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座の中にある「われ」

2018-11-30
連歌を付けていく体験活動
季節を意識しつつどんな情景を
「われ」の表出を恐れつつ楽しみつつ

中近世文学を対象とする「国文学史」の講義で、連歌を実際に付けていく活動を試みた。前週に「連歌式目」にはどのようなきまりがあるかを読み取り、基本的なルールとして大切なものを班活動で抽出した。それに則って、十数名のクラスの連歌の座が展開した。昨今の教育は「対話的な協働性」を旨とする方向性が志向されているが、連歌そのものがこの趣旨に実に合致している活動である。「文学史」は知識にあらず、同様の体験することで初めて同時代性が思考できるはずである。

展開して気づいたのは、学生たちは当然ながら「われ」の表出の度合を気にしている。季節の情景のみならず、「恋」に展開する可能性がある発句を僕がしたためたゆえである。2年目で仲も深まった旧友同士のうちで、それぞれの現在の生活や恋を素材として意識しているようだ。もちろんそれは虚構であってもよく、「ある物語の登場人物に成り代わって詠む」ことなどを助言した。近現代短歌が志向してきた「われ」の表現と共同的類型性のあった古典との乖離。この境に立たされてこそ、「文学史」の事実に向き合うことができるはずだ。

「君の傘木の葉も染める時雨かな」
「君」とは誰のことを想像するか?
「主体的・対話的」は既に日本文学の中に眠っている。


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「私心があっては志と云わず」の覚醒

2018-11-29
さらに8年前の手帳
多くの大学教員採用応募の記録
「龍馬語録」に覚醒されたこころ

9年前から使用している手帳を眠りから覚ましたことを、ここ両日話題にしている。気になって翌年2010年の手帳も引き出し、11月末頃の記録を読み返してみた。メモされた記述内容で目立つのは「坂本龍馬」関連のこと。ちょうど大河ドラマが「龍馬伝」の年で、人生で4度目となる司馬遼太郎『龍馬がゆく』を読み直した年である。「私心があっては志と云わず」といった、所謂「龍馬語録」が手帳狭しと書き連ねられている。その「志」に覚醒したのか、大学専任教員採用に応募した記録も同時期から急増している。08年の生活の変化、09年に学位を取得したこともあるが、その過去の僕は新たな舞台を”前のめり”に求めている。

「前のめり」とは名作「巨人の星」の中で、主人公・飛雄馬に父・星一徹が常に教訓として語り掛ける「龍馬語録」である。「(生きているからには)たとえドブの中でも、前のめりに死にたい」と云うもので、「この命を使い切る」と云った「龍馬語録」と響き合う。安定した東京での私立中高教員の道に安住していては、決して「ドブの中」ではあるまいし、「私心」や「私欲」の方が優先される人生に相違ない。あくまで「ドブ」は極端な比喩であるが、「安住」して自ら冒険せず汗をかかない人生との対極ということであろう。新たなことへの挑戦は、年齢や状況を問わずに”前のめり”でありたいものである。

幼少の頃にはわからなかった「龍馬語録」が
人生の愛読書で覚醒される
向こう10年を振り返ればそこに長く太い影がある。


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できないと思い込んでいること

2018-11-28
「確かに、できないと思い込んでいることのなかには、
 やればできることが、いっぱいあるんだよな。」
(2009年11月28日『ほぼ日手帳』当該ページより)

昨日、小欄に記した手帳を本棚から出したままにしておいたもので、当年本日付ページを覗いてみた。手帳の各日下欄には何らかの言葉が記されており、当日は冒頭に記した言葉であった。どうやらその言葉に感化されるものがあったらしく、赤で下線が付されている。その日の夕食は、所謂”デパ地下”で惣菜を購入し、マンションの食卓で独りで食したのを記憶している。だが喩えようのないやるせなさに襲われて、サラダを食べつつ何とはなしに涙が流れた。都会の孤独、そしてまだやるべき道に踏み出せていない焦燥感、その涙は「今」に繋がる何かを語っていたようにも思う。

