時点で「先取り」などとして高等学校の学習課程内容も履修し、最終的に大学入試に有利な状況を作り出すというのが従来の「中高一貫」における一般的な方法であった。現に僕自身も私立中高一貫校で「大学入試実績」のみしか見据えない教育に携わっていた経験がある。ここでの違和感は前述した「のみ」である。「先取り」学習は一見合理的のようだが、理解できない生徒を切り捨ててしまう方策でもある。発達段階を考慮し「ゆっくり」学習したい生徒にとっては引き摺られてしまうごとき、苦難となってしまいかねない。

以上のような経験則があるのだが、ならば高大連携教育を円滑なものにすることが大きな課題であると気づかされる。中学校・高等学校で「入試問題」の枠内で正解主義に囚われた教育ではなく、各教科の真の目標を見据えた教育を実践できる環境を醸成することが求められよう。「国語」であれば「思考力・想像力・表現力」をどの領域でも備え、伝え合う力や言語感覚に長けた、古典から近・現代文学のジャンルを問わず興味関心の深い生徒らの育成である。端的にいうならば、短歌に親しむ生徒らはこれらの力と興味関心に溢れている。このような前提から宮崎県では「短歌創作」を柱にした「文学」を根底に据えた初等・中等教育を展開すべきではないかと思う。以上のようなことを考えて、この秋は県内5校の高等学校へ出前講義に赴いてきた訳である。

高等学校の「国語」を新しく
短歌に眼を開きそうな生徒らの視線
今週は県内高等学校国語科の先生方の研究大会での講演を控えている。


関連記事
tag :

題詠「文」ー宮崎大学短歌会11月例会

2020-11-21
オンラインでじっくり
歌は多く参加者は絞られながら
題詠「文」が導くもの

月2回実施する宮崎大学短歌会例会が開催された。題詠「文」に出詠13首、参加者は6名と歌の半分ほどであったが、初参加の1年生も加わり密度の濃い歌会となった。題詠の扱いとしては、「文字(2)」「恋文」「文理選択」「文旦(2)」「作文」「一文」「文化(2)」「文庫」「文(ふみ)」「文末」という活かし方であった。「文字」や「文化」の重複は予想されたが、「文旦」の重複は意外性があって学生間でも話題となっていた。「朱欒(ざぼん)」「晩白柚(ばんぺいゆ)」などの異名もあり、九州地方(特に「晩白柚」は熊本県)特有な柑橘類として巨大な威容に驚くこともある代物である。正月などになると縁起物として飾られることもあり、その大きさと月のような姿が目を惹きつける。

「文」という文字には、地図上の「学校」が示すように「学問」の意味もあり、また名前によく使用される「彩(あや)」の意味もある。「文様」といえば意匠ある芸術的なもので、まさに「文化」の一部として崇高な意味がある文字である。「作文」や「文庫」など学校や読書に関係する素材として詠まれたのも必然であるが、あらためて「文」とは何かを深く考えさせられる。「学校」という「文化」は、ある意味で「文字」や「文」を教える場所といっても過言ではあるまい。僕自身も「文」の文字との付き合いは長いが、漢字として大元の中国では女性名に使用されることが多い。日本でも「あや」といった女性名の使用も少なくない。柔らかで知的な印象のある「文」、学校文化の中でもさらに好かれる存在になるべきだと思うのだが、「作文」や「文理選択」などには、個人的に批判を述べたくなるのは職業上の性かもしれない。

新聞記者の方の取材参加も
若者が描く三十一文字(みそひともじ)
あらためて「文」が好きになった。


関連記事
tag :
<< topページへこのページの先頭へ >> 次のページへ >>