2010年代の有終の美として
2019-12-31
10年間をいかに生きたか令和の開始とともに2010年代はゆく
永遠の1年さらに永遠を待つ
日常とは違う時間の流れを感じるのが年末年始、今年も残すところ24時間を割り込んだ。今朝、目覚めてすぐに今年1年間に妻と歩んだ忘れがたき時間を遡及し回想し、その日々があまりにも貴重で永遠に記憶に留めて置きたいものだという強い意識を持った。「今」はその回想した時の積み重ねによって存在する幸せであり、さらに永遠の時へと連なっているのだと思う。押し広げて考えるならば、その「今年」も1年1年の積み重ねであり2010年代という人為的ではあるが一つの区切りのうちで有終の美を飾るべきなのが今年である。現職中高教員を辞そうか辞まいか、周囲の反対を押し切っての大学非常勤講師への転身、そして宮崎大学への赴任して7度目のお正月を目の前にしている。
1日を過ごすうちでも、何かを実行するかしないかで夕暮れ時の充実感がだいぶ違う。「もっとできることがあったのにできなかった」と思った時の後悔は、はかないものである。昨日なども銀行での所用やホームセンターへ買い出しで思いの外に時間を費やしたが、それはそれで「年末」を感じるには余りある風情であった。銀行の駐車場で貴重なお電話をいただくこともあって、さらに気持ちは昂進した。帰宅して夕暮れまであと何をするか、何事も「此処」が要点になるような気がする。「有終の美」とは、辞書によれば「最後までやり通して、立派な成果をあげること。終わりを立派にすること。」(『日本国語大辞典第二版』)とある。さて、この日は課題となっていた洗面所の整理を始め、スッキリとした棚を生み出すことができた。大晦日の朝それは「今年を最後までやり通す日」である。その先に希望の2020年代を見据えながら。
夜は温泉納めで顔馴染みの方々と
身体を温め健康を確かめるような時間
暖かな蒲団のぬくもりよろしく、時代が前に進もうとしている。
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牧水研究会総会・研究会ー国をつなぐ明日へつなぐ
2019-12-30
研究会の今後へつなぐ「若山牧水と朝鮮」吉川宏志氏の講話
風俗よりも自然を愛した牧水らしさとは・・・
年1回開催される「牧水研究会」総会へ出席、今期の活動の総括と次年度への展望が様々に議論された。歌人個別の研究会と発行する研究雑誌があるのも、この『牧水研究』と『信綱研究』ぐらいであるようで貴重な近代歌人の研究会である。総会では雑誌を発行する上での編集のことや予算のことなど、会を今後も永く継続していく上で重要な案件が議論された。何事も創り出すとともに次へつなぐということは誠に重要なことであり、世代を継承する大切さをあらためて自覚する機会となった。会には京都から出身地・宮崎への帰省の足で吉川宏志さんも参加し、後半は講話をいただく機会となった。
『短歌研究』(短歌研究社)1月号では、吉川さんは内田樹さんと「いま発するべき声、歌うべき歌」として「韓国と短歌」の対談を行ない掲載されている。その基礎資料をもとに「若山牧水と朝鮮」と題して今回は講話をいただいた。牧水は逝去する1年前の昭和2年、主に短歌揮毫を目的として朝鮮半島を妻・喜志子らとともに訪れているが、途中体調を崩し(腹痛など)その後の命に大きく影響したと言われている。訪問の際も牧水らしく自然の美しさを存分に短歌に表現し、中には即詠した歌を朗詠しながら馬で道中を行くというような経験もしたらしい。随想には当時の生々しい世態風俗が描写されているが、短歌には自然への愛情を詠んだものがほとんどであると云う。また牧水と同年齢の石川啄木の「地図の上朝鮮國にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」が、唯一短歌で「日韓併合」を詠んだ唯一のものではないかと云う話題も。近代の歴史・社会の中で歌人たちはいかに生きたかが、痛切に感じられる講話であった。
「幾百万声集まらば原発の終てなむ国ぞ稼働決まりぬ」(吉川宏志『石蓮花』より)
牧水の本歌取りとして先鋭な社会詠も
牧水研究会を明日へつなぐ旅の途中
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年賀状とSNSのことなど
2019-12-29
SNSなど全盛の世相にあって「郵便」の意味を再考するCMなども
年賀状だけで繋がる人もやはり・・・