だがひとたび下降した精神は、むしろ十分に屈曲して跳ねる力を得たのだろう。その「時」を契機に「活力のみなぎり」ということばが、やはり赤字で手帳に記されている。その夕食後に、まさに起ち上がってジムに向かっているのだ。人はいつでも「ベスト」な状態で居られる訳ではない。そしてもちろん、万能でもない。紆余曲折、そして上昇下降を繰り返しながら、まさにさざ波を立てつつ流れる瀬のように人生を歩む。自分の生きるリズムある瀬音だけは聞き逃さず、あちこちの岩場にあちこちを打ちつけながら進むのである。9年後の僕が「今」こうして宮崎で大学専任教員であることを、あの日の「自分」は予想したであろうか。

思い込みを排し
やってみる力を得る
9年前の自分に今また励まされる。


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ほんのひとつまみの塩

2018-11-27
“You know how a pinch of salt
Changes the whole flavor of a dish
Your hope is that salt. (——Safety Match’s Fireplace Chat)

あっという間に11月も最終週、来年の準備のことなどが気になり始める。中でも手帳の準備に関しては、例年結構早くから動くようにしている。手帳は小欄を書くことと、密接に連動している。その日に気になったことや読んだ本のページの一部引用を手帳に書き記すからだ。小欄を開設した2009年から使用を始めたのが「ほぼ日手帳」である。ある年に年末になってから新年版中身を買い求めたら既に売切になっていて新規カバー付きをやむなく再購入したことがある。09年に使用を始めた時に奮発して革製のカバーを購入し、使い込むほど味が出るという謳い文句の通りに9年目となる今も使用し続けている。書棚にはその中身が8冊並んでいるという訳である。こんなことを考えたら09年の手帳が見たくなった。そのページを開くと、ぎっしりと様々な情報が刻まれていた。現在よりも明らかに微細に手帳のページと向き合っている僕がいた。その手帳の2019年版が、手元に届いた。

届いた箱を開けると、その内蓋に冒頭のような言葉が記されていた。敢えて英語で記したが、いかがであろうか。本日の題に記した「(指先の)ほんのひとつまみの塩」が「料理の味をすっかり決めてしまう」という訳で、「(君の)希望は、その塩なんだよ。」と言った趣旨の日本語訳が示されている。配送の箱を開けるという物理的な動作そのものに、「ほぼ日」の価値がそのまま示されているようである。この手帳にはこうした言葉が、毎日のページに示されているのである。たぶん生活の中で、ここで云う「塩」の役割を果たすのは「ことば」であろう。「ほぼ日」は日毎に1ページの十分な面積が確保されていて、そこに記すことばこそが「希望」となるのだ。パラパラと09年の日毎のページをめくると、「公募採用の書類」に関する「希望」が綴られている。その時にことばを記している僕は、宮崎にいる現在の僕を果たして想像し得たのであろうか。

スケジュールだけならスマホが優れている
だがことばをペンで書き付ける意味を考えたい
「希望」は「塩」であり、その成分は「ことば」なのである。



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余白に響く親戚の笑顔

2018-11-26
小欄の余白2日間
親戚との心温まる時間
人生は仕事それとも・・・・・

10年目を目指す小欄の積み重ねの中で、珍しく2日間の余白を設けた。いま稿者は「目指す」と書いたが、日々の歩みというのは何処へと向かっているのだろうか?時間的な意識、そして日々の経験を客観的に見つめたいという思いで、ただただ毎朝文字を小欄に刻みつけている。詩歌は余白にこそ重要な意味があるように、常套句や説明に陥らず読み手の心に響くのも表現の一つである。いま、その余白から再び文字を刻む朝が来た。実はこの連休を利用して、母方の親戚3家族が宮崎を訪れた。嘗ては母方のいとこ筋が30年間にわたり、年に1回はこうした集まりを催していた。そのメンバーの中から、母に近しいいとこ家族や僕のいとこ家族などで「みやざきの会」となった訳である。

