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志村けんさんを悼む

2020-03-31
笑いに一切の妥協なき姿勢
心の底から腹を抱えて笑わせてくれた
ドリフの大ファンとして深い哀悼を

志村けんさんがランドセルを背負った小学生役などでドリフのコントに少し登場する、まだ「見習い」であった頃から、どこか人を笑いに引き込む面白い存在であったのを覚えている。「This is a pen!』などのギャグの荒井注さんが「体力の限界」と言ってドリフ引退を表明しどうなるものかと子ども心に思ったが、志村さんの加入がドリフをさらに長い息のある存在に成長させて行った。小学生の頃に僕は、自宅からそう遠くない「文京公会堂」(東京都)に公開放送を母に連れて行ってもらったことがある。土曜の夜といえば、平日にはテレビなど観られない時間帯に「全員集合」が観られることをこの上ない幸せに思っていた日々であった。その後、「東村山音頭」とか「ヒゲダンス」などは忘られもせず、同じように踊ったり唄ったりしたまさに僕はドリフ全盛世代である。

新型コロナウイルスへの感染が報じられていた志村けんさんが亡くなった。人工心肺装置を付けた治療になっていると聞いていたが、何とか回復して欲しいと願っていた多くのファンの思いも空しくである。このウイルスに対する認識について、TV報道やWeb上の情報などでも、特に「若い人は軽症」だとか「無症状」などの類で語られていたが、「わからないもの」に対して如何に「予防」するかという「危機意識」の観点があまりにも欠落していると当初から思っていた。また志村さんの逝去に対する発言で、「功績(ウイルスの怖さを知らしめた)を残した」といった表現をする者もいたが、それも人情と語彙表現の上から誤りではないかと憤りを覚えた。映画やドラマの仕事を控えていた志村さんの思いに寄り添えば、「無念」では表現しきれない悔しさこの上なき心であろう。志村さんの死がなければ啓発されない、この国の人々の「悠長な平和ボケ」こそを心から憂えるのである。

まだいつまでも志村さんのコントも演技も観たかった
このウイルスを侮ることなかれ
志村けんさんのご冥福を心よりお祈りする。


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両親の結婚記念日あってこそ

2020-03-30
この日も降った東京の雪
両親の結婚式当日にも
その日があってこその我が命

3月30日となれば「3」という「陽数」の重なりで縁起もよく、誕生日に次ぐほどの思いを抱く。この日付に無事に行われた結婚式があってこそ、僕自身の命の可能性が芽生えたからである。今年はどうやら僕の生まれた年と暦の曜日構成が一致するらしく、誕生日が「火曜日」であったことも確認できた。その2年前の「3月30日」(本年は月曜日で閏年の換算なので「金曜日」であったのか)にも、この日と同じように東京地方は降雪があったと母によく聞かされていた。あくまで僕の想像であるが、新潟から嫁いだ母に「幸運の雪を持って来た」のごとき祝福の言葉が贈られたりもしたのだろうか。

新型コロナ禍の世情にあって家で過ごすことの多い両親と、至近の喧騒のない気の利いた和食店で妻と四人で食事をした。さながら結婚記念日前夜ということもあり、「夫婦」のあり方も意識する座となった。卒業生などと話す機会なども通じて、20代での「結婚」の意識とは如何に?と思うことがある。現在とも異なり見合い結婚も多かった両親の世代、居住地を大きく移動することには大きな決断が伴うだろう。母の出生地・新潟への愛着は、僕ら子どもを休みのたびにかの地へ連れて行く結果となった。現在でも母方のいとこ5家族ぐらいで集まる会が、新潟で継続されている。その紐帯となったのが「3月30日」ということ。今、宮崎で家族四人でこの日を祝えるのも何かの深き御縁であろう。

自らがこの世に存在するのに必要な条件
その一つが欠けても僕の命はなかった
また巡り来る「今日」を大切に生きねばならぬ。


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研究者教員としての基本姿勢

2020-03-29
この非常時にこそ露見するもの
権力は如何に使用するか?
良き教育は良き研究への自覚から

このような日常性を失った世情の中で、様々な社会的な物事の「正体」が露見して来ているように思う。政治は国民に対して「しっかりやる」という抽象的な立場において物事を「要請」し、最終的に各自の判断に委ねる。発せられる様々な政治側からのメッセージは一方的で、「国民の声」からは乖離した政策や感覚が示されることも少なくない。ましてや3.11以降の社会的な情報の信頼性の揺らぎが、ここに来てさらに拍車をかけて瓦解しているように思うのは「穿った見方」なのだろうか。権力を持った側が自らの立場を利用して、義務がある受容者側に物事を押し付ける構造。政治のみならず社会構造の中において、小中高大を問わない学校種の中で「教員」たる者が決して陥ってはならない基本的な意識であろう。

