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警鐘を軽くみてはならず

2018-07-09
記録的豪雨災害の心が痛む映像
明らかに活動期な列島各地での地震
明日は我が身と思い備えねばならぬ

地球温暖化への警鐘が、一般的に喧伝されてから久しい。条約の批准を巡る国際間の錯綜したやりとりなどが印象に深いだけで、果たして具体的な対策は講じられているのであろうか?自然環境の推移や変化に敏感な辺境の列島国であるからこそ、その感性で世界的な温暖化対策を推進する役割を担うべきだと思うが、未だ経済最優先の旧態な社会構造さえも脱却できない現状を憂う。そうこうしているうちに、ここ数年来の記録的豪雨による被害は誠に甚大である。山地と丘陵と河川とが複雑に込み入った土地環境において、これまで想定していた治水では追いついていないような印象を受ける。またまた「想定外」ということを、「何十年に一度あるかないかの記録的豪雨」などと表現を置き換えつつ、怪我・病気の治療には最善の力で当たっていますと、この時ばかりの国民目線を強調している。

医学的に考えても昨今、「怪我・病気」になる前に「生活習慣」を改善するのが常道になっている。原因は必ず日常にあるゆえ、まだ何も起きなていないうちに「生活」「体質」そのものを改善すべきなのである。病巣から具体的な症状が出てからでは遅い、こうした日々が先々の健康を支えているはずである。自然災害に対してどう生きるか?我々は7年前に極まってそのことを遺伝子に刻んだはずではなかったのか?小欄も当時から記しているが、「2011.3.11以後」のカテゴリには41項目の記事を記す。明らかに活動期が続く列島の地震の兆候に対しても、ほとんど「喉元過ぎれば」な対応しかされていないように思われる。先日の大阪直下地震では、ブロック塀倒壊によって痛ましい犠牲者が出てしまったが、事が起きてから全国の学校のブロック塀を調査していることに象徴的な現状を、我々は当事者意識をもって受け止めねばなるまい。

誤魔化しや強制の横行
果たして「国民の命」は護られているのか?
警鐘を汲み取れない反知性主義を、歴史は「呪い」と呼んできたのかもしれない。


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