思い続ければ具体が見つかるー第325回心の花宮崎歌会
2018-07-08
抽象的な概念を知るそのままでは短歌にならないが
思い続ければ具体的な場面に出逢える
九州から山陽・関西・中部地方にかけて尋常ではない大雨に見舞われている。TV映像から知られる被害は大きく、多くの尊い命が失われている。宮崎も激しい雨が降り続いてはいるが、「特別警報」に至るほどではない。だが県内の各鉄道は運転を見合わせ、高速バスなども運休が相次いでいる。一とせに一たびの七夕に見上げるは雨雲ばかりであるが、この日は大切な心の花宮崎歌会の開催日であった。電車の運休の影響か些か欠席者も目立ったが、詠草には変わらず46首と50に迫る歌が載せられている。伊藤一彦先生が所用でご欠席ということで、講評の中心を俵万智さんが担った。「サラダ記念日」翌日のこの日に、こんな贅沢が可能なのは宮崎歌会だけであろう。前回から大きな研修室での開催となり、発言者間にマイクが行き交う活発な歌評が展開した。
全体を通して覚書としておきたい話題が二つ。一つは、抽象的な知識を歌にしたいときにどうするかという過程である。概念・想念など頭だけで考える観念的思考それだけでは、なかなか上手い歌にはならない。だがそこで諦めずに生活の中で、その観念が具体化している事象・場面に出逢うことが大切であると俵さんのご指摘があった。考えてみれば俵さんの短歌の多くは、平明でわかりやすいが、その奥底にある「全肯定の哲学」のようなものが、日常生活でも恋愛でも料理を見つめる視線にもあると思う。観念を具体化する場面を探す、こんなにも短歌は知的で魅力的なのである。二つ目は、「二句切れ」を中心に句切れの作り方の問題。作為として「二句切れ」で作歌をしたとしても、口語の場合は三句目の語句との接続関係の曖昧さによって、句切れが読者に伝わらないことに注意すべきということだ。その点、文語に推敲するだけで実に明確に「句切れ」が意識されてくる。考えてみればこれも俵さんの短歌にはよく見られる、口語と文語の適切な融合という方法である。さらには「一字空け」にしても結局短歌は「音で読まれる」ものであるから、「無用の一字空け」はすべきではないというご指摘もあった。
全体を通して俵万智さんの歌への考え方を
宮崎歌会の会員の歌で浮き彫りにした内容となった。
誠にありがたい七夕短歌の夕べである。
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