ようやく年賀状に着手できるようになった。日本郵便は嘗て「25日までに投函(すれば元日着)」を盛んに喧伝していたように思うが、こちらが目にする時間がないのかあまり言わなくなった印象だ。11月の年賀はがき発売から計画的に進める人もいるのだろうが、どうも年末が早く押し寄せてくるようで例年僕はそれができない。第一、元日に先方に読んでいただくメッセージがそんな早い時期では浮かばない。昨今はSNSのみで新年の挨拶を済ませる人も多くなったようだが、すべての人々がSNSを利用している訳ではない。特にFacebookならまだしも、TwitterやLINEでのメッセージは、あまりにも軽く感じてしまうのは単に年代の問題なのだろうか。クリスマスカードなどなら、LINE上で動画のだいぶ美しいものが(年賀状と天秤にかけると、こちらは今までやっていないのにLINEだとできると軽視している感覚)僕の手元にも届いた。
「リア充」=「リアル(現実の生活)が充実していること」(デジタル大辞泉)という語彙を聞くようになって久しい。ネット上のバーチャルな「架空の世界」と「リアル(現実)生活」を区分し二重な人格があるような思考である。だが時に若者たちは、現実そのままをSNS上に投稿するなどして、次第にその情報の真偽を見失うケースも少なくない。また大学で学んでいる内容などでもまずはスマホ検索して、その情報を鵜呑みにする傾向も否めない。信頼できる情報源か否かの選別も曖昧で非常に危うさを感じることもある。現に最近、報道された誘拐事件などはSNS使用が発端で、小学生などの低年齢化も懸念される。だがSNSを禁止し否定する、「例」の日本の教育では何の対応にもならない。話を年賀状に戻そう。こんな意味で「リアルの砦」として、ご無沙汰してしまっている人には特に意義ある年賀状を送る。今しか送れない写真を載せて、そして手書きのメッセージと宛名書き。これこそが僕自身の「リアル」の証明になるのだと思い込んでいるのだが。
人との繋がりを再考する葉書
明治大正昭和の文学者の書簡・葉書は重要な資料だ
時間も労力も経費もかける理由を探していたりする。
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中村学校の教師たち
2019-12-28
ゼミ卒業生の忘年会「このメンバーで学校を創ったら・・・」
現場でも人間性豊かな教師たちよ
大学も仕事納め、役職上の勤務時間があるので研究室で雑事を終わらせ、読みたい書物に目など通す閑かな時間を過ごすことができた。大学での時間は、この10月から特に常に動いているようで心静かになることも稀になっていた。だが、自己の中で落ち着く時間を創らねばならないと、こういう日には思い直すものだ。夜はゼミの卒業生たちが市内で集う忘年会を開き、その席に楽しみに出向いた。就任7年目ゆえに初年度の3年生から数えて今年の4年生で6代目、卒業後はほとんどが現場で小中高の教員をしている。出身県に帰って教員になった者もいるが、この日に集まることができたのは10名ほど。他県出身者でも宮崎に教員として残った者もいて、宮崎愛に満ち溢れたメンバーであると自負できる。
宴席で話題が展開するうちに、「このメンバーで中村学校を創ったらどうなるかな」と云う者がいた。中高の専科教員はどうするか(全員が中高免許は「国語」であるから)という現実的な問題はさておき、同じ苗床で育った者同士が教育現場を構成したら、さぞ連携の取れた学校になるだろうなどと楽しい想像ができた。話題は展開し「教師の人間性」について語り合うことに。僕自身が目指している教育のあり方として、「教師」こそが「人間性」「社会性」に長けているべきだという信念を持っている。ありがたいことに、ゼミを卒業した者たちの多くがこの意識が高いことに、この宴席の場で気づくことができた。ただ教員免許を取らせ、教師としての資質だけを養成するのみならず。大学生活はまさに生涯の「人間性」を涵養する場として、貴重な「苗床(「ゼミ」というドイツ語のラテン語の語源)」であることを、あらためて肝に銘じる宵の口であった。
「誰が教頭か主任か」などの想像も
彼らの力で宮崎の教育を変えて行け
この素晴らしき教師たちとのありがたき出逢いに感謝。
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知識は比較し関連づけて
2019-12-27
「松尾芭蕉」と覚えるのみではなくどのように俳諧を第一級の文芸に仕立て上げたのか?
