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全国大学短歌バトル壮行会ー宮崎大学短歌会

2019-02-27
「きちんと自分たちの世界観で勝負する」
(角川『短歌』「第五回短歌バトルの展望」より)
いざ!宮崎からあくがれて行く

校務の関係で歌会には参加できなかったが、宮崎大学短歌会の活動開催日であった。本会の特徴として、宮崎出身で主に九州各地にいる他大学の学生たちが、こうした長期休暇の開催に積極的に参加してくれることがある。会員らと高校時代に「牧水短歌甲子園」でともに闘ったり、ライバルであった仲間たちである。また、県内の短歌応募で入賞作となった際に、会員と肩を並べて入賞したことを契機に来てくれている学生らもいる。今回の「第五回角川大学短歌バトル」出場の予選通過8チームのうち、3チームに「牧水短歌甲子園」出場経験者がいることは、高校生歌人の育成に「短歌県みやざき」の活動が大きな力となっている証でもある。

さて僕が参加できなかった歌会は、キャンパスの事情で市内のカフェで開催。題詠は「音」出詠14首と賑やかであったようだ。ちょうど「音」に関しては興味があったので、参加したいと思いつつ、詠草を打ち上げの場でもらい学生たちの短歌に教えられることも多い。大学短歌会で顧問がどこまで関わりを持つかは様々だろうが、創設時から歌会への出詠、機関誌への投歌、と積極的に短歌で関わっているのも本会の特徴であると学生に言われたことがある。「顧問」などという存在ではなく、自らも短歌の学び手として学生たちと関われるのはありがたい。壮行会となった打ち上げでは様々な話題が出たが、学生たちの中高時代の『百人一首』の経験については様々な意味で参考になった。「『百人一首』で音(韻律)が悪い歌はない」という意味において、中高時代に身体に一度通しておくことが彼らの詠歌に大きく活かされているようである。

打ち上げ場所の選択も秀逸
宮崎の新鮮な魚介類をいただきながら
焼酎を酌み交わす香り高き宵の口
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目玉焼きの腕と短歌

2019-02-26
毎朝必ず焼くことで
次第にホテルの朝食並みの目玉焼きが
日々重ねることの重要さ

朝食を栄養に配慮して摂るようになって、目玉焼きが必須メニューになった。小型のフライパンに贅沢に少量のオリーブオイル、そこに卵を一つ割り落とす。卵白部分の形を整えて中火にし、ぬるま湯を少量入れて蓋をかける。しばらくは蒸し焼きにすると卵黄部分が幕に覆われて固まる。水気を抜くべく短時間やや強火にして出来上がり。このような「調理」をほぼ毎日のように繰り返す。次第に熟練度が増して、見た目にも立派な目玉焼きができるようになって来た。

何事も日々繰り返すことである。小欄も既に10年に近づこうとしているが、毎朝の文章作成は大きな力になって来た実感がある。事務的文章やコラム執筆はもちろん、論文・評論・書評などにも効果を発揮しているものと思う。文章には「正解」はない、それゆえに「他者に伝わる」ことが肝要である。日常の些細な思いを誰がどう読むかはともかく、文章にしてみることは貴重だ。となれば、短歌も日々「創る」ことが重要であろう。「忙しい」とか「できない」とは言わない、自戒を込めて日常から歌にすることが何より重要であろう。

今日生きた証(あかし)
言葉で日々を描き続ける
ホテルで出せる目玉焼きの腕となるのも、不可能ではないのだ。


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イルカと海を眺める休日

2019-02-25
一面の海を背景に
イルカたちの競演が
四六時中も海を眺める休日

人は「夢」を叶えるために生きている。僕も中高教員となり、今や大学教員となり研究者となり教育者となった。この職に就くに至る「確率(成功率)」など、あまり考えたこともない。次第に大学教員にはなるのが難しくなった(特に人文系は)、というのが世間の潮流であるのは確かだ。だが「イルカトレーナー」になるのは、それ以上の狭き門ではないかと思う。果たして日本全国に、何軒のイルカを扱う施設があるだろうか?縁とは奇なるもので、僕が宮崎に住むようになった後に、姪っ子がイルカトレーナーになるべく当該施設に就職した。現地見学・採用試験をはじめ、事あるごとに僕の家に宿泊しその夢の階段を登って来ている。

