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自由対話読みの効

2018-01-31
定番教材の定番実践を乗り越えろ
名作の奥深さに挑むということ
「対話」に参加してこそ見える自己の読む傾向

年度内ゼミ最終回。4年生は「人生で最後のゼミ」と感慨深けにいつもの演習室に集まった。「最終回に何をするかは4年生が決めるように」した結果、定番教材の「自由対話読み」を実施したいということになった。これまでにもゼミ内で、「走れメロス」「ごんぎつね」「注文の多い料理店」などの小中学校の定番教材を実践して来た。「自由対話読み」とはまさに名の如く、「自由」な発言が全員に保証されていて、どんな着眼点からでも出された「読み」に随所に反応し、自らの意見も表明し、「読み」を多様に深めていく集団討論的な方法である。他者の意見を「納得」して頷くだけでは参加したことにはならず、その都度その都度の対話に自らが「参戦」することが肝要である方法である。

個々の様々な「読み」が提出され、自己の「読み」も俎上に上げることで、ようやく自らの思考の傾向を知ることができる。その基盤となるのはあくまで「個人の読み」なのであるが、それを内に籠めておかないことが重要である。中高の国語授業でよくある光景として、発問して回答を求めると「誰々と同じです」という回答で済まそうとする生徒がいる。だが果たしてその「誰々」の意見と自らの意見は、本当に「同じ」なのだろうか?それを「ことば」にして引き比べない限り、本当に「同じ」か細部は「違う」のかという相対化はできない。「読む」ということは、自己本位な思考を相対化することに他ならず、こうした議論の場で黙っているのは「謙虚」なのではなく、大変自己本位な「傲慢」だと心得るべきであろう。些細なことでも思ったら表明する姿勢こそが、教育の場でも社会の場でも必要な基本姿勢であることは言うまでもない。

高校国語総合定番教材「羅生門」
自由対話読みが暴いた教材の背景とは
またひとつゼミの思考展開の方法が確立した。


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笑顔と声の響く園あり

2018-01-30
母校ならぬ母園
園長先生の意志は今も輝いて
「相手の眼を見てしっかり聞きます」

「母校」なら訪ねるなど大切にされている方も多いだろうが、「母園」への思いを持ち続けている方は、どれほどいらっしゃるだろうか?思い出の記憶も曖昧で、まだ諸々の感覚が成熟していない頃ゆえに、その繋がりも必然的に希薄になるのかもしれない。だがしかし、そうであるからこそ「自分」の根本的な形成期として貴重な場所であるというのが、僕自身の思いである。幼稚園で出逢った先生のことば、絵本や紙芝居の物語の夢、様々な生活習慣が今も僕の内部に深く息づいている。「理屈」ではなく「文字」ではなく、「身体」で表現し「声」で伝えようとした様々な体験は、人間形成の上で大変重要ではないかと幼児教育の大切さを再認識するのである。

「人の話を聞くときは?相手の眼を見てしっかり聞きます。」僕が幼稚園の園長先生から学んだことばである。対面対人関係がICTツールの発達で危うくなりつつあり今、「眼を見て話す聞く」という基本こそを反芻すべきであろう。紙芝居で語られる「マッチ売りの少女」は、刹那のともし火にこそ希望があると「幸せ」のあり方を考えさせられた。また、公共の洗面台で手を洗う際に、石鹸の泡が蛇口の栓に着けば、最後には両手で水を掬ってそれを綺麗に流すという習慣を、年少時の担任の先生に教えてもらった。僕は今でもたとえ海外に行った際にも、この習慣を実行するようにしている。(もっとも最近は自動水流の蛇口が多いのだが)

また母園を訪れた
当時の園長の意志を継ぎ現園長の声が弾む
これこそが、教育の最前線に僕がいる理由でもある。


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ふり仰ぐ時計の塔に

2018-01-29

どうしても学びたい場所・学びたいこと
青春のさまざまな思い出
人生を切り拓く場所と時間

昨今は予備校も様変わりして、芸能人まがいの活動への踏み台にする講師などの存在がやたらと胡散臭く見える。元来、「予備校」という名称からして「大学で学ぶ礎を築く学校」であるのが本道であろう。だが単に技術的に「入試に合格する」一時的な「学力まがい」の、まさに「バラエティー番組的」ともいえる小手先さを身に付ける場になっているように思えるのは、社会の思考の表れであろうか。僕が高校3年生の春季講習に始まり講習会を通じて1年間お世話になった英語の先生は、常に「学問への視野を拓く」内容を予備校の講習で伝えてくれていた。そのことが現在も僕が研究をしている契機となっているのは間違いない。