疑問を調べて他者と要点の違いなども擦り合わせて・・・
年内最後の授業日、小学校・中学校は終業式を終えているが今や大学はこの時期まで講義実施日である。遠方に実家がある学生などは航空機を利用しての帰省となり、その運賃も高くなってしまっている時季。2年生に関しては年明けに成人式もあるゆえ、年末年始は帰省しないと云う学生もいるようだ。そんな状況での「文学史」の講義、15回のうちあと4回となり時代は近世(江戸時代)に入ることに。主に俳諧がいかに興隆し芭蕉がその文芸性を高めたのかを、資料を読みながら考える内容である。
講義内容に該当する部分を、事前にテキストから要点を書き抜いておくのが講義参加の前提である。講義の冒頭でその要点を学生が班を構成して対話する。今回は「芭蕉が俳諧で中心となるまでの状況」について、人物などをあげながら説明要点を発表するというもの。「松永貞徳」「西山宗因」などとともに「井原西鶴」などの名も挙がり、それぞれ「詞付」「心付」そして芭蕉は「匂付」であると言った内容も紹介された。中世の連歌の流れを引き継ぎながら、「諧謔」がいかに生み出されていくか。その後は、初期の若かりし頃の芭蕉の句と40歳頃の句を読み比べて気づいたことを発表するという展開。知識を構成しているのは、すべて資料の比較と関連づけからである。
これにて年内の講義は終了
そして会議なども終えて同僚との語らい
しばし落ち着ける時間がやって来たが。
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日常に埋め込んでいること
2019-12-26
朝、出勤前にすること小欄・歩き・コアトレ・ストレッチ
食事に身だしなみ等々・・・
継続は力なり、日々の繰り返しでしか成し得ないことがある。頭で思っているよりも自然と行動を繰り返す方が、確実に身になるのは明らかだ。日々でどのくらい様々な分野で効果的な行動をしているか?などと自己を省みることがある。文筆も研究も創作もそして健康トレーニングも、意識せずに生活の中で積み重ねられるようにしたい。人の世は最終的に形になった成果しか見ない傾向があるが、その成果たる氷山の海中には必ず日々の継続があることを忘れてはならない。
現在の体力維持や食生活は、10年後の健康に反映される。思い返せば、まさに今が未来に直結し、過去がまた今を形作っているのだ。年齢の5の倍数で身体的にも変化が生じるとよく言われるが、これもまた日々の行動が大きく関係している。「生活習慣病」に限らず、自らの身体は自らが創っているという意識を今一度考えてみたほうがよい。要は成果を出したければ、日常を変えるしかないということである。
年の瀬となり今年もまた
何を積み重ねてきたのだろう
あらためて日常に埋め込んでいることを検証する時季である。
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クリスマスだからじゃない
2019-12-25
「何か特別なことをしてあげる何か大切なことができるような」
(松任谷由実作詞・桑田佳祐作曲 「Kissin’Christmas」より)
「クリスマスだから言うわけじゃないけど」(前掲の歌詞の一部)と言う否定的な言い回しが、日本のXmas受容のあり方を象徴しているような気がする。『愛と狂瀾のメリークリスマスーなぜ異教徒の祭典が日本化したのか』(堀井憲一郎2017講談社現代新書)に拠れば、「西洋文化の祝祭の容れ物を借り、そこで独自の祭りを展開している。由来もなければ、歴史もない。伝統にもならない。ただ西洋文化を受け入れているポーズだけがある。」と云う同書の結論としての指摘は、明治以降150年間の日本のXmas受容史を考える上で重要なものだ。「降誕祭」などという祝祭の趣旨はまったく加えず、各時代の流行に任せて「西洋化」こそが高級でありセレブであるような感覚をもって、「狂瀾」の歴史を刻んで来たのが日本の近代である。もちろん、そこに資本主義経済が横たわり、特に米国式の利益誘導型な経済優先主義が蔓延していることも自覚すべきであろう。
