重ねて調和するゆえに平和なり
2019-11-08
和漢混淆文の韻律ある音「本歌取り」をした理由
中世の文学が受け取り引き継いだもの
島内景二の新刊『和歌の黄昏 短歌の夜明け』(2019年9月 花鳥社)には、実に目を開かされる文学史的指摘が豊富である。それは従来の「文学史」といった枠組みではなく、『源氏物語』研究に始発し前衛短歌の塚本邦雄にも師事した多彩な経歴を活かした画期的な筆運びが見える。一概に「和歌短歌」というが、現代短歌までを通底する「やまとうた史」が書ける研究者は、どこにでもいるわけではない。現代短歌の実作を考えるという視点は、まさに「うた」の1300年にわたる変容と共有に迫るものである。なぜ「五七五七七」の形式は守られてきているのか。この容易には答えられない命題に向き合うには、文化交流史的な視点や近現代とは何かという複眼的な視点が必要になる。
前掲島内の著書における藤原定家の「見渡せば花も紅葉も・・・」の和歌短歌史を通底する歌評に、「重ねの文化」という記述が見える。「三夕の歌」として有名なこの歌は、周知のように『源氏物語』明石の光源氏の視点を「重ねて」の詠歌である。武士の勢力が蠢き始め平安朝貴族文化が安閑としていられなくなった時、文化の粋を「重ね」合わせることで、和歌が育んできた文化の資質を接続することに成功したのである。考えてみれば、平家鎮魂のために語られた『平家物語』の文体の特徴とされる和漢混淆文も「重ね」の典型である。和歌の育んだ韻律に漢語を混ぜて語ることで、より生き生きとした日本語の文体が生じた。島内の著書は訴える、「重ねの文化」は「調和」であり、「調和」は「平和」を創る基本的な思考であると。混乱の時代に必要な複眼的で多面的な視野の広さ、「現代がいかなる時代か?」僕たちは果たしてどれほど知っているのだろうかと思う。
古典文学史は今を考える視点から
この混迷の時代に僕らはなにを「重ね」ればいいのだろうか
中世が優しく僕らに語りかけている。
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