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逆走台風は何が言いいたいのだろう

2018-07-31
東から西へ
さらに南下してループ式停滞
逆走台風は社会への警鐘ではないのかと・・・

宮崎と東京の往復を頻繁にする身となって、心配なのは航路の運行状況である。それでも確率的に約5年間で、欠航で次便に振り替えたのが1回、機材繰りで2時間以上の遅延が1回、羽田で事故があり滑走路閉鎖となり成田空港へ降りたのが1回ほどであろうか。特に夏から秋にかけては台風による影響を受ける場合も多いが、過去の米国でのフライト経験があるせいか、比較的寛容に対応していると、自ずと問題なく予定を遂行することができるものだ。5年で上記3回のトラブルなど、十分に織り込み済みの範囲である。だが最近は、聊か感覚を改めねばなるまいと思うことが起こり始めた。昨年も10月下旬にして2週連続の台風、これも過去5年間ではせいぜい10月上旬までという経験則からの逸脱である。(しかも2回)そしてまた今回の台風は、東京で開催される「心の花」創刊120年記念イベントを直撃すると思いきや、急に西に進路をとり台風の常識では考えられない動きをしている。北九州まで来たかと思えば、今度は南下し始めて鹿児島の南海上に停滞し犬の糞尿時のような変則的な動きを見せている。ほとんどの人々がこんな進路は、人生の記憶にないのではないか。

「想定外」という言い訳がましい逃げ口上も検証されないままに、3.11以後のこの国には自然災害が毎年のように後を断つことはない。西日本7月時期における3年連続の水害、熊本や大阪での断層型地震、茨城などでの堤防決壊など、他の地域でいつまた起こっても不思議ではない災害が続いている。被災した方々の思いはいかばかりかと思うが、これからも多くの人々が明日は我が身と考えねばなるまい。中世の無常観、平安朝の「うつろひ」を旨とする自然観を持っていたこの国の文化背景であるが、近現代の150年間の歩みがそれに強引な対処法を採ることで歪められて来てはいないだろうか。逆走台風の進路が迷走しているのは偶然ではなく、この列島の近現代の傲慢にあらためて警鐘を鳴らしてくれているようにも思う。建前と虚飾の社会構造、人に慈しみを欠く政治、未来の人材を疎かにし虚偽的な国際関係対応と喧伝する無為な投資、人事が悪辣に逆走することを、象徴的に自然のガキ大将たる台風が身をもって示しているような気もする。

近現代が作り上げた倨傲をいま
あらためて注意深く拒まなければなるまい
短歌は1300年以上の歴史の上にあると再認識してまた、この現代を言葉で暴いていくしかない。


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いま10年目の夏に立つ

2018-07-30
恩師からいただいたバトン
卒業生も社会人として親として
短歌に身を置き10年目にして立つ

人生に何度かある激しき変転の時節。僕にとっては、もう11年前になったあの夏がまさしくそうであった。4月に恩師が入院加療のために、7名の卒論ゼミ生を僕が前期のみ代講として担当することになった。夏季休暇中のゼミ合宿で恩師に指導を戻し、後期からの復帰を意図していた。だが7月18日に、恩師はあまりにも急に帰らぬ人となってしまった。ゼミ生たちのショックもいかばかりか、同時に僕自身も深い悲しみに暮れる日々であり、また博士論文の審査申請を控えそれがすべて白紙に帰するような境遇になった。しばらくは研究などもうできないのではと、思うほど落ち込んだのだが、学部卒業を控えたゼミ生たちは何としても卒論まで漕ぎ着けねばならないという使命感をもって、再び立ち上がる力とした。幸いこのゼミ生たちは誠にできた学生たちで、平安朝文学にお互いが深い議論を展開できる誠に主体的な学生たちであった。僕自身も手探りな初めての拙い卒論指導にも付いて来てくれ、全員が卒論を書き上げて卒業旅行に平安朝文学の舞台である京都をともに訪ね、彼らはそれぞれの社会に巣立って行ったのだった。