研究者として教育者として、如何にあるべきか?といった立場が二項対立で語られることがよくある。だがこの二者は、異なる立場のものなのであろうか?研究者として「仮説」を立て「持論」を持つのは原点でもあろう。だがその検証において絶対はなく、常に自らなるべく大きな規模の学会に身を置き、批評・批判の対象にあることを忘れてはならないはずだ。この検証と批評批判を受ける過程を避けてしまうと、それは単なる「思い込み」以外の何物でもない。あくまで研究者としての自らの考え方は、相対的な研究全般の中に置かれていることを強く自覚すべきである。この自覚があれば学生に対する際の中立公平や「持論」の押し付けが、如何に卑劣なことかが自明であるはずだ。「教育」は実は「良き研究」に支えられている。それは「自らが学ぶ」姿勢に妥協しない「研究」に向き合っていることを前提に成り立つのである。

究極の選択で何を「露見」するか?
政治家や研究者が陥りやすき過ちのある
面と向き合ったものを敬愛せよ


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愛せよ宮崎ー「県教員希望枠」記者会見

2020-03-28
宮崎の先生になろう
高等学校の進路指導から推薦受験
入学(養成)→採用(研修)への協働

県庁の特別室、午前11時の開始前に教育庁のある棟から僕ら大学関係者5名が案内されて会見場となる同室に向かった。昨日の朝刊で既に地元紙がWeb掲載情報を元に記事を掲載したが、「宮崎県教員希望枠」の推薦入試を新たに2022年度(令和4年度)から実施することの発表記者会見である。会見は主に教育長と学部長が手を組む形で、この新しい推薦入試制度についてテレビカメラや記者を前に説明をした。県教委と協働し高等学校長から推薦を受け、将来において宮崎県で小学校教員になる志望のある高校生の入学を受け入れて、4年間で大学が教員としての資質・能力を育て、教員採用試験においても在学中の学修基準が満たされていれば一次免除とする。大学側の立場から述べるならば、高等学校の教員志望キャリア教育とともに、県教委の採用・研修にも協働する形となる。

新制度は、全校初の試みとして注目を集めることになりそうである。都道府県を問わず現状で小学校教員の人材不足はかなり深刻な状況。現況で60歳定年になる世代の人数が甚だ多く、これまで宮崎県も採用受験年齢制限の撤廃や実技科目の軽減、小中学校の併願などの施策を打ち出して解消に努めていた。それでもなお、しばらくの間は人数不足が続く状況である。地域貢献を旨とする国立大学法人としては、県の特に「小学校」の教員となる人材をいかに適正な規模で養成するかが、存在意義を証明するための大きな使命である。見方を変えてキャリア教育の視点から述べるならば、宮崎県の高校生の離県率は全国でも屈指に高いという問題点もある。就職のみならず大学進学先でも福岡や関西・関東などへの進学が必然的に多くなる。だが、既に僕は在学生らと接して実感するが、宮崎愛に満ちた出身者も少なくない。そんな地元愛と教員志望の情熱を持った学生を、僕らは真に育てたいと願う。また新推薦入試制度は、他県の高等学校からも受験可能、この自然豊かな誇り高き宮崎で「先生」になりたいと、県の魅力そのものも発信していかねばならないと思う。

育てがいのある学生たちよ
いざ本学で学び「宮崎の先生」になろう!
そんな記者会見に臨席し何人もの卒業生の宮崎愛ある「先生」の顔を思い出した。


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厄介者といかに付き合うか

2020-03-27
厄介者にはどのように向き合いますか
敵対しようとする思考が自らを苦しめる
人類とウイルスに考えさせられて

人類において世界的ともいえる新型コロナ感染拡大を受けて、「ウイルスとの戦い」とか「戦争状態」などと比喩する為政者もいる。このウイルスを根絶しこの世から消し去り征服することで、「この戦いに勝利する」という発想・思考に聞こえる。だが、近現代史だけをみても、1918年(大正7年)から翌年にかけて第一次世界大戦最中における「スペイン風邪」の世界的大流行(日本国内の死者約15万人)があり、その後も「インフルエンザ」と人類は世紀を超えて長き付き合いの最中である。つまり制圧や根絶を考える事そのものが、方向性の違う解釈なのではないだろうかと思う。比較文化的な一般論として、欧米は自然に「敵対」し東洋(日本)は自然と「融和」するなどと云われる。このあまり「付き合いたくはない厄介者」であっても、「上手に付き合うしかない」のが人類の課題なのではないだろうか。