そしてまた、その英語の先生の母校へ自分も進みたいという意志を固くしたことも大きかった。当初は首都圏国立大学の教員養成学部に進もうと思っていたが、どうしも「広く文学を学んだ教師」を目指したいという意志も起動して、文学部専願で大学入試に挑んだ。ほぼいわゆる「滑り止め」もなき退路を絶った挑戦であった。その結果は、昨日の小欄に記した通りである。そして今にして、この母校の恩恵を人生の年輪とともに深く感じている自分がいる。宮崎に赴任して貴重な邂逅があって短歌の道を歩み始めたのも、やはり母校の素晴らしい先輩方によるものである。だが決して「母校」の卒業生だから優れているわけではない、卒業後も「自分の道を頑なに前向きに進んだ者」が多いからこそ、多方面で母校の卒業生は活躍しているのである。あらためてその奥深さの中で、自分もさらにさらに前向きに生きねばならないことを常に省みるわけである。

喩えがたき愛校心
進取の精神
学の独立


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ある街角の電話ボックスから

2018-01-28

「第二の誕生日」と考えたことがあるか?
新しい人生が始まったその時
ある街角の電話ボックスからの一報で

街中に「電話ボックス」というものも見なくなった。携帯電話などがまったく普及していなかった頃、急な電話をしたい時は街中で「公衆電話」を探したものだ。とりわけあまり人に聞かれたくないような話をする際は、「ボックス」の存在が重宝であった。小さな個室の中には、汚くなった電話帳などが置いてあり、また悪戯書きやシール状の広告宣伝などが貼られているのも特徴であった。新しいタイプのものは防犯上、全体が透明なガラス製になり洗練されたデザインのものになっていた。最近はほとんど見なくなった「電話ボックス」だが、ある街角に今も昔と同じ場所に存在感も輝くように建っている一つがある。その地に行く度に、僕はその存在を確認するようにしている。

その「ある電話ボックス」とは、大学受験の合格発表の結果を母親に一報した電話なのである。当時はネットもなく、合格発表はキャンパス内の掲示板に貼り出されそれを見に行って確認する方式だった。日本でも有数の受験生数の押し寄せる母校の受験は、かなり苛酷なものであった。受験票は早いうちにと受験番号が「2桁」であったため、合格発表を見に行き遠目から掲示板を眺めると、視力のよかった僕は「2桁」の数字がわずか1列にも及ばない数しか掲示されていないのがわかった。果たしてその「僅か」の中に自分の番号はあるのだろうか?恐る恐る近づくと「73」という数字が確かにあった。その数字を人並みに揉まれながら、3度その場から行きつ戻りつして見たものだ。発表場所の近くに仮設の公衆電話が並んでいたが、長蛇の列で使用するにはかなりの時間を要した。そこで合格書類を受け取った僕は、「ある電話ボックス」に向けて一目散に走った。そしてボックス内で大声で母親に電話をしたことを、今でも鮮明に覚えている。

電話の後で両親は手を取り合って喜んだのだと
多くがなくなった中でいまでも存在する「電話ボックス」
僕の第二の誕生日秘話である。


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定まってみる景色ゆかしき

2018-01-27
お気に入りの窓から見える光景
四季とりどり様々な表情を見せる
それが思考の定点になって踊り始める

小学校の4年生ぐらいの頃だろうか、鉄骨3階建の自宅の屋上に6畳ほどの木造倉庫が増築された。そう時間も経たないうちに、器用な父が壁材や天井板をすべて張り付け僕が勉強できる部屋を造ってくれた。5年生ぐらいになって僕はそこへ引っ越して、離れのように独立した気持ちで好きな本などを読んでいた。食事時間となれば2階の食卓とはブザーで交信することになっていて、何回鳴らせば「食事」なのか「その他」の用件なのか、さながら「モールス信号」のようなきまりが母との間でできていた。この部屋で暮らしたことは、僕の本好き文学好きに大きな影響をもたらしたと今にして感慨深いものがある。

4階という高さは、当時としてはかなり眺めがよかった。その部屋の窓枠に収まる光景が好きで、机に座って本から目を離すとその光景をみた。次第に必ず見える会社のネオンサインが何時何分に点灯されるか、それが夏冬で違うことまで正確に把握できるようになった。虚構であろう本の世界観から、ふと現実社会を見つめるような感覚があった。その後、都市部の私立中学校受験に挑んだ僕は、国語のみならず苦手な算数や理科の勉強も一種懸命に行った。それでも視力が常によかったのは、この遠景を眺めるのが好きだったからかもしれない。同時に思考と現実との均衡においても、適度な安定が保たれたのだと思っている。

