「受けたもの」を小さく「返す詩形」
2018-07-21
「古典から現代までさまざまなものを読み、自分の中に取り入れ寝かせてから言葉にする。」
(三枝浩樹氏迢空賞受賞の言葉から)
今年の2月に牧水賞を受賞された三枝浩樹氏が、迢空賞を受賞された。実に奥深い歌集『時禱集』の深淵まで僕ははなかなか行き着いていないが、読めば読むほど深い味わいがあることまではわかってきた。その秘鑰は何か?と思うに、冒頭の今回の受賞に際するご本人の言葉に出逢ったわけである。和歌・短歌に対する姿勢として至極当然のことではあるが、密度濃く「読み」→「取り入れ」→「言葉にする」ことは容易ではないように思う。あくまで「現代」という時間軸の中で短歌を詠むということは、「さまざまな」が誠に肝要であるだろう。僕などは古典和歌方面に偏りがあり、漢籍受容という観念的な作業過程を研究の上で考えているせいか、「自分の中に取り入れ」ることで自分の言葉にすることにむしろ高い障壁があると思う機会も多い。
そんなことを考え、意図せず佐藤佐太郎の短歌を読んだ。
「蛙鳴くひねもすの雨温泉にひたれば泥のごとき香のあり」
「あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼」
「つるし置く塩鱒ありて暑きひる黄のしづく稀に滴るあはれ」
実感を伴う描写の的確さ、もちろん韻律の清純さ、素朴で場面やイメージのわかりやすさ、等々と思わず手帳に視写をした三首である。二首目の下句はほとんど枕詞で形成されているが、それとても佐太郎の「言葉」になっていると感じてしまうのはなぜだろうか。などと考えつつ、自らの紡ぎ出す歌が、「自分の言葉」にならない悔しさに向き合い苦悶しつつ、毎月の歌の〆切を迎えたりしている。
「さまざまなもの」を「読む」ことの尊さ
「取り入れて」から「寝かせる」ことの肝要さ
誠に一語の「言葉」の持つ重さを痛感する日々・・・
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