あれから11年が経過した。このできたゼミ生たちは、卒業後も7月になると恩師の墓参には必ず集合することが恒例となり、今年で丸10年の節目を迎えた。今年も幹事役の女子が連絡を徹底してくれ、墓参と近況報告の宴を持つことができた。彼らは既に人の親となっている者も多く、仕事でも新たな節目の時期を迎えている。今年は僕自身の「教授昇任」もと、お祝いの心も込めてくれた。現在、僕が卒論指導を為し得ているのも、このゼミ生たちとの経験によるところが大きい。忌憚ない意見を言うという前向きな姿勢をゼミ生個々が持つことで、社会へ向けた人間性も育むことができる。またこの10年目にして、僕自身が再び「国文学」関連講義を担当することになったのも偶然ではあるまい。恩師の見えない力が、何らかの作用を施してくれているような気がする。そしていま、僕はあらためて和歌・短歌の「やまとうた」の歴史の上に身を置くようになった。2007年には、非常勤講師で先の見えない道を歩んでいたことを思うと、隔世の感がある。今年もまた、かの初代ゼミ生たちに力をもらい、豊かに自分の道を歩もうと誓った。

恩師の笑顔が浮かぶ
ゼミ生たちの人生に僕こそが力をもらう
短歌に生きようとする僕を恩師はどう思ってくれているであろうか。



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120年そして1300年の歌の上でー「心の花」創刊120年記念大会

2018-07-29
「新しさは何か」
これまでの120年これからの120年
やまとうた1300年の道の上に生きること

『心の花』明治31年創刊、今年で120年となり通刊1437号となる。会場である如水会館に出向くと「一一一〇年」と見える看板、漢数字が縦に重なる錯覚により(総合司会の黒岩さんも触れていたが)奇しくも『古今集』からの年月を逆算し想起する偶然。我々はやはり1300年以上に及ぶ「やまとうた」の歴史の上に、立っていることを考えさせられた。大会冒頭の座談会は、佐佐木幸綱先生・馬場あき子先生に俵万智さんが司会の座談会「新しさは何か」。寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし・・・」の歌を馬場先生が挙げ、前衛短歌が成し得た「新しさ」を考える座談から口火が切られた。興味深かったのは、馬場先生は下句に見える「祖国はありや」に戦後に忘れていた「国」を発見し驚き、一方で俵さんは上句に描かれる「歌謡曲的な情景」を新しいと捉え、年代によって一首の評価が違うことが顕になった。「新しさ」そのものが相対的なものであり、こうした歴史に楔を打った歌を対象にして世代間対話が促されることそのものが、歌が常に呼吸をしているのを感じさせた。その後の座談でも馬場先生の「さくら花幾春かけて」の歌を幸綱先生が挙げるなど、古典との響き合いの中にこそ常に「新しさ」が生まれてきたことが語られる。それは俵さんが挙げた「なめらかな肌だったっけ」の幸綱先生の歌にも口語と枕詞の交響があるという点で同様な指摘があった。

前衛短歌の塚本邦雄にしても、近現代の歌人で一番古典を読んだ上で、それを否定し破壊していった。「破壊」するとは言っても、それは逆説的に生かされるといった作用のうちにある。とすれば既に『万葉集』にすべて読める「喩性」、また愛誦性などの問題として常に古典との交響的な対話こそが、「新しさ」と読まれて明治以降の近現代短歌史をも創りあげられて来たことになる。これはまさに『心の花』創刊を主宰した佐佐木信綱の姿勢そのものとも言えるのではないだろか。俵さんが指摘した牧水歌によめる「古典性」についても、島内景ニ氏の指摘に呼応して個人的に大変興味深いものがある。その後、若手歌人(佐佐木頼綱・佐佐木定綱・岩内敏行・野口あや子・寺井龍哉の5名)によるシンポジウム「短歌これからの120年」もまさに新鮮な意見が多数述べられるものとなった。特に寺井氏の述べた構文・発想の類型性については、考えさせられるものがあった。俵万智さんの「この味がいいね」の歌の構文的類型歌の指摘、端的に言えば今の若い人の歌は「俵万智的」ですべてが言い切れるという歯切れのよさで語られたが、その類型性の上でもズラしがあるという野口氏の指摘との対話性に意味が見えたような気がする。個人的には古典和歌では特に類題和歌集の存在が示すように、「類想」や「類句」の意識が歌世界のバリエーションを開拓し拡大し歌の力を発展させる作用があるのは明らかだ。120年という時間の実感の中で「新しさ」を考えると、いやが上にも「古典」に回帰することが再確認できた。十分に書きつくせないが、これをもって記念大会の覚書とする。