姪っ子のいる施設に、両親とともに赴いた。イルカショーにも出演し、担当のイルカたちをサブプールで育てる姿を見て、あらためてその成長を深く感じた。イルカは周知のように哺乳類で、進化の過程で陸上にも棲息していたことがあり、胸鰭の内部には人間と同じように五本指の骨が内包されているらしい。ショー終了後に、イルカさんとの記念写真とともにその身体に触れさせてもらったが、すべすべの肌には同類生物としての親近感が湧いた。姪っ子の担当のイルカを見に行くと、その愛らしいまなこをこちらに向け、鼻であるという頭頂部の穴から息をこちらに向けて吹いた。生きている、生命をそこに実感する。その後、施設が経営するリゾートホテルに宿泊。部屋はもちろん、夕食会場・海水温泉場などすべての場所から、生命の源たる海が見える。心の底から、自らが今生きていることを見直す好機となった。

「海」を眺めると
人はなぜ落ち着いた気持ちになれるのだろう
牧水もサザンも「海」が大きなモチーフとなる作品が多い。


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ああ「万葉集研究会」

2019-02-23
自分の読みを出す機会
そしてまた酒杯をあげながら
諸方面への旅行も先生らとともに

世に出て大学時代で礎になったことを、と挙げるならば「万葉集研究会」となるだろう。所属する文学部では、卒論指導教授は決めるが「ゼミ・演習」などの機会はなく、自ら先生のところへ出向かない限りは指導など受けられないという主体性の必要な場であった。しかし日本文学専修には、学生研究班という組織が編成されていて時代や作品ごとの研究会がいくつも林立していた。そのうち僕が門を叩いたのが、所謂「万研」である。週に1度、先生の研究室で行われる研究会は実に刺激的で、先輩たちが万葉集の歌に対して持論の読みを展開し、ある時は対立し先生も含めて熱く議論する日々であった。歌はこのように自らの読みを対話・交流することで初めて見えてくるものだと、文学研究の奥行きを知る貴重な機会であった。

当時の大学構内は実に寛容な場で、黄昏どきにもなると研究室の書棚の内部が見えない扉が開き茶碗とウイスキーボトルが机上に登場した。先生が「もういいでしょう」と言うと、そのウイスキーを酌み交わし、さらに万葉歌に関連した話題が展開する。声のとても大きな先輩がいて、他の研究室の先生に怒鳴り込まれたことも少なくなかった。この場では、もちろん先生の研究の偉大さを知るとともに、人間味の厚さを深く実感したものだ。ゆえに多くの先輩後輩諸氏は、実に人情味のある人との交友を大切にする人々であった。卒業後にも折を見ての酒宴や関西方面を中心とする旅行に、先生を含めて多くの人々が参加した。本日、小欄に「万研」のことを記したのは他でもない。昨日あまりにも突然に、僕にとってとても大切な先輩の訃報が届いたゆえである。

先輩後輩諸氏の悲しみが聞こえる
今一度、ともに旅行に出かけたかった
先生の元へとそんなに急いで逝かないでください。


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「蜂のムサシ」はいづこに

2019-02-22
「蜂のムサシは死んだのさ」
あの昭和の名曲にも
蜂に刺された自慢を温泉で


宮崎に住んで何年か前のこの時季のことである。懇意にする料理屋に出向き、席に着くとジーンズのポケット部分に蜂がとまっているのに気がついた。店の奥様に見せ払って来ようと外に出て、上に着ていたニットを蜂に浴びせた。するとすかさず逆襲を喰らい、ニットの下のアンダー越しに脇腹に一刺しの痛みが走った。蜂はその後、地面に落下したが僕の脇腹はみるみる腫れてきた。店の他の客は「焼酎をつけたらいいとよ」と治療法を提案されたが、部位が部位だけに心配になって医学部附属病院の救急へと行った。心電図などすべてつけられて小一時間、ショック症状は出なかったものの初めての衝撃的な体験であった。

この経験を公共温泉の常連の方々に話すと、他に2人の方も蜂に刺されたことがあると湯槽の中で相互に自慢話のようになった。ある方は、カッパのフードの中に熊ん蜂が入り込み、頭部を数カ所も刺された経験があると云う。蜂をフードから追い出した後も、刺さった針だけが動き続け毒を注入される感覚があったという壮絶な体験である。山中にいたので麓までは3Km以上も歩かねばならず、そのまま下山を目指したが次第に舌が痺れてきたと云う。ある程度の場所で医師を呼ぶが台風で増水していたので、医師も迂回してその場所まで向かうという悪条件の中、何とか注射を受けてことなきを得たという体験談であった。この方からすれば、僕などの体験は大したことでもないように思えてきた。「2度目は危ない」というが、蜂はいづこからやってくるのであろう。

