いまここで語り合えるという幸せ
2018-07-14
また朋友が東京から太平洋を眺めながらいまここにいる運命を
語り合ってこそまた深まる朋友のありがたき
いまここで語り合える朋友がいる。敢えて「友人」という語彙ではなく「朋友」と書きたいのは、「朋」の文字が象形的に表わす「月(貝)」が仲よく二つ並び語り合うかのような意味が大きく響くと感じるゆえである。東京から朋友(とも)が、宮崎を訪ねてくれた。6年目にして何人目であろうか?宮崎に赴任が決まった際の送別会やらで、「宮崎に絶対行くよ!」と言ってくれた「人」は多い。だがしかし何年目という問題は別として、その「絶対」が真実であった人を「朋友」と呼ぶ。相互の利害でもなく世間的体裁や体面などを、微塵も相互に感じない間柄が嬉しい。その朋友と太平洋を望みながら、「いまここ」にいる運命や縁のことなどを語った。相互に出逢えたことも人と人が結ぶ縁、二つ並ぶ「月(にくづき)」の背中が語り合うことの意味を噛み締めた。
僕自身がこの宮崎に赴任することが裁定される面接前夜、やはり僕は昨夜と同じ「ところ」
にいた。多くの東京での温かい声や笑顔に支えられて、宮崎で生きる決意と運命を日向灘の潮騒に委ねた夜であった。またその夜と同じ店で、新鮮な刺身を食べた。豊かな海の幸に舌鼓を打ちながら、過去といまここが交錯する語り合いが続く。小さな言動、大きな決断、そこに非情な結果が与えられ怒りを覚えたり、独りになって哀しみの淵に涙したり。その擦り切れた心を、仲間と飲む酒で癒されて、ようやく喜びの笑顔で音楽の楽しみを享受したり。そこに正解や間違いはなく、ふれあう人の心をどれほどの深浅で受け止めて日々を前に歩めるかというギリギリの岸辺にいつも佇んでいたことを思い出したりする。だからこそなのだ、「いまここ」で美味しい酒と美味しい食に励まされて、カウンターで背中を並べて語り合い笑い合うことが、人生には不可欠であるとあらためて実感する。
そんなカウンターが宮崎にも
もちろん東京にもある幸せのカウンター
ありがとう朋友よ!!!
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