祝賀会でお会いできた来賓の研究者の先生方
そして他の結社の歌人の方々
今この歴史の上に身が置ける限りなき幸せ。


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初年次教育と高校生

2018-07-28
「大学教育入門セミナー」最終回プレゼン
「国文学史Ⅰ」の講義には高校生が聴講
大学教育と高等学校の教育と

この前期は輪番担当の「大学教育入門セミナー」の人文系を、社会・英語の先生とともに担当しており、この日が最終回であった。前半は「大学の学び」とは何か?ということを考え、学術文章の書き方を学び、後半は各自が選んだテーマを班別に課題研究をするという内容であった。最終的に基本的な分量のレポート文章が書けること、また様々な資料のあたり課題を解明しプレゼンテーションができる力を目標としている。学生の専攻教科は問わず、課題研究班は自由意志で構成され、僕が提示した課題である「若山牧水の恋」と「俵万智の青春と恋」というテーマに、全体の三分の一である15名の学生が集まり課題に取り組んだ。ちょうど附属図書館に「グローカルカフェ」というコーナーが新設され、「短歌県みやざき」に関連した歌集などを一箇所に配架されるようになった。そのコーナーの書籍を使用しながら、「牧水」と「俵万智」の主に青春の恋の歌を中心に、学生たちは歌と真摯に向き合った。プレゼンは短歌班は「電子黒板」を使用し、資料提示も上手く運び、それなりの成果を上げることができた。

午後になって「国文学史Ⅰ」の最終回講義。大学至近で連携協定を結んでいる高等学校から、1年生が20数名大学の教室へやってきた。ちょうど上中古文学史のまとめを学生との対話で醸成しようと考えており、日常通りの講義を展開することにした。平安朝文学の巨塔たる『源氏物語』について現状で知っている知識を考えてコメントする。18名の学生たちは各々がそれなりに様々な要素を語ってくれて、国語選考に入学する学生の資質を高校生に示すことができた。その後は、『源氏物語』に至るまでにその基盤となった要素は何か?という問いから作品名や歌人名などに影響関係のコメントを付しながら発表するという形式で進める。文学史は単なる暗記では決してあってはならず、自らが「説明」できることが大切であるという考えによるものだ。同時にこれまでの14回の講義で何が身についているか、ということの確認にもなる。大学の大きな役割として、入学前の高校生や高等学校の先生方に、「学び方」を提案していく責務があると僕は思う。特に地方国立大学は、入試のあり方や地域に関連した学びのあり方を積極的に発信する責任があるはずだ。講義は大学教員が喋るだけのものにあらず、学生との対話を通して学びを創り、将来教師になるために活用できる「知識」と「情報の送受信能力」を連動させて展開する必要がある。

かくして前期の二刀流講義担当が終わる
学生が発信できるようになる
その姿にこの上ない喜びを覚える。


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「内容学」と「教科教育」と

2018-07-27
「文学研究こそ最上の教材研究」
恩師の言葉が反芻されるこの夏
「内容学」の意義をあらためて「教科教育」へ

今夏、13回忌を迎えた恩師の言葉で座右の銘としているのが、冒頭に記したものである。元来、平安朝日記文学研究を旨とする恩師の学問は、教科書編集を始めとして「教科教育」にも広く向けられていた。その姿勢は、現職教員にも大学院進学の機会を与えるべきと夕刻からの時間帯に演習を設定していたことにも表れており、その配慮に僕自身は大変助けていただいた。小・中・高・大と様々な現場の〈教室〉で、「よい授業」をするためには、まずその扱う「文学」の「内容」に精通していなければなるまい。至極当然のことであるが、往々にして「現場」はそれを忘却している場合が多い。いわば、対処療法として「授業の方法」「枠組」「戦略」「態度」などの改善と称して、傷口に絆創膏を貼り付けるようなことばかりを考える傾向にある。「授業」でも「試験」でも学習者と対話する営為においては、あくまで自らがその素材たる文学・評論と深い対話をしていることが前提であると思う。

