今年は長い年内講義
2017-12-26
大学暦の変化甚だしく休暇の余裕はほとんどなくなってしまった
研究・教育を支えるのは個人の努力なのか
Xマスを過ぎて、年末の雰囲気が一気に押し寄せて来た感覚である。今年度は大学暦の関係で講義は27日まで、町には小学生が日中に遊びまわる姿が見られたが大学はまだ終わらない。セメスターに「15回講義+試験」を文科省が必須として以来、各大学は暦の設定に大変苦心している。私立大学に在籍する研究者仲間などは、祝日でも通常の曜日の講義があって出勤することも珍しくないと云う。4月の新学期開始前の3月にオリエンテーションを実施したり、松の内に講義が始まるのも既に普通のことのようである。その点、国立大学法人は入試が2月下旬であるため、私立大学のように1月いっぱいで講義+試験を終わらせる必要もなく聊か余裕があるものの、夏休み・冬休みの入りは全校種で一番遅い。
今週の講義はどうなんだろう?と聊か学生たちの動向に注目していたが、まずは月曜の講義に関しては全員が顔を揃えた。帰省先がある学生にとっては、27日まで講義があると特に航空券の値段に大きな影響があるのではと余計な心配などもしている。まあ一時期は「大学レジャーランド」などと世間から揶揄される時期もあったゆえ、その反動が今にあるとも考えられるかもしれない。この流れに並行して、必然的に大学教員の仕事も多忙化している。これは「大学」に限らず全校種に言えることだが、「働き方改革」が本気で必要であるように思う。僕が初任者で教員になりたての頃は、町の親しいガソリンスタンドで「先生は休みばかりでいいですね」などと常々皮肉を言われていた記憶がある。そうした世間の狭量な見方が現在の波を作り出したのかもしれない。だが小中高大を問わず、「先生」には豊かな子どもの未来を考えるために、豊かな時間と心に栄養をつける余裕が必須ではないかと思う。欧米とくに北欧などで教育水準が高いのは、こうした点に予算を十分に確保し、「余裕」を生み出しているからに他ならない。こう考えると日本の研究力・教育力そのものが、危機に瀕しているとも考えられ末恐ろしいことだと現状を憂える。
時間さえあれば質が確保できるのか
講義内容・方法そして研究の深さが教育力を支える
「短歌」とは哲学・処世術的にも最たる表現なのかもしれないなどとも。
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