あなたのことなんですが・・・
2019-11-20
他を批判する言葉報道を聞いているとそのまま当の本人への批判かと
省察なき自己本位社会・・・
2010年代が考えてみれば、あと40日少々となった。10年ひと昔、いや今や5年や3年で目まぐるしく時代は移り変わる世の中だ。2011年東日本大震災、「敗戦」に匹敵する大きな社会構造の変化とも言われたが、3.11以後の世の中は新しい社会へ目を開くごとき省察あるものではなく、社会で起きるあらゆることに批判とともに目を瞑るような闇の世相になってしまったようにも思う。疑問や異を唱えることは黙殺・封殺され、暗躍たる力のあるものが恣意的な隠蔽を平然と実行し横暴を極める。「平和」を求めるべき新時代のはずが、世界は分断と紛糾にまみれてより混迷を深めている。さらに遡って考えれば、21世紀になってからというもの、世界は20世紀の自己省察をすっかり忘れてしまったかのようだ。
人間が自らを省みられなくなっているうちに、自然は20世紀に侵された負荷を人間に向けて一斉に吐き出し始めている。台風や浸水被害は日常茶飯事となり、異常気象を「異常」と思わない風潮が世相を席巻している。この国では東京五輪に向けて巨額の予算が投じられ、東京では新駅開業などを含めて工事ばかりの光景が顕である。その一方で台風被害から立ち直ることに苦しむ人々、さらには将来を担う子どもたちへの教育に関する問題も混迷を深める一方だ。暗闇に潜んで蠢く力は、あらゆる手段を講じて自らの思い通りに社会の理性を薙ぎ倒していく。21世紀になった当初はICT機器の進歩とともに知性と感性の成熟した社会が予想されたが、むしろ真逆な野蛮で力任せの幼児性を帯びた社会が目の前に広がっている。子どもの言い訳を聞くと、当人にそのまま当て嵌まることがよくある。もはやそれは「子ども」だけがするものではなくなってしまった、かのようだ。
言い訳と詭弁は「当然のことです」
知性ある矛盾なき思考を力でねじ伏せる
2020年代にこの世相の大きな代償が待っているとは思いたくないが・・・
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腕立て伏せを仕向ける人に
2019-11-19
「考え方を変えられる人に教育はフィットネスに似ている
腕立て伏せは見ているだけでは何ら効果はなし」
宮崎大学附属図書館は現在改修中で、2020年5月の新規開館を目指している。施設のみならず学生の創造的な活動拠点を設けるべく、僕は副館長としてあれこれと施策を練っているところである。その活動にとって大きな力となる助っ人が現れた、在福岡米国領事館である。昨今、日本人の米国留学をする学生数は激減していることも背景に、留学相談や支援をするデスクを図書館内に設けようというプロジェクトが進行中だ。当該企画のキックオフシンポジウムとして、米国の新しい教育方法へ斬新な提言をしているJose’ Antonio Bowen氏が来校し”teaching naked”と題しての提案が行われた。先進ICTの進化めまぐるしい時代に「記憶」は学びではなく、「自分の言葉で書ける力」が重要であると云う。新しい大学教育は、冒頭に記したように「腕立て伏せ」に喩えられ、運動を「見ていたい学生」を「自ら運動し方法を学ぶ」ことで、生涯を通じて「生きていける」過程を身につけることができると云うのだ。この革新的な教育方法の変化は、まさに「ゲーム」をするような新たな学びの創り方なのである。
シンポジウム開催前の午前中には学内で「教育力改善」のFD/SD研修会があり、前年度に教育活動表彰を受けたということで僕が「説明しては動かぬ学びー対話的活動の実践」と題して20分間の報告に立った。短歌を創作するにあたり「説明的」であるのは、歌に対する否定的な評語であることを具体的な実例をあげて冒頭に述べた。スピーチコミュニケーションの考え方では、話し手が上手く話せば聞き手の理解が深まると云うのは自己満足に過ぎず、双方向で発問と発表があっても課題は深まらない。課題(教材)と学習者と指導者が三位一体の円環的な創造的発見をもたらす活動の中で、学び手が主体的に動くことが肝要であるという趣旨を根幹に述べた。こうした理念で実践している講義の対話活動記録の作り方、90分間を「15分×6セット」で構成する工夫、ルーブリック評価の試作などについて、学生たちの実例に基づいて紹介した。奇しくも、この「マクラ」的に僕が話した内容は、午後のシンポの内容に即したものであった。まさに教室で「腕立て伏せを見ている」のではなく、15分のうちに鍛えるべき効果を明確化し、学生自らに脳の筋トレを施すための講義の方策なのであった。