奇しくも、ちょうど先週訪れた「みなかみ町」で開催されていた「いとこ会」、牧水を研究するようになった僕の中には、生まれる前からこの糸が繋がっていたのかという思いである。新潟や東京から来てくれた親戚の方々に会うと、誠に心温まる時間となる。人生も半ばとなって深く考えるのは、自らの存在は多くの人々の苦労や激励があってこそ成り立っているいうこと。そのありがたさを、1年に1度ぐらいは反芻する時間が必要であるように思う。母のいとこであるおばさんは、今年卒寿となるが今回の会にも元気に参加してくれた。「歩く・話す・食べる」ことを大切に生活しているらしく、その歩行力や食事の量には驚くばかりである。またおばさんの娘さんが心掛けているのは、「面倒をみない」ことだそうだ。朝食バイキングのおかずを取るのも、ワゴン車に乗り込むのも、みんな自分で行動する。親戚の様々な年代の人々と会うことは、自分の人生の来し方行く末を見つめることでもあるようだ。

この2日間がまた僕の今後に響き渡る
時折は「いま」を忘れることも必要である
温泉宿というのは、なかなかキーボードを打てる机がないという発見もあり。


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古典は多面的に読もう

2018-11-23
「共感するか、共感しないか」
「わかりやすさ」の病理
「生きる」ことは割り切れないものでは・・・

後期の講義も5回三分の一を経過した。非常勤講師時代以来、「国文学演習」を久しぶりに担当して『枕草子』を教材としている。毎回の学生たちの発表内容と、発表のそのものに含み込む「活動」(聴く側の学生が何らかのテーマについて話し合い対話的に議論できる状況を創る)がなかなか面白い。発表者は自らの発表を押し付けるのではなく、講義クラスの級友たちとともに『枕草子』の自分たちなりの「読み」を創造的に発見していくことになる。よって担当章段におけるテーマ性や対話項目を設定し、問題・課題意識を明確にして発表することを求めている。受講者との協働性は現在の教育方法として重要であるが、単線的な「発表」→「質問」→「答え」→「(担当者)講評」に終わらない、全員参加の対話性が演習には必要であろう。

こうした演習の「課題設定」において、冒頭に記したように「共感するか、共感しないか」といった二項対立式を提示する学生が多いのも事実である。「・・民営化に賛成か反対か」以降、TV番組のバラエティーなどでの問い掛けの多くは「⚪︎」か「×」かとなっており、幼少の頃からその判別意識に侵されているのではないだろうか。現在の政治、本来は高尚であるはずの場面でも、「その指摘は当たらない」といった、理由も示さない「二項対立」意識が蔓延っている。まだ「二項対立」ならまだしも、「一元論」の思考に逆行しているかのようにさえ思う。「国語」では少なくとも多様性多面性の思考力・想像力を育むべきとは、指導要領にも提示されている。「清少納言は面白いが、友だちにはなれない。」その「なれない」の内実は何か?「鼻につく」というのは「存在感がある」こと、社会の中の人間関係の機微を深く考える契機になるはずだ。などと、この日の演習を締め括った。

「文学」は簡単には「わからない」
「わかりやすさ」を求めて、安易で低級なものが跳梁跋扈する
生きることそのものが多面的であるはずなのだが。


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開かざる鍵の頑固であるこそ

2018-11-22
コイン式ロッカー
「100円は戻ります」ガチャリ
貴重品は閉じ込められて帰るのもままならず

常連と化して頻繁に出入りする自宅から至近の公共温泉。男女に分かれ浴室へ入る前の廊下に、コイン式ロッカーが設置されている。普段から財布・スマホ・鍵ケースに眼鏡をこのロッカーに預けることを習慣にしている。この日は偶々100円玉がなく、同行した母が1枚だけ100円があるというので、共同で同じロッカーに貴重品を預けようということになった。母の背丈も考慮して普段は使用しない番号の箱を選び、2人分の貴重品を全て入れた。思いもよらぬ事態は、この後起きた。母が鍵を捻り抜こうとすると、一向に鍵が抜けない。戻して100円を返却しようとすると、それも儘ならぬ。しばらく鍵を左右に小さく動く範囲で揺すってみたりしたが埒が明かない。