人と人とが集まり語り合い何かを作ろうとする、そんな人間の営みをウイルスは邪魔をする。長き地球の歴史の中で作られてきた「経済活動」は停滞し低迷させられ、人体への病的な影響のみならず、人類のあり方そのものへの意地悪で辛辣な影響が及ぶ。世界情勢を見ていても買い占めや商品の奪い合いなど、ウイルスは人々の心も蝕み始めている。人と人との接触を避けねばならないため、人が和み融け合う心の潤いを消されてしまう。だからこそである、今こそ書物などに蓄積された「人類とは?人間とは?」という深い命題を、多くの人が読書などによって知るべき時なのかもしれない。考えてみれば「スペイン風邪」の大流行から約100年、なぜこの特定の土地名が感染症の名前となってしまっているのか?をあなたはご存知であろうか。世界で2500万人が死亡したとされる前世紀の感染症、それにも関わらず人類は第一次・第二次と世界大戦という人為で人命を奪い去る愚行を繰り返した。問題は「ウイルス」にあらず、人間一人ひとりの心であったことを前世紀の歴史は語っているのであるが。

書物を読めば多くのヒントがある
厄介者とは「戦う」にあらず
世界の人々が共通な苦しみの中で何を見出せるか?が問われている。



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賢明なる悲観主義者たれ

2020-03-26
「愚かなる楽観主義者たるより、
 賢明なる悲観主義者たれ。」
ある感染症専門家のTweetより

あらゆる事をさておき、世界人類の命と健康が最優先ではないのか?五輪が中止だの延期だの、「遅くとも1年後の夏まで」だの、どこがウイルスの発生国かなど、あれこれ応酬をしている時間があったら、眼の前の対策に万全を期さねばならない事態である。五輪を目指すアスリートたちや開催関係者はもちろん、聖火ランナーに決まっていた方々らにとっては真に苦痛の結論であろうが、既に人類は「何事も思い通りにならない」世紀を迎えてしまっている。五輪などは大きなイベントであるが、これだけが別格ではあるまい。既に一生に一度の卒業式などが中止となった学生もおり、また明日の生活に困るほど商売が困難に陥っている方々もいるだろう。この世界的な非常時に、予定通りに「完全な形で(五輪が)できる」と思っていた輩がいたとしたら、まさに「愚かなる楽観主義者」であろう。

こうした意味で先週末の東京の「気分」をTV映像で観た時、「危うい」と直感的に捉えたのは僕だけではあるまい。月曜日には東京在住の妹に僕は「今週は加速度的に感染者が増加するから注意するよう」というメッセージを送った。現実として日を追うごとに倍増の感染確認の報道、「首都封鎖」もあり得るとの都知事の会見である。日頃のあらゆる生活の場面で、「わからない事態」であれば情報を精査し賢明と思える判断を下した上で、「悲観的」に捉えて予防措置を講じた行動を採るようにしている。食品に含まれる農薬など化学的な影響、東日本大震災後の放射能線量の影響、生活習慣病のリスクや交通安全上の問題など、「賢明なる悲観主義者」として行動しているつもりである。かくいう僕の母校大学は、既に新年度の始業を「5月11日」まで二段階で(当初は4月20日)延長した。所在地である東京のこれからに対して「賢明なる悲観」の立場での対策ではないか。東京在住の多くの親類親戚・友人・知人らが心配だ。

されどそれは東京のみならず
今、自分がいる場所にも危険がある
あまりにも過酷な人類への警告に僕らは向き合わなければならなくなったのだ。


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閉式の辞ー手作り卒業証書・学位記授与式

2020-03-25
昨日は教育学部において、卒業証書・学位記授与式が挙行された。学部120名をコース構成に即し50名・40名・30名に三分割して各20分、時間差をつけて3教室での実施となった。事務職員さんらは会場作りから証書類の座席机上配布、入り口での手指消毒などの準備を万全に施してくれて卒業生も安心して式に臨むことができたようである。本日は、各3回の式のそれぞれにおいて、僕が「閉式の辞」として卒業生らに贈る言葉の全文を掲載しておくこととしたい。