経験を語り合うことの面白さ
自然に向き合うことの壮絶さ
宮崎での体験はいつも何かを考えさせてくれる。


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まず腹圧より始めよ

2019-02-21
脇腹を背中側から前面へ取り巻く筋肉
呼吸を意識することでしか鍛えられない
腰はもとより内臓を支える要となる筋肉

体内の筋肉や作用のどれほどを、意識して動かしているのか?日常の動作では自ずと様々な筋肉を使用しているはずだが、その都度に意識があるわけではない。だが呼吸一つをするにも、何らかの筋肉作用によって行われている。例えば、唐突な”くしゃみ”に腹部などに特別な負荷がかかってしまったと自覚することはないだろうか。靴を履く、物を持ち上げる、さらには排尿排便において、特に身体中心部の筋肉がその動作を着実にサポートしている。よって、加齢とともにその筋肉が弱くなれば様々な支障が出始めてしまう。表面に見える大胸筋などは鍛えても、なかなか見えない腹部内部の筋肉を鍛える意識は高まらない。

新たに個人で指導いただくことになったトレーナーの方から、「腹圧」という語彙を教わった。「筋肉のコルセット」と喩えられるように、左右脇腹を背後から腹の中心部へと取り巻くようについている筋肉が動くことによって呼吸が行われ、腹の空気圧が促される。腹筋の鍛錬というと、すぐに「6パック」(腹を卵のプラスチックケースのように6分割がはっきり見えるよう鍛えること)が思い浮かぶが、それは外見上であって重要なのはこの脇腹と腹圧の意識であると云う。実に地味なトレーニング方法であるが、その効果はすぐに実感できた。筋トレばかりではあるまい、文章を書くも歌を詠むもこの「コア」なる筋肉が動くような鍛錬を日常からすべきなのである。

自然に地味に動作するものを大切に
現代人が忘れてしまっている呼吸のあり方
身体は正直にその弱点が痛みや病で露出するものだ。


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教育とは命に向き合うこと

2019-02-20
学内教育活動表彰
対話型講義や短歌普及活動への評価
学部の垣根を越えて「命と向き合う」こと

学内で教育活動表彰をいただくことになり、表彰式に臨んだ。
表彰者を代表して謝辞を述べることになり、次のような趣旨のスピーチを行った。

この度は、このような栄誉な賞に選考いただき、またこのような表彰式を催していただき、学長をはじめ諸先生方、職員のみなさんに心より御礼申し上げます。私は宮崎大学に赴任して6年目となりますが、この宮崎の地が大好きです。「空の青海のあを」の豊かな自然や美味しい食材はもちろんですが、何よりこの宮崎大学に集まる学生たちの純朴さや前向きさに心を打たれ、日々の教育に携わって参りました。私は短歌を研究しておりますが、宮崎市在住の俵万智さんの短歌に「この子らを妊りし日の母のことふと思う試験監督しつつ」(『サラダ記念日』所収歌)という作品があります。”教育とは命に向き合う”ということを、ことばの力であらためて考えさせられる短歌です。「命に向き合う」ということは、この宮崎大学全体で学部の垣根を越えて考えるべき信念となるように思います。この度の受賞を糧により一層、一人ひとりの学生に向き合うとともに自らの研究も活発にし、この両輪をバランスよく進めるべく、宮崎大学の発展に貢献して行きたいと思います。

                         平成31年2月19日 
                         表彰者代表:教育学部 中村佳文

本日は、誠にありがとうございました。


牧水没後90年に際し
県内の様々な短歌活動への貢献度も評価いただいた。
ありがとう牧水先生、ありがとう宮崎。

 
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九州の神は予言していた

2019-02-19
ちょうど今から10年前
WBC日本代表合宿in宮崎
今居住する地からほど近い球場へ来ていた

宮崎といえば「ジャイアンツ」のキャンプが伝統的ではあるが、今やすっかり市内の優勝パレードなどを始め「ホークス」の方が市民の親しむ球団となっているようだ。概ね11日あたりの祝日までで、「ジャイアンツ」は沖縄に行ってしまう。先日の地元紙・宮崎日日新聞「くろしお」欄にも、キャンプ地として危機感を持って取り組むべきだといった趣旨の問題提起が為されていた。多くのファンが訪れ様々な面で観光収入が上がるのは、宮崎にとって大変重要な県の振興政策でもある。思い返せばちょうど10年前の今時分、
イチローを擁するWBC日本代表合宿が宮崎で行われており、総数24万人という観客動員で賑わっていた。僕は中高教員であったが、土日と有給休暇を活用し初めて宮崎の地に一人で来ていた。今住んでいる地からほど近い、サンマリンスタジアムへと空港や市内から電車を乗り継いで早朝から足を運び、ネット裏からイチローの勇姿を追っていた。

