「海の聲」を聴いている
2019-11-28
就寝時に頭の先から聴こえる海岸線から3Kmの高台に横たわる
あたりの閑かさを透かしての聲が
昨日の小欄で、若山牧水と宮崎の魅力に関する発表を学内で行ったことを記した。自らの身体も自然の一部という牧水の短歌から読み取れる自然観は、たぶん都会に住んでいたのではなかなか実感がわかない。牧水の第一歌集『海の聲』は、大学生の頃から若き日の歌を収める。そこで牧水が宮崎の自然の奥深さを自覚しているのは、大学生活を送る東京から帰省した際に取材したものであろう。「独り海聴く」という若さの孤独と人間の小ささの自覚、東京も経験したからこそ故郷・宮崎の魅力をより多く受け止めることができたのだろう。物事はすべて相対化の中にあり、他との関係によって初めて意味をもつ。そんな自覚は常に持っていたいものだ。
いま小欄を記している間に、未だ明けぬ闇に向かって思わず窓を開けた。まさに「海の聲」が鳴り止まず、僕の耳に届いているのを深く確かめるためだ。就寝時に電灯を消した瞬間に、我が身が置かれている世界観に思いを馳せることが多い。視野が閉ざされた暗い闇、その闇の性質そのものも、東京のそれとは大きく違う。次第に五感は視覚から聴覚へとシフトし、眼と違って耳は蓋がないので閉じられず、そのまま眠りの底へと向かうことになる。やや臨死体験のようなこの過程にこそ、自らの命を自覚する効果が埋め込まれているように思う。この海と山が常に身近に実感できる環境、太陽や月の出をすべて見通し地球の陸の一端にいる我の自覚が尊い。
命を深く自覚できること
「聲」を疎かにしないこと
「聴く」は「受け入れる」ということ。
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