大学半期15回必須の施策により、Xmasにも講義がある大学暦となった。僕らの時代は12月中旬以降の講義などなく、冬休みも1ヶ月近くあったと記憶する。当時の感覚からすると、現在の学生たちはクリスマスイブでも、実に真面目に講義に出席する。そんな彼らの顔をみて、先日の「まちなか文化堂」の内容を一部紹介しながらのイブ講義を展開してみた。1980年代の「恋人と過ごすXmas」という社会的な気分は、今は蔓延こそしていないが残存していないわけではないようだ。今の学生も達郎の「クリスマスイブ」の曲は好きだし、ユーミンの「恋人がサンタクロース」と言ったお伽話に憧れている学生がいないわけではない。だが、この個別化と分断化が進んだ社会で、新たなXmas観も醸成されつつあるのではないかと思う。Xmasが来ればあと1週間で年の瀬、仕事も生活のギアもこのあたりであらためてチェンジする時季。今年1年を回顧しつつ来年への希望を思い描く時季になる。愛する人と「何か特別な」「何か大切な」ものの共有を強める時間などと考えてもよいかもしれない。美味しい家庭料理とこの季でこそのプレゼント、この素朴な愛の気持ちを常に意識すべく定点観測する日なのではないだろうか。
ツリーの明滅を眺めつつ
サンタの人形がのるケーキをいただく
1年間にあらためて感謝し、来たるべき1年に希望を待つ時を過ごす。
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ふるさとは遠きにありて
2019-12-24
室生犀星の詩を音読していた頃学問の基礎から研究までを支えてくれた街
あらためてふるさとを語るときが来た
生まれることそのものを、人は自ら選択できない。生まれる場所も環境もまた同じだが、その邂逅そのものを「ふるさと」と呼ぶ。物心ついてそこにあるもの、初動の行為がICT機器などでも規定の設定になるように、人の生育や生きるための興味関心にも大きな影響を与える。今にして思えば、僕にはいつも「声」と「本(文字)」がそこにあったのかもしれない。幼稚園時代には紙芝居やお話のファンタジーな世界観が、大変に好きだった。忙しい両親からは様々な絵本や図鑑を購入してもらい、外で遊ぶよりも本や図鑑を見ているのが好きな子どもだった。やがて小学校中学年頃になって、その街が「文士村」と呼ばれるていることを書物で知った。芥川龍之介・菊池寛などの小説家、詩人では相互に親交が深かった萩原朔太郎や室生犀星らが住んでいた街だ。次第に彼らの詩を必然的に声に出して読むことが好きになった。
文学好きな素養は、最高学府の学びの場に都の西北を選択する。多くの歌人や詩人に文学者が育った圧倒的な環境がそこにあった。これが自らが選択して自らがその扉を開いた、心のふるさととの出逢いである。先生方のみならず、友人や先輩後輩にも様々な刺激を受けた。街には馴染みの飲食店も何軒かあって、その味と栄養で育ててもらった思い出もある。昨今は大学キャンパス構内にもコンビニがあるぐらいで、街にある「おふくろの味」ほ流行らなくなってしまった。僕の馴染みの店もほとんどが、後継者も厳しく閉店を余儀なくされている。街は変貌を遂げてしまったが、僕の生き方を基盤から築いてくれた「ふるさと」がある。今現在、宮崎に住んで東京を遠目に眺められるようになって初めて、タイトルの犀星の詩の意味も噛み締められるようになった。そして、このような言葉を紡ぐ宮崎が次なる「ふるさと」になろうとしている。
今までの人生で得られたことを歌に
「よしやうらぶれて異土の乞食となるとても」
回顧するのみにあらず、今から言葉で「ふるさと」を創るのである。
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移動の先の待つこと
2019-12-23
離陸後の上昇中に「トイレ」」と泣き叫ぶ女の子仕方ないとは思いつつ、トイレを我慢する辛さを思う
移動の先にある「待つ」こと
