母音の響き 「意味」よりも「音楽」
2018-07-06
(ア音)=明朗・解放(イ音)=知的・鋭敏(ウ音)=内向・閉鎖(エ音)=強情・屈折
(オ音)=円満・強調(『ハナモゲラ和歌の誘惑』笹公人・小学館2017より)
今日は「サラダ記念日」である。毎年のように記しているが、僕のカーナビを本日起動すると、必ず「サラダ記念日です。」というほど世間に定着してきた。昨年は出版30周年ということで、「みやざき野菜でサラダ記念日」というイベント記念食事会に参加し、俵万智さんとともにこの日をお祝いできたことは幸運であった。「この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日」という、何気ない一日を「記念日」と呼ぶ健気な気持ちを「サ行音」に託して爽やかに詠んだ名歌である。名歌たるやみなそうであるが、「意味」よりも「響き」に長けている。「サ行音」のみならず「濁音」も上手く含み込んだ韻律が、この一首が人口に膾炙した大きな要素であろう。斎藤茂吉の「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりけるかも」なども「サ行音」と「濁音」の上手い取り合わせの好例である。
冒頭に引いた笹公人さんの著書には、作詞の携わった際のエピソードも語られている。歌い始めは明朗で開放的な「ア音」でと音楽プロデューサーからの指示もあったと云う。現に松田聖子のヒット曲「青い珊瑚礁」の「あ〜私の恋は〜🎶」などは「ア音」で始まり「ハ音」でまた母音の「ア」が伸びて響くという典型的な例だと云う。最近はサザンオールスターズの過去のアルバムを丁寧に聴き直しているのだが、その歌詞の音韻と曲との関係性が絶妙であることに多々気づかされる。もちろんあまりにも衝撃的で有名なデビュー曲「勝手にシンドバット」の歌い出しは「ラララ〜ラララ・ラララ〜🎶」であるから、全開バリバリに開放的に響くのである。ちょうど中学生だった頃の僕たちは、遠足のバスの中でこの「ラララ」をクラス全員で連呼したのが思い出される。あくまで「意味」ではなく、「音韻」に導かれてこの曲は多くのファンの身体に刻まれたのである。
今日もまたあらためて
『サラダ記念日』の歌を声に出して読んでみよう
短歌はもっともっと朗読することにこだわりを持つべきである。
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