施設の方を母が呼びに行ったが、職員の女性の方もどうすることもできず。とうとう支配人が来てくれて、マスターキーなどを利用して開錠を試みた。それでも簡単に鍵は開かない。とうとう潤滑油やら、ドライバーにペンチなどの工具まで搬入され30分以上の格闘の現場となった。母は僕を気遣い「温泉に入って来たら」と勧めたが、このままでは帰宅できないことを考えると温泉内でも寛げない。第一奮闘する支配人にも申し訳ない思いで、その場を見守り続けた。もとより僕らに責任があったり行動が悪かったわけではないが、人情としてはその場を離れ難いであろう。そしてようやくその時が来た、鍵は装置ごとロッカーから外れ扉は開かれたのだ。残り20数分、通常は1時間ほどの温浴時間をとっているのでもちろん物足りないのだが、その現場に居続けた自分の方が、とても意味があったのだと湯船に納得する宵であった。

鍵を腕に巻いて温泉に入ると成分が付着する
それで鍵が抜きにくくなるが鍵を肌身離してはならずと云う
鍵の頑丈さを眼の当たりにして貴重品管理の重要性を知るのであった。


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地震で目覚めた時

2018-11-21
緊急地震速報の記憶
「1:25」のスマホの表示を忘れない
今朝は横揺れで目覚めて・・・

先ほど4時09分に横揺れの地震で目覚めた。緊急地震速報が流れる規模ではなかったようだが、スマホで震源域をすぐに確認した。種子島の西の海上、震源の深さは120Km、地震の規模を示すマグニチュードは5.0であったようだ。それにしても地震で強制的に起こされた時の不快感というのは、特殊なものがあるように思う。通常では感じない「揺れ」に、身体が適応していないのであろう。さらには就寝中の緊急地震速報は、まさに肝を冷やす思いである。2016年の熊本地震の際は、2度目の所謂「本震」と呼ばれている時のけたたましい緊急地震速報と、宮崎県平野部でも震度4を記録した激しい揺れの記憶が今でも生々しく残っている。

附属図書館で大学図書館に関する講演が開催された。講師に熊本大学附属図書館の方をお招きし、その時に大学図書館はどう対応したか、という貴重なご経験と対策に関して情報を共有する機会であった。開架式書架から落下して散乱する書籍の写真を拝見していて、やはり僕自身の過去の記憶が呼び戻された。3.11の揺れの後、帰宅して見たマンション12階の書斎本棚の光景のフラッシュバックである。書斎の部屋の復旧には1ヶ月以上の時間を有したが、「余震」を警戒し書棚をすぐに復旧させることは避けるべき、という教訓が東北から熊本へと引き継がれていたと云うこともこの日の講演で知った。地震列島でどう生きるか?僕たち一人ひとりの課題である。

自分の家の寝床の喩えようのない安心感
心身ともに解放されたその場を襲う「揺れ」
南海トラフ南端に位置する宮崎県でも十分な意識を高めておくべきだ。


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人は「おく」に旅する

2018-11-20
「外山ふくあらしの風のおときけばまだきに冬のおくぞしらるる」
(和泉式部『千載和歌集』冬・396)
「時間的に現在から遠い先のこと。将来行く末。」(『日本国語大辞典第二版』)

牧水は「みなかみ」の「おく」=「水源」を目指す衝動に駆られていたのだろう。歩み行く道、その「おく」には何が待ち受けているのか?眼前に手に取れる川の水面は、いったい上流のどこに源を発しさらに川下へと流れ行くのだろう。鴨長明『方丈記』冒頭に典型的に示されるように、「ゆく河」の絶え間ざる流れというものは、人間の眼には見えない「時間」を可視化する。宮崎県日向市東郷村(現東郷町)の牧水生家の前にも、坪谷川の流れがあり瀬音が常に聞こえる。可視化とともに、川は時間を「聞こえる」ものに変換し人間の生きる無常を掻き立てる。牧水の耳は常にせせらぎの音に刺激され、自らの身体を動かしそれを短歌ということばに変換して行く。

