けふを選び取るといふこと
2018-07-22
いくつもの選択肢がある中から「けふ(今日)」の予定を選び取ること
文字の奥から選ばなかったことの像が立ち上がる
「けふ(今日)」はいかにしても「一つ」しかない。何とはなしに人の「けふ」は始まるのだが、実は毅然と決然とした果てに選び取られた「けふ」なのである。気になって『日本国語大辞典第二版』を引いてみると、「語源説」として(1)ケフ(日経)の義か(2)コヒ・コノヒ(此日)の転(3)アケノヒ(明日・顕日)の義(4)キヒ(来日)の転(5)キウ(幾得)の義(6)「今」の別音kyoから、など多くが挙げられている。語源はそう簡単に一つには定められないが、どの説にもそれなりの意味があって、人にとって「けふ」の価値が様々に捉えられることがわかる。「今」まさに「経過」する「日」、特別なことがある「此の日」、希望の「明日」を待つ時、いよいよ想像が現実に「来る日」、「幾つ」もの機会を「得る日」、まさに「今」は「今」しかない等々、いずれも人が考えるべき「けふ」の意味が語源に見え隠れする。
東京で行われる複数の研究学会例会、遠方の友人との邂逅、蓄積した資料閲覧と整理、そして宮崎の地元にある日常、数え上げれば「一日」でも選択肢がこれほどにあった。手帳と睨めっこしながら、こうした中からどうしても「一つ」に絞り込まねばならない。それぞれに後ろ髪を引かれつつ決断をする時が来る。中には急遽、その決断を変えなければならない緊急な事態が生じることもある。どうも短歌創作をするようになってから、「今」読んでいる文字の奥から「選ばなかった今」が立ち上がって来るような思考になることが多くなった。時間軸を縦に切り取り言語化するという行為を、常に念頭に置いているからであろう。だが考えてみれば短歌によって、「選ばなかった今日」を虚構の中で選ぶこともできるようになった。もしかすると「選んでいる今日」そのものが幻想になるかもしれぬ錯綜の中に「けふ」があるのかもしれない。
選び取ったという意識の中に
幾つもの人生模様が映し出される
今また「けふ」が過ぎている
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