腕立て伏せを仕向ける人に
2019-11-19
「考え方を変えられる人に教育はフィットネスに似ている
腕立て伏せは見ているだけでは何ら効果はなし」
宮崎大学附属図書館は現在改修中で、2020年5月の新規開館を目指している。施設のみならず学生の創造的な活動拠点を設けるべく、僕は副館長としてあれこれと施策を練っているところである。その活動にとって大きな力となる助っ人が現れた、在福岡米国領事館である。昨今、日本人の米国留学をする学生数は激減していることも背景に、留学相談や支援をするデスクを図書館内に設けようというプロジェクトが進行中だ。当該企画のキックオフシンポジウムとして、米国の新しい教育方法へ斬新な提言をしているJose’ Antonio Bowen氏が来校し”teaching naked”と題しての提案が行われた。先進ICTの進化めまぐるしい時代に「記憶」は学びではなく、「自分の言葉で書ける力」が重要であると云う。新しい大学教育は、冒頭に記したように「腕立て伏せ」に喩えられ、運動を「見ていたい学生」を「自ら運動し方法を学ぶ」ことで、生涯を通じて「生きていける」過程を身につけることができると云うのだ。この革新的な教育方法の変化は、まさに「ゲーム」をするような新たな学びの創り方なのである。
シンポジウム開催前の午前中には学内で「教育力改善」のFD/SD研修会があり、前年度に教育活動表彰を受けたということで僕が「説明しては動かぬ学びー対話的活動の実践」と題して20分間の報告に立った。短歌を創作するにあたり「説明的」であるのは、歌に対する否定的な評語であることを具体的な実例をあげて冒頭に述べた。スピーチコミュニケーションの考え方では、話し手が上手く話せば聞き手の理解が深まると云うのは自己満足に過ぎず、双方向で発問と発表があっても課題は深まらない。課題(教材)と学習者と指導者が三位一体の円環的な創造的発見をもたらす活動の中で、学び手が主体的に動くことが肝要であるという趣旨を根幹に述べた。こうした理念で実践している講義の対話活動記録の作り方、90分間を「15分×6セット」で構成する工夫、ルーブリック評価の試作などについて、学生たちの実例に基づいて紹介した。奇しくも、この「マクラ」的に僕が話した内容は、午後のシンポの内容に即したものであった。まさに教室で「腕立て伏せを見ている」のではなく、15分のうちに鍛えるべき効果を明確化し、学生自らに脳の筋トレを施すための講義の方策なのであった。
講義の環境や場所そのものが革新的に変化している
思考を言語化し可視化する様々な仕掛けを施す
新たな大学附属図書館として面白すぎる筋トレアプリを揃えていかねばなるまい。
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