最終週を迎えている今年度の前期講義では、「教科教育」と「内容学(国文学)」とを「二刀流」で担当する機会に恵まれた。この5年間で培った「教科教育」の講義においても、できる限り教材の「内容学」を活かす工夫は施してきた。だが学生がどの程度の「内容学」に対する理解があるか?という点においては手探りであったのも確かである。今にして双方を担当することで、むしろ教育学部の「内容学」で何を啓発すべきか?という問題意識が高まった。やや皮肉的な物言いが許されるならば、従前の文学研究のあり方そのものを反映して講義で押し付けるだけでは、むしろ中高の古典教育のあり方を歪める危険性が大きかったようにも思われる。何より教壇に立つ学生(教員免許を取得する学生)たちが、まさに主体的に「国文学」と関わる「内容学」を構築せねばなるまい。少なくとも「国文学」に生きる上での意味を見出すほどの、センスと興味は身につけておいてもらいたいと願う。この前期では膠着した講義に、「現場の教材としてどう扱うか?」という視点を導入することで、新たな展開が得られた。自らの「国文学」担当講義は、開発発展途上進行形であり、むしろ向き合う学生たちとともに創って行きたいと考えている。

あらためて「生きる上で文学とは何か?」
「古典をなぜ学ぶのか?」
教育学部が肩身の狭い思いをせずに、学問としての矜持を保つためにも。


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授業が「できる」ようになるとは?

2018-07-26
「基本実習」前に「授業ができる」よう
専門の学びを〈教室〉に開くために
「初等国語教育研究」最終回の巻

今年度前期の講義も大詰めを迎えた。特に3年次の「教育研究」と冠する教科教育講義は、8月末からの教育実習で学生たちが、附属校で実際に「授業ができる」ようになるという具体的な目標がある。この最終2週間は、「初等国語教育研究」の班別代表者の模擬授業発表であった。班内で学習指導案を練り上げ、その過程で教材研究を深め、相互に学び合う協働活動を経てこの「授業」という具体的な行為に漕ぎ着けた。「授業をする」ということは、どのような状況であれ心が揺さぶられるものである。その授業者の心の”揺れ”に学習者が絡みついたとき、共振が起きれば伝わる「授業」になるのだと思う。「模擬授業」ながら、計12名の学生たちが真剣な眼差しで取り組んでくれた姿には、僕自身の心を大きく揺さぶるものがあった。

教材に描かれた文学世界を、共感と反発をもって後継の世代につなぐ。文学的文章を学ぶ意義は、まさに文化的な世代間継承でもあるように思う。そのリレーのバトンを落とさぬようにつなぐのが、「国語教育研究」の講義の使命でもあろう。「かさこじぞう」の民話性、「ちいちゃんのかげおくり」の戦争文学としての継承、小学校2年生3年生の子どもたちに、なにをどのように教えるのか?教材・学習者・指導者の三角形において、それぞれが主体性をもって対話する関係性を構築したい。となれば大学講義であるこの講義科目そのものも、限りなく広い対話生が求められていると考えている。少なくとも「教科教育」の講義は、知識の切り売りでもなければ、「授業はこうしなさい」という問題提起でもない。学生たちが実習をする〈教室〉には、生きた子どもたちがいる。その子どもたちにとって、実習とはいえその教材の「授業」は一生に一度の貴重な体験なのだ。僕たちは、その生きた体験を創るために大学で学生たちと協働するのである。

この前期で「国語教育研究」の担当は終了。
5年半の営為は何らかの記録として遺したい思いもある
学生たちが実習で「授業ができた」という笑顔と涙が見たい!


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質問ならずとも話して気づくこと

2018-07-25
「質問はないよね」
されどあれこれ話してくれた「先生」
あの対話があってこそ今がある・・・

高校生の頃は、まったく学校では可愛くない生徒であったと自ら思う。部活動はしているが成績はやれば上位、だが高校2年生ぐらいからほとんど「学校」での学習を見切って自ら学びを創っていたような記憶ばかりなのである。ラジオ講座や東京という地の利を生かして予備校の講習会へ。よく部活主義の生徒が放課後の運動に全てを賭けているのに負けず劣らず、「学校」が終わってからが学びの宝庫であった。もっとも時間を無駄にするのも癪に触るので、独壇場で喋っている先生の授業では、独りで本を読み続けていたのも常態化していた。そんな中でラジオ講座のある著名な英語講師の先生の語り口や内容に、いたく感激し始めた。世の中にこんなにも上手に英語を教えられる「先生」がいるんだと、自らの教師志望を倍増するかのような存在に憧れ始めた。となると、次の行動としてはどうなるか?その「先生」にどうしても逢って直接に指導を受けたくなったのである。