講義の環境や場所そのものが革新的に変化している
思考を言語化し可視化する様々な仕掛けを施す
新たな大学附属図書館として面白すぎる筋トレアプリを揃えていかねばなるまい。
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人が好きになるところ
2019-11-18
逢う人会う人みんな優しく穏やか「まず人は疑う」と教える都会はいづこへ
みやざきの街から考える
宮崎に住んで7年の月日が経つが、この地を好きになる大きな理由に人の親和性がある。様々な機会に出逢う人々、そしてまた学生たちを含めて優しく穏やかである。この週末は2日間とも大学祭を巡り歩いたが、随所で出会う学生たちはみんな心を開いて接してくれる。正直なところ、東京の大学祭や高校の文化祭も多々経験して来たが、食べ物を売りつけたりといった利害関係のみで親しげに接してくる者も少なくなかった。だが今回は「売りつけ」られるのではなく、買いたくなる関係にある学生たちが、この大学には多いような気持ちになった。誠に学生たちの人のよさなら、日本でも有数ではないかと自慢できる大学である。
大学のみならず、街の人たちも好きになることが多い。何しろ住んでいる住宅街では、初対面の子どもたちが路上で挨拶をしてくれる。もちろん、こちらからも挨拶をするようにしている。信号機のない横断歩道も多いが、車を停止して待つとたいていは頭を下げて礼の心を表現する人々が大半だ。先日の新聞記事に、道路交通法では信号機のない交差点に歩行者がいた場合に車は止まらねばならないとあったが、その停止率の高い都道府県は1位が断トツに「長野県」、地方の率が高いのも十分に頷ける。都会の歩行者も押し退けようとするごとき車の走り方には、生命を脅かされるような恐怖を覚える。何事も焦らないあくせくしない宮崎の時間、時に「日向時間」と自虐的に揶揄して言う場合もあるが、日本で人間性ある時間が流れているのはもはや地方の街のみであろう。
さらに大学は街と親しくなれば
街の人も存分に利用できる附属図書館へ向けて
「まちなか」の楽しみな企画担当も来月には開催予定である。
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「たんかフェ」にいらっしゃい
2019-11-17
宮崎大学「清花祭」開催中宮大短歌会の出店は「たんかフェ」
県文化振興課とのコラボよろしく
宮崎でも、空気はすっかり秋の湿度と冷たさを感じるようになった。大学キャンパスでは「清花祭」と呼ぶ大学祭がこの週末には開催されている。「清武キャンパス(医学部)」と「木花キャンパス(教・地域・農・工の4学部)」という車で5分程度の両キャンパスでの学祭ということがこの名の由来である。役職柄、緊急時の対応も仕事として頭にありつつ、木花キャンパス内を巡り歩いた。教育学部を中心に講義などで顔なじみの学生たちが模擬店の飲食物を売りに来たり、ゼミ学生が構成するバンドの野外ライブがあったりと、学祭の波に次第に呑まれていく。しかし中でも大変に興味深かったのは、宮崎県の山間部の小学生が来場し地域の魅力を伝える教育学部の企画であった。学園祭がエンターテーメント化する中で、新たな方向性を感じさせたからだ。
さて、僕が顧問を務める「宮大短歌会」は、「たんかフェ」を開催している。教室にて、短歌会機関誌「みやたん3号」を配布するとともに、歌集が読めたり会員の短歌に投票ができたりするカフェ(飲物無料)である。特に今回は来年2020年宮崎開催の「国民文化祭・障害者芸術祭」に向けて、県文化振興課によるPR企画がコラボして開催することになった。短歌など宮崎の文化に関するアンケートの実施や牧水賞などの紹介などが為され、宮崎県のゆるキャラ「みやざき犬」も登場した。日本一の「短歌県」を目指すという県の方針が、学生短歌会と連携するというまさに日本でもここだけの企画と言えるかもしれない。昨今は日本中どこでも、大学祭や高校の文化祭に「文化」の影はほとんどなくなってしまった。地域の大学として県の文化振興とともに取り組めることは、大変に貴重な環境にあると思う。来年へ向けて若い人たちの短歌熱がさらに高まることを願って。
新たな時代の新たな大学祭とは?