東京人の感覚というのはある意味で麻痺しており、電車・バスといった公共共通機関ならいつでもどこでも存分に活用できると思い込んでいる。県名を冠した駅ならば繁華街が隣接していて、飲食・遊業に困らず楽しい夜を過ごすことができるとも思い込んでいる。だが1時間に1本程度のダイヤと駅ビルのない素朴な駅舎やキャンプ地の最寄駅が無人駅であることなどを知り、都会の環境こそがこの国の病いなのだと些かの気づきを覚え始めていたのもあの頃だ。素朴なカウンターのおでん屋さんが街の人気店で、地元大学生がバイトとして店員をしており、満席の由を僕に「またよろしくお願いします」と丁重に伝えたことを鮮明に覚えている。たぶん、あの声は「九州の神」が女子大生の姿を借りて僕に「(この地の大学を)またよろしくお願いします」と告げていたようにも思う。最寄駅から球場までの裏路地の抜け方地図が、10年前の僕の手帳に記されている。

この10年歩んで来た道
今ここ宮崎の地を愛する日々
九州の神は、僕にかけがえのない人々と巡り会わせてくれたのである。


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劇団こふく「ただいま」三股公演千秋楽

2019-02-18
「いま そこは ふるさと
 あなたが いる そこは ふるさと」
(「ふるさと」作詞:永山智行・作曲:かみもと千春 より)

公演そのものがはねた後、三股町の方々が大きな「おかえり」と書いた横断幕を客席横いっぱいに広げ永山さん以下、出演した役者のみなさんを讃え出迎えた。そして冒頭に記した「ふるさと」の歌をみんなで唄った。「いまここ」それは「三股」、劇団こふくが全国10ヶ所を巡るツアーの千秋楽。昨夏、宮崎県立芸術劇場からスタートし広島・いわきにはぜひ行きたかったと云い、札幌から沖縄まで全国の人々が「いまここ」そして「帰るそこ」を感じたツアーであったことだろう。引き続き行われたトークにて、その足取りが出演者全員によって和やかに語られた。あらためて、この芝居空間に居合わせることができたこと、それが三股町であった幸せを感じるひと時であった。

機械的無機質なナレーションは、リエゾン(複数人の連結音声表現)とソロとの出し入れも絶妙で、実に単純素朴に行なっているようで高度な稽古と演出の妙を冒頭から感じさせた。ことばはもちろん和みの宮崎弁で、芝居の人間臭さと表現性が方言によってより豊かに心地よく伝わってくる。舞台上手の片隅にある水道栓からブリキバケツに垂れる水音が、時折役者の声の伝道と間の取り合わせを、絶妙に覚醒させるかのような演出も憎いばかりである。そこに描かれた人々は、「普通の人々のかけがえのない日常」である。観客である我々と等身大を生きる人々の「暮らし」が、この宮崎の三股の劇団であるからこそ描けた「自然」の中に展開する。奇しくも、昨日の小欄には、「いま」を見つめるといった趣旨のことを書いたが、作・演出の永山智行さんとは何度か小学校などで仕事を共にしたことがあり、その感性に縁と共感ありを深く確かめることができた公演であった。

親への愛情も
恋も愛もすべてが「いま」をどうするか?の中に
「私たちのいま続いている日常を守る」のである。


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今日もまた「いま」を見つめて

2019-02-17
生きるとは今を見つめ
その1日1日に向き合っていくこと
「幾山河越えさりゆかば」の連続でもある

池江璃花子さんの白血病公表、何より治療に専念して自身の日常を取り戻してもらいたい。メディアを中心とする社会的喧騒には事あるごとに辟易とするが、何より彼女が今を静かに見つめられる環境であって欲しいと願う。今朝、僕が高校教員だった頃の体育館で仕事をしている夢を見た。当時の同僚らしき人もいるし、現在の大学での同僚らしき人も混在して何らかの行事が行われている。僕はその行事で司会の大役を任せられているが、準備に手間取り開会間際にやっと講堂に行くという焦りの渦中で目が覚めた。起き上がると現実の「今」がそこにある。「今日」もまたいまの現実に向き合っていくことになる。

自らの身体であるのに、思い通りにはならない。この世に生きるということは、少なからずこうした不条理とも思える「山河」をいかに越えて行くかの連続なのではないか。身体のみではない、社会の中でいかに生きるかにも様々な矛盾や運に左右されながら荒天も晴天の日もあり旅を続ける。時にあまりにも困難な「山河」があることも、だがその苦難を乗り越える力こそが、人間の果てしなく素晴らしい価値でもある。いやむしろ直面した困難への対応こそが、生きることそのものではないか。何もかもが整い揃いいつでもすぐに手に入るという環境ばかりをよしとして、「便利」ばかりが氾濫する社会。牧水の「幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく」の歌のように、「寂しさ」といかに向き合うか?それでこそ「愛」や「親」や「和」の感情を初めて知ることができる。

目覚める起き上がる身体
自分で自分に問い掛ける今日
そしてまた「いま」を受け容れて越えて行く1日が始まる。


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