高校3年生となった春休み、高浜虚子の「春風や闘志いだきて丘にたつ」の一句に奮い立ち、予備校の講習会で憧れの英語の「先生」に出逢った。後光が指すかのようなその「先生」の初回の講義に感激して、僕は恐れ多くも講師室に「先生」を訪ねた。確か当日のテキスト内での具体的な質問などは、なかったように記憶する。だがラジオ講座の内容と講習の内容と、これからどんな勉強を重ねたら、「先生」の母校たる大学に入学できるか?などととりとめもない質問をぶつけてしまった。だが、「先生」というのは偉大な方こそ謙虚で親しみやすいのだろう。僕の答えようもないような質問にも真摯に向き合っていただけたのである。この体験は、僕にとって大きかった。以後、年間を通して「先生」の講習を受講した僕は、講習後には必ず「先生」の元へと「話し」に立ち寄る習慣がついた。英語のことはもとより、日本語の翻訳事情やら比較文学のことやら、あれこれと「先生」と駅までの道すがらまで話し続けた。「先生」は決して僕を疎まず、常に「学問」の大切さを切々と説いてくれた。講習そのものはもちろん大きな効用があったが、僕にとってはこの「先生」との対話こそが、それ以後今に至る大きな礎となったのである。

「凄い」と思った「先生」と対話すること
自らの稚拙な思考を「話す」ことで昇華させてくれる
ふと「先生」のことを書き記したが、ちょうどご命日にあたることに驚いた。


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愛する伊勢物語

2018-07-24
「恋に正面から向き合う」
「はっきり恋の意志を表現する男子」
さまざまな愛に満ちた伊勢物語

1年生対象の担当講義「国文学講義1」が、15回の最終回を迎えた。今年から担当することになって内容・進行は手探りであったが、最終回の感触では多くの学生が『伊勢物語』に大きく心を揺さぶられたのではないかと思う。高貴な女性との叶わぬ恋に全身全霊を賭け「京にはあらじ」と東国に旅立つ。歌の詠みぶりで相手が行動を大きく変える結婚・恋愛生活。恋死にをしてしまう女。狩に出た先での禁断の一夜。仕えるべき親王(みこ)との交流。宮仕えで縁遠くなった母と交わす心。そして贈答歌の代作等々・・・。それぞれに学生たちが、自ら本文に当たり読み取り考えた内容を元に、グループ討議などの対話をしつつ進めてきた結果、彼らにとって『伊勢』がより身近な経験と比較して恋愛等を考える古典になったのだと、最後の学生たちの弁から確信を持った。

昨今の学生たちは「ライト」なものを好む。嗜好品でも「ライト」と名前に付加されたものが、目立つようになって久しい。僕などは嗜好品ゆえ「ライト」程ならむしろ味わうべきではないという考えであるが、「ライト・ノベル」への読書量が比較的高まっていることを考えれば、活字をまったく読まないよりはよいということになろう。いつ頃からだろう、たぶん21世紀になってからだ。例えば、高校教員時代に漱石の『こころ』を扱うと、生徒たちの反応が「重い」という一言に象徴される状況となった。恋愛に命懸けであるのは「重い」と否定される結果、生じてきたのが特に「草食系男子」ということになるのか?「恋はお熱く」などというのは、いつの時代のどこ吹く風なのである。この状況は世代的な晩婚化と、まったく無関係ではあるまい。だが今回の『伊勢』の講義で、女子学生を中心に「恋愛至上主義」を讃え、「最近の男子ははっきりものを言わないが、和歌で心を伝えようとする昔男は魅力的」という意見が出てきて、聊か安堵もした。もちろん彼女らの世相に抵抗的な思考であると礼讃しつつ、これまた『伊勢』の持つ古典の力ではないかと、その喚起力に敬服をした次第である。

二葉亭の「I love you」=「死ねます」翻訳
「恋愛」という語そのものは「明治ことば」であること
現代人にあるべき恋愛を取り戻すの力のある、愛する『伊勢物語』なのである。