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みなさん、ご卒業おめでとうございます。

 あらゆることは自らの思い通りにはならない。この二か月ほどの全世界の成り行きを見て、こう考えました。しかし、みなさんは「思い通りにならないこと」をどのように超えていくか、その術を教育学部で学んだはずです。本日はこのような卒業証書・学位記授与式となりましたが、特に事務職員の方々の温かい心が伝わる手作りの会場で、みなさんの門出を祝うことができました。祝賀会も開催できずに残念でしたが、学部後援会よりみなさんに宮崎が誇る県産の杉を素材とした記念のペンをお贈りすることにしました。四月より活躍する教育現場などでお使いください。

 さて今まさに、宮崎大学で過ごす最後の時間となりましたが、ぜひ教育学部で過ごした日々に出逢った人たちの顔を一人でも多く思い出して欲しいと思います。講義やゼミで出逢った先生・友人たち、教育実習の研究授業をともに創った児童・生徒たち、実習最終日には涙を流して皆さんを励ましちからを貰ったはずです。その一人一人との出逢いこそが、みなさんがこれから長い人生を歩んでいく大きな財産です。

 「先生の先生ですか?」と聞く子らの瞳に学生の板書トメハネ

 私がみなさんの実習を参観し創った短歌です。

 教育とは、生きる力として学んだ叡智を、次の世代の子どもたちに伝えること。みなさんが書き順やトメハネを慎重に意識して板書した文字は、児童生徒の一生の学びの一部になりました。教員を目指すみなさんの歩みを、私たち教育学部教員が支えられたことを、今日この時にあらためて、お互いに深く噛み締めたいと思っています。

「先生の先生ですか?」と聞く子らの瞳に学生の板書トメハネ

 お渡ししました卒業証書・学位記の番号は、教育文化学部の方は長き伝統の上に、新たな教育学部の方は「教育第一号」から始まっています。まさに新しい宮崎大学教育学部の節目として本日、晴れ渡る空に向かい飛び立つわけです。最後にやはり、若山牧水の歌をお贈りしたいと思います。

親竹は伏し枝垂れつつ若竹は真直ぐに立ちて雨に打たるる

竹の節と節の間を「世の中」の「世」と言います。この教育学部を飛び立つみなさんを、私たちは今後も伏せて枝を垂れるように陰となって、見守り続けたいと思います。教育現場では「雨に打たるる」ことも多いと思いますが、ぜひめげることなく、「真っ直ぐに立ちて」、もし苦しい時にはこの母なる学び舎に顔を見せて下さい。

親竹は伏し枝垂れつつ若竹は真直ぐに立ちて雨に打たるる

 そして、本日のこの会場でみなさんの晴れ姿を見たくても見られなかった親御さんの顔を思い浮かべ、感謝の思いをあらたに深く抱いてください。

みなさんの前途に幸多かれと祈ります!
本日は、誠におめでとうございました。

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教育学部の底力

2020-03-24
学部単位での卒業証書・学位記授与式
会場作りをする事務職員の方々に脱帽
さて、本日いよいよ当日なり

例年は宮崎が誇る世界的なコンベンションセンターのシーガイアで挙行される大学卒業式、県知事なども御来賓としてご祝辞を賜り、保護者を含めて2000人ほどの来場者で華々しく行われる。だが今年は、新型コロナウイルス感染拡大予防の観点から大学本部は早々にこの大規模な卒業式の中止を決定した。既に常識的な知識となったが、密閉した換気の悪い空間で大人数が手の届く範囲で会話や発声を行う環境、卒業式とともに同会場で行われる学部の立食パーティーを含めて、極めて危険な環境にあることは自明であった。大学本部が出した方針は、学部学科ごとの小規模で短時間な卒業証書・学位記授与式である。そこから学部の裁量でいかなる式を挙行するか、現在の役職の立場として委員の先生方や事務職員の方々と検討し準備を進めてきた。いよいよ、本日がその式当日となった。

昨日の夕刻、会場準備や式の段取りを確認するために会場となる講義棟の教室に出向いた。既に事務職員の方々が、様々な装飾を施す作業に取り組んでいた。そこで驚くほど心を動かされたのは、事務職員の方々の温かい卒業生らを思いやる気持ちである。前述したような華々しく大規模な卒業式ができなくなってしまった卒業生らの思いを、存分に心で受け止めるごとく僕などが想像していた以上の会場を創り上げようとしていた。他学部がどのようにするか?と言った情報も小耳に挟むのであるが、間違いなく教育学部はその特長を活かした手作り感のある会場で卒業生を送ることができそうである。中高教員を長くしてきた僕にとって、こうした「文化祭前夜」のような「気分」には、甚だ感情の襞に訴えるものがある。事務職員の方々は。「先生たちはもうお帰り下さい」と言ってくれたが、なかなか講義棟を後にすることができなかった。「学校」は誰しもが経験する素晴らしき場所、それは今回の全国的な休講措置で「早く学校に行きたい」という児童生徒が多いことからもわかる。その「気分」が、確実に教育学部の底力として事務職員の方々から醸し出されていたのは素晴らしい。