学生たちの生き方は将来のこの国のかたち
本日まで開催中「たんかフェ」にいらっしゃい!!!
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未来から過去は変えられる
2019-11-16
映画『マチネの終わりに』極めようとする自らの道の苦悩
そして真に愛するとは何か・・・
1週間の仕事を終え、妻がレイトショーを観に行こうと誘った。観たいのは平野啓一郎原作の『マチネの終わりに』、以前にも一度「行こうか」と言ったが叶わずということもあり、ジムに行こうか迷っていたのをレイトショーの予定に変更した。それは何となく「今日」観ないと、「未来」から警告を受けるような、何とも言葉にできない精神作用が働いたからだ。その判断をした際の自分を、映画を観終わった際の「未来」の自分が、存分に褒めてやる「レイトショーの終わりに」であった。映画一本、短歌一首でも「今日」出逢うことがいかに大切か。「出逢う」人生と「出逢わない」人生では、日々を積み重ねた「未来」に大きな隔たりが生まれる。ゆえに与えられてどちらへも行ける「今日」には、「動いてみる」ことをぜひ選択したいと思う。その「動き」によって、「未来」から「過去」さえも人は変えることができると映画は教えてくれた。
「今日」という「未来」を宮崎で、僕が妻と幸せに暮らすことができているのを、「過去」の自分はどう見るのだろうか。学部卒の際は、研究に魅せられながらも行動的に勢い余って現場を選び中高教員となった。東京に住み続けることにも、赴任校の校風の上で生きることにも何ら疑問を感じなかった青臭い20代を過ごす。だが30代の「未来」は、研究としての「文学」から離れてしまった20代の過去を悔やんだ。大学院一般受験に挑んで合格、現職教員を続けながら研究との二足の草鞋に苦闘した。これが、僕の第一番目の未来から過去を変えた経験。そして学位取得を成し遂げ、全国に広く僕の研究・教育の価値を認めてくれる大学専任を求めた。今でもまったくわからないが、なぜ宮崎に決まったのだろうと思う。だが公募採用への応募を繰り返す中で、どこか地方での豊かな心での生活が頭をよぎっていた。これだ!宮崎では真に心から愛する妻と短歌と出逢った。「宮崎に採用が決まった」のではなく、「宮崎でなくてはならなかった」のである。
映画を観終わった後の幸福感は何だろう
人影まばらなレイトショーの雰囲気よろしく
僕は「今日」という「未来」が大好きなのである。
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ちゃぶ台返しを大人はできない
2019-11-15
昭和の名作「巨人の星」息子を名投手に育てようと鬼のような父親の行為として
信念があるならまだしも
昭和の”スポ根”ものとしてあまりにも有名な「巨人の星」。自らは川上哲治と近い年代で名三塁手であった星一徹は、出兵して戦地で肩を負傷し帰還後に巨人軍に復帰したが「魔送球」なる走者に送球が当たるかのような肩の補強策を生み出すが、川上に諌められて巨人軍を去る。そして息子の飛雄馬に「巨人のエース」になる夢をすべて託しスパルタ教育を、まさに名の如く”一徹”し始める。飛雄馬が弱音を吐いたりすると、ご飯を食べている際などはその「ちゃぶ台」をひっくり返しても暴力的に戒め、野球への情熱を貫かせようとする。たぶん「ちゃぶ台返し」という語句は、この「巨人の星」で有名になったのであろう。まさに昭和の遺物とでも言おうか、この暴力的なスパルタは、現在の世の中にはたぶん受け入れられない態度であろう。
『デジタル大辞泉』(Japan Knowledge)を引いてみると、「1、(腹を立てた者が、食事の途中で)ちゃぶ台をひっくり返すこと。2、(1から)準備の整った、また順調に進行している物事に介入し、振り出しに戻してしまうこと。」とある。なかなか現実での行為としては考え難いものであるが、2の項目にある比喩的な意味ではむしろ該当する事例が昨今の社会に頻発しているような気がする。かけっこで自分がスタートを失すると何度も仕切り直しをするとか、将棋で自分が不利になると盤を崩してしまうような衝動的動作は、我儘な小人の行為で大人のできる行為ではあるまい。前掲の星一徹は信念を貫くための行為ではあるが、食事を用意した娘の明子の心境を考えればいたたまれない。そんな横暴を、現在の社会であるからこそ決して許されるものではあるまい。