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口をついて出ることばから

2018-07-23
「この響きを聞いてくれ」から
意味や整頓は最後の最後にやって来る
口をついて出る「出鱈目歌詞」の大切さ

幼少の頃から「出鱈目ことば」を思い浮かべるのが好きだった。学級で仲相入れない者がいると、自己の中で何らかの「あだ名」をつけてしまい、決して口外せずその皮肉的な「あだ名」を心の中で呼ぶことで精神浄化を図っていたような作用である。それは大人として中高教員となってからも似たような作用が働き、ほぼ僕の内では「自家版坊っちゃん」が書けるのではないかと思うほど、過去の体験をモデルにしたキャストの命名は完了している。理解深い共同生活者などがいれば、日常で起こる些細な事象をやはり出鱈目な曲にしてしまうこともあった。例えば、毎朝恒例で自宅マンション前を通る見知らぬ人の犬に名前をつけ、その犬のテーマ曲のサビ部分を創ってしまい発見する度に唄うというような、たわいもない所業に遊んでいたわけである。

40周年記念の年に大好きなサザンオールスターズに関して更に深く知りたいと、スージー鈴木氏の『サザンオールスターズ 1978年ー1985年』(新潮新書2017)を読んだ。ほぼ同年代で同窓のスージー氏が書くことは、僕自身の「サザン体験史」とも重なる部分があって、共感の度合いが高い。その中に桑田さんがタモリさんの「今夜は最高」の第2回に出演した際の秘話が紹介されている。その概要は、タモリさんがサザンの音楽について「歌詞がわかんない」ことに賛辞を送る。それに対してボーカルが早口であることに桑田さんが「メロディを生かしたいとか、この響きを聞いてくれと思う時に、むりやり日本語に乗せるとそう聞こえてしまう。」と反応。タモさんが「歌詞に意味ってないほうがいいってことだね」と言うと、桑田さんが「メロディ浮かべて、そのとき口から出た、タでもホでもいい、ダバダバウンガッガ、バババのドッドッでもいいし、つまりそれが歌になってればいい」と返したと云う。(同署P103)納得、メロディを先に創り歌詞を流し込むと聞いていた桑田さんの曲作りのあり方が、このエピソードで具体的に鮮明になった。サザンの初期活動の足跡を、現代の眼で問い直す好著である。

「口から出まかせ」を拾うと云うこと
身体から湧き出て来ることばを捉える感性
研究・評論・創作という様々な所業は、自らの「不思議さ」を解明するものかもしれない。


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けふを選び取るといふこと

2018-07-22
いくつもの選択肢がある中から
「けふ(今日)」の予定を選び取ること
文字の奥から選ばなかったことの像が立ち上がる


「けふ(今日)」はいかにしても「一つ」しかない。何とはなしに人の「けふ」は始まるのだが、実は毅然と決然とした果てに選び取られた「けふ」なのである。気になって『日本国語大辞典第二版』を引いてみると、「語源説」として(1)ケフ(日経)の義か(2)コヒ・コノヒ(此日)の転(3)アケノヒ(明日・顕日)の義(4)キヒ(来日)の転(5)キウ(幾得)の義(6)「今」の別音kyoから、など多くが挙げられている。語源はそう簡単に一つには定められないが、どの説にもそれなりの意味があって、人にとって「けふ」の価値が様々に捉えられることがわかる。「今」まさに「経過」する「日」、特別なことがある「此の日」、希望の「明日」を待つ時、いよいよ想像が現実に「来る日」、「幾つ」もの機会を「得る日」、まさに「今」は「今」しかない等々、いずれも人が考えるべき「けふ」の意味が語源に見え隠れする。

東京で行われる複数の研究学会例会、遠方の友人との邂逅、蓄積した資料閲覧と整理、そして宮崎の地元にある日常、数え上げれば「一日」でも選択肢がこれほどにあった。手帳と睨めっこしながら、こうした中からどうしても「一つ」に絞り込まねばならない。それぞれに後ろ髪を引かれつつ決断をする時が来る。中には急遽、その決断を変えなければならない緊急な事態が生じることもある。どうも短歌創作をするようになってから、「今」読んでいる文字の奥から「選ばなかった今」が立ち上がって来るような思考になることが多くなった。時間軸を縦に切り取り言語化するという行為を、常に念頭に置いているからであろう。だが考えてみれば短歌によって、「選ばなかった今日」を虚構の中で選ぶこともできるようになった。もしかすると「選んでいる今日」そのものが幻想になるかもしれぬ錯綜の中に「けふ」があるのかもしれない。

選び取ったという意識の中に
幾つもの人生模様が映し出される
今また「けふ」が過ぎている


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