定点から眺める光景の大切さ
東の空が開けていて日々希望のあけぼのが見えることも
「自分」を形成してくれたこの場所は・・・・・・


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芸術で子どもたちに笑顔を

2018-01-26
芸術家派遣事業
〈教室〉の日常を超える時間
県内関係各機関との連携も深めて

この5年間で取り組んで来たことの一つに、芸術家派遣事業がある。親しい落語家さんや俳優さんに演奏者さんらに依頼して、小学校・中学校の子どもたちに体験的ワークショップを展開するというものである。また演出家の方とタッグを組んで、僕自身が朗読家としてワークショップも実施している。遠く宮崎までお出でいただいた友人のみなさんに感謝申し上げるとともに、この事業に取り組んで来た意味を一旦は総括せねばならない時期だと思っている。また県立芸術劇場や子ども文化センター、また地元新聞社文化部の方々など、この事業を通じてお世話になり連携を深めた方々もいらっしゃる。最近は子どもの貧困への支援などに朗読や演劇の手法が活用できないかと連携を深めている。

こうした事業を本学の「教育協働開発センター」が統括しているが、その組織内グループの「ユニットリーダー」に指名していただいた。他にも美術専攻や音楽専攻の先生方がこの事業に参加するが、より学内の連携を深めて実施するための「リーダー」ということである。例えば、美術担当教員が指導して舞台を子どもたちと手作りする、そして声楽やピアノ担当教員とともに、朗読に歌やピアノによる演出を交響させる。いずれは大学キャンパス内にテント式小劇場のような施設ができて、こうした芸術体験教育の中核的な場所になればという夢の構想もある。この日は事業趣旨に賛同する学内外の方々が集まり、宮崎の美味しい食をともにしながら楽しい歓談の集いがあった。ユニットリーダーとして乾杯の音頭もとらせていただいたが、いずれにしても宮崎の子どもたちに豊かな笑顔を贈り届けたいという気持ちを再確認した。

雁字搦めの〈学校〉から解放する芸術を
演じること・描き創り出すこと・奏で歌うこと
単なる「鑑賞教室」の時代はとっくに終わりを告げている。


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語ることを語り合うまなび

2018-01-25
自ら語っている映像
その姿を観てまた語り合う
客観視に有効なICT導入授業

附属学校園との共同研究では、年に3回テーマを持った研究授業を実施している。昨年度から今年にかけては「ICTの有効な導入」が課題となっている。今回は中学校の先生が、ipadを活用した授業を展開した。「ICT教育」というと指導者側が教材提示として導入することを、まずは第一にイメージするであろう。僕自身も一昨年には「デジタル教科書」を使用して中学校2年生で「漢詩」の研究授業をやらせてもらった。コンテンツにある音声教材や映像教材、工夫された教材提示ツールなどを使用して、学習者自身がICTに触れるわけではなかった。

今回の試みはipadを使用して、学習者が班内で語り合った様子を動画撮影し、その様子を自分たちで今一度視聴することによって、さらなる対話を促す内容であった。さながら「語ることを語り合う」と言ったわけで、その討論の内容はもとより自己の話し方の特徴や傾向を自覚できるという利点があった。多くの方がそう感じるであろうが、あの自分の声の録音を聴いた時の喩えようのない違和感は何なのだろうか?「これは私の声ではない」とまで思うのだが、他者の誰もが「あなたの声」だと認識するわけである。人は生きている上で、自分の顔も自分の声も自分の語り方も決して現実に外から見ることができない。そこにICTが活かされるのが、これからの教育の方向でもある。

タブレット使用に実に慣れた生徒たち
タコ足配線のヘッドホン使用も有効に
「自己」のあり方も時代とともに変化しているのかもしれない。


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確かな3000歩になったのか?いま・・・

2018-01-24
小欄本日で3000回更新
8年と4ヶ月の積み重ねによるもの
「小さな1歩」から思えば遠くへ来たもんだ

本日で小欄の更新回数が、3000回となった。8年と4ヶ月の日々、ほぼ毎日更新を続けて来た。その初回である2009年9月25日をあらためて閲覧してみると、イチローがMLBで9年連続200本安打を達成した際のコメント「確かな1歩の積み重ねでしか、遠くへは行けない」が記されている。日々の「確かな1歩」をまさしく「確かに」するために、先入観を排除して「自己」を客観視するために、文章化という術を絶やすことなく積み重ねて来た自分がいる。イチローの9年連続の偉大さに比べれば何ということもないが、健康を確実に維持しながら毎朝の習慣として書き綴って来られたことは、ある意味で大きな自信にもなるものだ。

