ちゃぶ台返しを大人はできない
2019-11-15
昭和の名作「巨人の星」息子を名投手に育てようと鬼のような父親の行為として
信念があるならまだしも
昭和の”スポ根”ものとしてあまりにも有名な「巨人の星」。自らは川上哲治と近い年代で名三塁手であった星一徹は、出兵して戦地で肩を負傷し帰還後に巨人軍に復帰したが「魔送球」なる走者に送球が当たるかのような肩の補強策を生み出すが、川上に諌められて巨人軍を去る。そして息子の飛雄馬に「巨人のエース」になる夢をすべて託しスパルタ教育を、まさに名の如く”一徹”し始める。飛雄馬が弱音を吐いたりすると、ご飯を食べている際などはその「ちゃぶ台」をひっくり返しても暴力的に戒め、野球への情熱を貫かせようとする。たぶん「ちゃぶ台返し」という語句は、この「巨人の星」で有名になったのであろう。まさに昭和の遺物とでも言おうか、この暴力的なスパルタは、現在の世の中にはたぶん受け入れられない態度であろう。
『デジタル大辞泉』(Japan Knowledge)を引いてみると、「1、(腹を立てた者が、食事の途中で)ちゃぶ台をひっくり返すこと。2、(1から)準備の整った、また順調に進行している物事に介入し、振り出しに戻してしまうこと。」とある。なかなか現実での行為としては考え難いものであるが、2の項目にある比喩的な意味ではむしろ該当する事例が昨今の社会に頻発しているような気がする。かけっこで自分がスタートを失すると何度も仕切り直しをするとか、将棋で自分が不利になると盤を崩してしまうような衝動的動作は、我儘な小人の行為で大人のできる行為ではあるまい。前掲の星一徹は信念を貫くための行為ではあるが、食事を用意した娘の明子の心境を考えればいたたまれない。そんな横暴を、現在の社会であるからこそ決して許されるものではあるまい。
社会が信頼を失っていく
何でも押し通す社会に未来はあるか
昭和の負の遺産が信念まで失い跳梁跋扈してはいないか。
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