明治時代から制定された学校制度に、あらゆる子どもたちを適応させるための最初の施策が「排便の定時化」であると聞いたことがある。「授業」を受けるためには、一定時間(現在では45分か50分程度)はトイレに行かずとも過ごす身体が必要となる。個々の人々の発達の中にも「近代化」があるとすれば、就学前教育の中で「排便」の訓練が行われるのが一般であろう。僕自身も幼稚園時代の記憶を辿ると、引っ込み思案がために辛い経験が幾度となくある。昨日、私用があって東京へと向かう途次、離陸してベルトサインが消えない航空機内で幼い女の子が母親に連れられてトイレに向かおうとしたが、もちろん客室乗務員に制止された。女の子は「トイレ!」と大声で泣きながら自分の席に引き返した。その女の子の辛さを思いつつも、「待つ」身体を希求する近代とは何か?などと考えてしまった。
東京では何人もの友人・知人が待っていてくれる。そして宮崎の様子などを尋ねてくれ、彼らの多くが宮崎に来たいと云う。今回の「まちなか文化堂」で実施したセミナーで扱った楽曲(X’mas song)の録画映像などを、僕に観せようと準備し待っていてくれた親友がいた。僕の服の好みを十分にわかっていて過去に取り揃えた物も頭に入れつつ、選択肢を用意してくれる店長の僕を待つ思いもありがたい。親友の落語家と応援している人々が、下町の上品な料理を出す店での粋な集いを待っていた。どうやらこの日の有馬記念の馬券を待っていたのだという話題もまた、貴重な社会勉強になった。やむを得ない私用での上京となったが、宮崎の日向市では「マスターズ短歌甲子園」(高校生ではなく一般参加の大会)が開催されていて、本来ならば顧問をする短歌会の学生や卒業生の奮戦を観たいという強い葛藤の渦の中での上京でもあった。しかし、学生たちからは「優勝しました!」の連絡があり、待ち望んでいた吉報に感慨も一入であった。
X’mas前の雑踏にプレゼントを狩る人々
この人口密度の過剰さを怖れない強気の人々
仕事は宮崎に惜きつつ誠に重要な私用をこなす使命を待っている。
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「待つ」ことは生きることー#まちなか文化堂
2019-12-22
「外はため息さえ凍りついて冬枯れの街路樹に風が泣く
あの赤煉瓦の停車場で
二度と帰らない誰かを待ってるwow」(桑田佳祐作詞「白い恋人たち」より)
国文祭・芸文祭2020プレ企画「まちなか文化堂#2」の担当第2回目が開催された。前週同様に蔦屋書店さんとのコラボ企画で、市内中心部にある店舗の売場内に設けられた特設会場にてセミナーを実施した。街はX’mas前で親子連れなども多く絵本のコーナーなどに訪れており、このセミナーを目当てにして来た人ではない方々が、覗き見てくれるような感覚が嬉しい。まさに「まちなか」に文化の香りを漂わせるのが大きな目的である。さて、今回のセミナーの中心的なキーワードは、「待つ」ということであった。X’masの明治以降の受容史を鑑みながら、僕たちはいつの時代も何を「待って」生きて来たのか。サンタクロースのプレゼントを待つ子どもたち、そして聖夜を恋人と過ごすために待つ男女、または会社帰りのお父さんを待つ家族。何か特別な日にあらずしても「待つ」という感情そのものが、生きることそのものに思えてくる。
「死ぬために命は生るる大洋の古代微笑のごときさざなみ」(春日井健『青葦』より)の短歌などは、「生命」の根源を「大洋」(海)に見出し古代の香りを漂わせながら考えさせられる歌である。『百人一首』(97)にある藤原定家の「来ぬ人をまつほの浦の夕凪に焼くや藻塩の身も焦がれつつ」を読んでも、恋い焦がれる対象を待つという心情は、X’masの有無を問わず人間の普遍的なものであると言える。単に『百人一首』のみでも、恋の歌で「待つ」心情を表出したものは多く見出すことができる。「人は独りで生まれ、独りで死んでいく」という無常な必然性を考えるに、まさに誰かと出逢いを待つために人は生まれのである。その生きる哲学とも言える普遍性の中で、人生は自ら行動し「待つ」対象と出逢うための冒険なのかもしれない。「君を待つ土曜日なりき待つという時間を食べて女は生きる」(俵万智『サラダ記念日』より)
「待ち時間長きもよけれ日の出待ち月の出を待ち永遠を待つ」(伊藤一彦『待ち時間』より)
待つことができない世の中がさらに進行しそうな世相の中で
せめて宮崎では穏やかに「待てる」生き方ができるようにありたい。
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