社会が信頼を失っていく
何でも押し通す社会に未来はあるか
昭和の負の遺産が信念まで失い跳梁跋扈してはいないか。
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講義で元気
2019-11-14
講義をする際の気持ちの高まり話が興に乗り受講者と対話が成り立つとき
やはり講義は好き
この10月から勤務体制に変化があり、日々が緊張感を帯びるようになった。ある意味で中高現職教員だった頃の勤務と同じようでもあり、大学教員となってからの自由裁量な時間の使い方を省みる機会ともなっている。現職教員をしながら大学院生として二足の草鞋を履いていた頃は、ともかく労働時間が自由裁量になれば、どんなに効率的かと憧れていた。仕事内容と質を考えてもただ単に勤務時間に拘束されるだけでは、「いい仕事」はできないだろうと思っていた。その後、大学非常勤を2年間経験したが、3箇所の大学へ通勤時間もまばらに通いすべてを自己管理することにもなかなかの苦労があった。人は常に無い物ねだりをする動物である。だがいずれの勤務体制でも、「授業」「講義」については楽しみであり元気になってしまうぐらい好きだと言えるのは今も昔も変わらない。
どんなに忙しくて時間に追われていても、「講義」に向かう際の躍動する気持ちが萎えることはない。学生たちと同じ教室空間に入り、語り始めて次第に呼吸や目線が合ってくる。学生たちが学びたいと云う思いを訴える表情になり、こちらが提供する情報に視線が熱くなり始める。笑いあり苦い表情ありとなれば、講義内容の題材に深く入って来ているのがわかる。刹那に我に帰ってみたとき、言葉にならない幸福感を抱いていることに気づく。人間は人々と心を交わすことで初めて、自己存在を確かめられる。「講義」と云うのは、将来ある学生たちに希望を与えるものに他ならない。その希望の光を学生の目の奥に見たとき、まさに教師としての自分という存在が堪らなく嬉しくなる。そんな自己陶酔的な気持ちから、今日も元気をいただく。
教える空間でこその自己を見つめて
オムニバス講義の3回分に集中して
今日も講義で元気
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編集し表現するちから
2019-11-13
中学校定番小説の授業づくり会話文・地の文を編集し脚本にする理解
県研修センターと大学そして附属校が協働で行う研修
地域に貢献する国立大学として様々な協働活動に取り組むことは、自らが地域を知る上でも大変に重要な機会である。教育学部としては現場の教育の実情にどれほど寄り添えるかが、机上の空論を振り翳さない唯一の関所のようにも思う。この日は、県研修センターと宮崎大学が協働で実施する教員研修の講師を務めた。午前中は教育方法を専門とする先生が、「教材解釈と発問」に関するワークショップを実施。午後は音声表現活動をすることで主体的な解釈・理解に導く、担当ワークショップである。参加者は少なめであったが、ゼミの4年生が初任研の先取りよろしく6名参加して、活動するにはちょうどよい人数の研修となった。
場面が究極に切り取られた文芸が短歌である。例によって、最初は一首の短歌を音声で伝えて、即興の寸劇を創る準備運動。場面・登場人物・台詞などを想像して、一首はどんな心を伝えようとしているかを考えて身体表現に仕立てる。同じ一首が様々な役柄の人物に演じられる解釈の多様性が可視化されて面白い。今回は中学校教員が主な対象であり、教科書の定番小説をテーマとしていた。『少年の日の思い出』『走れメロス』『故郷』というのが3年間の各学年に配当されている。僕が従来から群読劇の実践に取り組んで来たのが『走れメロス』であるが、本来は中学校2年生が深く学ぶには難しい教材であろう。だが果たして完全な理解、完全な群読表現などができなければ学びにならないのだろうか。否、表現をすることを通して理解への糸口を創り出し、その年齢で「読む動機」を起動させておけば、生涯を通じて適した年齢で再読したくなる教材となる。学びは14歳で終わるわけではない、むしろ契機となる活動経験を根のように植え付けておくことが肝要であろう。
そして指導者自らが群読の経験をしていること
メロスも云う「口ではなんとでも言える」
附属中学校での授業実践も随所に紹介され深い連携の研修となった。
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必需品としてのスマホ歴