あの日、今日の3000回などを想像していただろうか?その時に宮崎にいて大学教員であることを予想しただろうか?いま「此処」にいる自分はやはり、この3000歩の蓄積に支えられており、その日々においては様々に僕を支えてくれた人々が登場する。書き綴る「いま」は、「過去」でもあり「未来」でもある。「分裂体」たる自己が、希望を持ちつつも踠き苦しむことの繰り返しでもある。この3000回をにわかにすべて振り返ることはできない。また書き綴ってそれをどうしようというわけでもない。これからどこまでいくのだろう?とも特段深く考えているわけでもない。ただただ「いま」がある以上、その「自己」を見つめるために更新を続けるだろう。こうして方針も曖昧ながら、日々お付き合いいただいている方々には心より感謝申し上げたい。

「いま」の10年は次の10年に連なる
「生きる」ことは「刻むこと」
また新しい朝が来るのである・・・・・


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らっきょうの皮剥きふたたび

2018-01-23
社会的な自己・家族としての自己
あらゆる皮を剥き切ったらどんな自己があるか?
素の自我とは何であろうか?

東京では「大雪」が警戒されてTV番組などでも、「降り出した」「積もった」と芸能レポーター的な言説によって、この自然天象の止め難い事実に翻弄されることに酔うような映像が喧しく伝えられている。東京在住時の僕自身は、こうした「平和ボケ」のような喧伝を嫌悪しながら「自然への向き合い方」を考えていたなどと回想する機会にもなった。宮崎に住むようになって5年間で、雪を踏みしめる「自己」はもういないからでもある。教材研究を進めるための「文学理論」を講ずる時間に、「らっきょうの皮剥き」の話をする。社会的に様々な「自己」があって、その「皮」を1枚1枚と剥いでいくと何が残るのか?残った最終形が「素の自己」なのか?漱石などの小説に盛んに描かれる「近代的自我」の問題は、文学のための文学なのではなく、今もなお僕たちの中で燻り続けているようだ。

「素でありたい」とは思いながら、それがなかなか難しいのを悟ることがある。たぶん間違いなく、「素」の自己が自分でも好きだ。と記せばまた「自己」と「自分」との断層が垣間見えてしまうようで、どこが「素」なのかがわからなくなってしまう。「らっきょう」の場合は、剥き切ったらそれは空洞であって、その「皮」そのものに「本質」が貼りめぐらされているわけである。実は人間も「表皮」の複合体なのであり、「本質」などという語彙ほど嘘くさいものはないのかもしれない。ただ確実に「自分」でも好きな「自己」があるのは、機会によって確かめられることがある。何も構えずにただの人でありたい、そしてそれを表出できる相手というのは限られる。それだけに人として生きるのも面白いのだろう。

この記事の「本質」は何か?
自問自答の大切さ
また新しい明日が始まる・・・


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「縁」とはなんだろう?

2018-01-22
「縁がある」「縁がない」
それは何で決まるのか?
感覚・社会慣習・生き方・・・

この数日、「縁とはなんだろう?」と考えている。いま何らかの繋がりがある方々とは、少なくとも「縁があった」ということなのだろうか?それでも付き合い方の深浅はもちろんあって、感覚が合う方もいれば、ほどほどという方もいる。人生において、誠に出逢いは重要である。それなくして「自分」という「畑」は、決して耕されることはない。好むと好まざるとにかかわらず、人との刺激的な関係が、人生を面白くも退屈にもする。それゆえに、自らも「面白い」人でありたいと願いつつ、縁のある人には「面白さ」を追い求めているように思ったりもする。

この人と出逢わなければ、「いまの自分はない」と思える人が何人いるだろう?幼稚園のころからいまの宮崎に至るまで・・・反対に出逢わなければよかった人などとは考えたくもないが、正負を超えて人生には「出逢い」があるものだ。どんな人と「出逢いたいか」と、ことばにするのは誠に難しい。なぜその場に足を運ぶのか?なぜその関係に興味を抱くのか?何に心を奪われて生きているのか?大河の一滴は、どんな島で潤いとなるのか?大空の中で、どの鳥の羽ばたきに逞しさを覚えるのか?誠に生きるとは、稀少な偶然に支えられているような気もする。

棲家と人の縁と様々に・・・
Webで大海や大空は狭まったのか?
生きることには、素朴で面白く豊かでありたい。


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