いよいよ本日10:30から3回に分けて
僕ら教育学部が今できる最善の卒業証書・学位記授与式
「学校」人と人との笑顔がある以上、人類は前に歩むしかない。


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桑田佳祐のお家でRADIO

2020-03-23
テレワーク形式「桑田さん家(ち)」
スタジオ生歌ライブをRADIOから
社会を支えるミュージシャンのちから

東日本大震災の際も、半年後に宮城ライブを敢行し被災地の人々に勇気を与えた桑田さんであった。その際に作った「明日へのマーチ」という楽曲は、今回のコロナ禍でも多くの人々を救う歌声となる。標題のRADIO番組が、この3連休に渡り全国の民放ラジオ101局で放送された。スマホを使用すれば20日から他のエリアの放送を聴くことができたが、地元宮崎放送がオンエアされるこの日の19:00まで待ち、楽しみを後に取っておく形となった。最近はなかなか僕自身もRADIOを聞く機会もなかったが(自家用車の中でもサザンや桑田さんの音源が殆どで)、もとより深夜放送世代であるからかRADIOの音を部屋に流しながら過ごす時間は、聊かの懐かしさを伴い気分も上々にあらたまる機会となった。

桑田さんと原さん夫妻が寛ぐ家に、ギタリストの斎藤誠さんやキーボードの片山敦夫さんらが訪れるという「テレワーク」を演出した形式で番組は構成されていた。さらに豪華なサポートメンバーを加えて、サザンや桑田さんのソロ楽曲が楽しい語り合いの中で演奏された。もちろん最新曲の「SMILE〜晴れ渡る空のように」も流されたが、もはや「東京五輪応援ソング」というよりも、このコロナ禍を乗り越えるための激励ソングのように聴こえて来て、桑田さんの曲の懐の深さが知られた。映像ばかりに慣れ切った感覚が全盛な時代であるが、RADIOから流れる声から想像する感覚は新鮮だ。しかも、RADIOなら料理など並行して、それが捗るという効用も確かめられた。

みんな自分の持ち分で社会を支えよう
また桑田さんの歌をライブで聴ける日を心待ちに
「今この時代(とき)を生きて」


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鳶の滑空のごとく

2020-03-22
その日その場の風向き次第
自らが藻搔いたりせず雄大に羽を広げ
海鳴る風に抗わずの構えでありたい

祝日20日は出校日で会議があったので、世間よりも遅れての休日となった。時には自然に任せた1日を過ごすのもよいと思い、予定も立てず寝たいだけ寝た。仕事ならずとも常に何かを「せねばならない」と考えていると、交感神経が優位に立ってリラックスできないのではないか。自己に課したルーティンによって、自らが苦しんでは元も子もない。とはいえ、小欄は書かずにはいられず、30分のコアトレ・スチレッチは励行する。これらは「自然」な行動習慣の一つで、特にストレスになっている訳ではない。その後、軽い食事を済ますと、無性に海に行きたくなった。しかも、極力人が少ない海へ。ある具体的な浜が思い浮かび、特に身支度もせずに寝起きの髪のまま帽子を被って車に乗り込んだ。

やはり海はいい。時の流れが違い、寄せては返す波の音に心を洗われるようである。休校が続くことからストレスを解放させてという意図であろう、人影まばらながら子連れの家族の姿も目立つ。気温もかなり上昇したこの日、自然のまま衣服のまま波に身を任せる子どもたちもいる。浜辺を歩きながらそんな光景をひとり見ていた。転じて空を見上げてみると、そこには鳶が悠々と滑空していた。自ら羽ばたきもせず風向きに任せつつ、上手く旋回するよう舵をとる。世界的な新型コロナ感染拡大を「戦い」だと比喩する為政者が目立つが、抗って「封じ込めよう」として根本的な問題解決になるのかと思う。ましてや実情の把握が十分に為されているか否や、欧米各国の急速な拡大に引き比べて緩やかな感染だと安心していてよいのだろうか?などと世情のことを海の自然の中に溶け込んで考えたりしていた。しばらくすると、買い物に出掛けていた妻が海岸まで立ち寄ると言ってやって来た。まさにこれが、今の僕の愛なる自然なのであろう。

雄大な眺めに心身を癒す
鳥たちの行動に知恵を見つける
ただ海が見たかった、それだけでいい。


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