2019-11-12
スマホは生活必需品か機種変更で様々な「復元」が求められ
セキュリティーを強化すれば自らが闇に舞い込む
携帯が一般的に普及してから四半世紀、スマホとなって10年以上になろうか。いずれの契機においても「私は持たない」などと大量のデータ通信が可能になることに、ある種の恐れや懸念を抱いていた方々も少なくはないだろう。何事にもこだわりのある僕も、特に周囲から「持たない派」と見られていた節がある。しかし現職教員として大学院へ通うようになって、緊急連絡の必要性が生じた際には必需品だと反論をして所持するようになった。まだアンテナを伸ばすトランシーバーのような機体で、本当に携帯「電話」の機能しかなかった時代である。ところが10年ほど前になって、ちょうど学位が取得できた年のことだ。ある人々と出逢ったことを契機に、スマホを所持するようになった。
以来、10年ほどスマホを機種を変えつつ使用して来ている。何が一番大きな機能かといえば、「Japan Knowledge Personal」をいつでもどこでも検索できること。今や『日本国語大辞典第二版』や『新編日本古典文学全集』までが含まれるデータベースであり、歌会を始め外で語彙検索をしたい際には誠に便利である。もちろんSNS系のアプリで家族や友人と連絡を取るのも日常的である。また出張などの航空券管理、短歌の素材メモなど用途は広範に及ぶ。今回は、従来から所持していた「携帯」と「スマホ」の二回線を一回線に統合しようと目論んで、機種変更に及んだわけである。今まで使用して来たスマホを、そのまま新たなスマホに復元したい。ショップでも丁寧な対応をいただいたが、「復元」には時間を要するということで家に引き取って試みていた。その際の「パスワード」との格闘は誠に葛藤とストレスの極み、セキュリテーを強固にしようとして自らが迷宮に入る結果となる。この精神状態もまた、この「時代」を生きるということか・・・。
既に母らの世代もスマホを
「5G」となるとさらに革命的という話も聞いた
この先どこまで行くのやら・・・
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形式の中に発見する自分ー神話のふるさとプレ短歌大会
2019-11-11
伊藤一彦先生講演「短歌が照らす人生」「形式への信頼をなくさないこと。
歌の中に自分が発見される。」
来年は東京五輪のみならず、みやざきでは国民文化祭・障害者芸術祭が開催される。ちょうど来年のこの時季には、県内各地で様々な文化的行事が展開してるであろう。この日は、県歌人協会が主催しプレ大会が開催された。記念講演として伊藤一彦先生が「短歌が照らす人生」と題してお話をされた。先生の近刊『歌が照らす』(2019年9月 本阿弥書店)に掲載のエッセイにまつわことや、秀歌鑑賞を盛り込みながらテーマが具体的に伝わる内容であった。ここに集まる短歌を愛好している人々は、「形式を信じている人の集まり」であり「万葉集以来、歌を創ってきた者の集まり」であると講演の口火が切られた。伊藤先生ご自身も「人生を歌に照らされてきた」のだと云う。それは「わかっている自分を歌うのではなく、歌の中に自分が発見される」ということであると。
万葉・古今・新古今の秀歌をよむと、その歌たちがまた「自分を照らしてくれる」。鑑賞をしていれば歌が好きなのがあらためて自覚され、自分も創りたくなるもの。伊藤先生ほどの歌人でも「歌が一生できないのでは」と悩み苦しむことがあり、まさに「書斎(部屋)に行くのが死刑場に行くかのように思う」こともあるのだと云う。だが、そこで肝心なのが「形式への信頼をなくさないこと」だそうだ。「短歌は他力の文芸で、形式が歌を創らせてくれる」わけである。「人間は自分自身で才能の有る無しをわかるものではない」と言った北原白秋の語った内容も紹介され、「人は他に創られている」のだと云うのだ。ゆえに短歌を創るには「対象を丁寧に見つめる」ことが求められる。「災害ごみ」などと呼んでいるものも、実は「被災した方々の生活を支えていた大切なもの」なのだと伊藤先生ご自身の丁寧で温かな「見つめる」具体例も紹介された。
たくさん創って肩の力を抜く
秀歌鑑賞から自分を照らされて
うたのこころ みやざきのこころ
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