今回の牧水顕彰全国大会、夜の「ほろ酔い学会」で一言述べる機会を得た際に「おく」の話をした。会の主旨を尊重し「ほろ酔い」であったゆえ、衝動に任せて話しあまり記憶は定かでない。冒頭に示したのは古典和歌における「おく」の用例だが、語彙としては『万葉集』時代から使用されている。時代とともに様々な意味が派生し、当該辞典にも多くの意味項目が立てられている。冒頭に記した「意味」の記述には、注記的に「過去の意には用いない。」ともある。「おく」は「掘り返す」のではなく「掘り進む」のである。だが「みなかみ」を旅して僕自身が実感したのは、やはり「おく」には否応がなしに「過去」が連なっているということだ。「過去」と繋がらない「おく」はなし。「未来」と「過去」は、郷愁の彼方でどこか循環しているように思う。ちょうど川を流れた水が海に注ぎ、再び水蒸気となって大空に昇り雨として山上に降り注ぐように。小学校の時の自由研究発表に「水の循環」をテーマに選んだこと、を思い出した。

ひとり孤独に「みなかみ」へ歩いた牧水
「旅」という行為に作用する身体
「われ」の「おく」へと向けて人生の旅は続く。


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牧水の聞こゆる谷川ー「みなかみ町牧水ゆかりの地巡り」

2018-11-19
「谷川と名にこそ負へれこの村に聞こゆるはただ谷川ばかり」
(若山牧水第十三歌集『くろ土』より)
牧水が「みなかみ」で聞いたもの

若山牧水顕彰全国大会みなかみ大会2日目。「みなかみ町」にある牧水ゆかりの地、主に歌碑を巡り歩く半日のツアーであった。牧水は生涯に二度「みなかみ」訪れており、大正7年『静かなる旅をゆきつゝ』、大正11年『みなかみ紀行』という紀行文にその足跡を遺している。今回は「みなかみ」への滞在が長かった前者の紀行文に記された、ゆかりの地を巡るという内容であった。中でも「谷川村」やそこへと向かう道すがらの歌作には、紀行文と併せて読むと実に面白い発見がありそうだ。僕が個人的に興味を惹かれたのは、牧水の「耳」である。この渓谷の地に来て谷川のせせらぎの音を、常に意識的に捉えている。また「ちちいぴいぴいとわれの真うへに来て啼ける落葉が枝の鳥よなほ啼け」などの鳥の啼き声を擬音語で捉えた歌なども含め、その聴覚が実に研ぎ澄まされている印象だ。ツアーの最初に訪れた谷川富士浅間神社では歌碑に献酒も行われたが、その神社の奥に連なる路(みち)には牧水が歩いた当時の面影があり、そんな路でさぞ耳を澄ませば面白い発見があったことだろう。「わが行くは山の窪なるひとつ路冬日ひかりて氷りたる路」(浅間神社歌碑の歌)

この谷川温泉で牧水が宿泊したのが「金盛館」という旅館である。実は僕は20代で現職中高教員だった頃、職場の仲間とこの宿に宿泊したことがある。ロビーにある妙に踊るような文字の短歌を観て、当時は何を感じていたのであろうか。その際に、妙に谷川温泉が気に入って2度目も他の旅館であったが訪れている。その当時から僕は牧水に引き寄せられていたのだろうか?その後、人生の様々な渓谷を超えていま僕は牧水研究をしている。この谷川温泉を牧水が訪れる前に行ったのが「湯檜曽」という地域、不思議なことにこの地の旅館にも僕は30代で宿泊したことがある。その地へ行くと94歳になるという色艶のよい老人が、僕らツアーの前にいらっしゃった。大正13年生まれのそのご老人は、牧水が宿泊しようとして断念した「福田屋」という旅館のことが記憶にあると云う。ツアー主催の町の方が用意した手持ち拡声機を使用し、その当時はこうだったと元気に我々に話してくれた。記憶がある方の生のことばは、実に臨場感があるものだ。その今はなき「福田屋」の対応に宿泊を諦めた牧水は、前述した谷川温泉まで無理を押して強行に夕暮れ迫る道を歩き尽くしたと云う。

「行き行くと冬日の原にたちとまり耳をすませば日の光きこゆ」
牧水には「日の光」が自然と聞こえて来たのである。
かくして、牧水への様々な縁と問題意識が新たに湧き立つ2日間であった。


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