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「心豊かに歌う全国ふれあい短歌大会」トーク登壇

2017-12-03
「涙くん考える度流れでるもう泣かせるのやめてくれない」
(大会最優秀賞・宮崎県・88歳)
全国から寄せられた要介護・要支援高齢者と介護者の短歌をトークで

「ねんりんフェスタ」の表題を掲げ宮崎県と県社会福祉協議会が主催するイベントが、県立芸術劇場を会場に開催された。最初に受賞者表彰が行われたのちに、「老いて歌おう そして元気に」と題して約1時間の「短歌トーク」、今回はありがたくもこのコーナーのコメンテーターとして登壇のご指名をいただいていた。メンバーは、司会進行を歌人でこの大会の歌集編集にも尽力されている伊藤一彦先生、宮崎県で俳人として活躍されている布施伊夜子さま、そして県知事・河野俊嗣さま、そして僕という4名の構成であった。この大会に合わせて『老いて歌おう全国版第16集』(鉱脈社刊)が刊行されたが、全国から集まった短歌は3862首(応募者数は2293名)、うち100歳以上の方の応募が26名であると云う。今年で16回目のこの大会の過去5年間を遡ってみても、2014年には33名を最高に毎年20名以上は100歳以上の応募があり、たぶん他に類を見ない高齢者の方々の豊かな歌集・大会となっていることが窺える。

さて、トークは「最優秀賞」から「優秀賞」に入賞した短歌を中心に、4者で自由にコメントをして進行した。冒頭に掲げた最優秀歌は「涙くん」と呼びかけを初句とするが、河野知事も指摘をしたように、坂本九さんの「涙くんさようなら」の曲をモチーフとしているだろう。僕もこれが今年の「朝ドラ」で再燃した歌であると付け加え、昭和歌謡曲にこうした「呼びかけ」形式があることも考えさせられた。(ちなみに開会前に知事と僕が同期であることを確認した)和歌・短歌の歴史を顧みれば、古代の相聞歌を始めとして「歌」とは「訴え」と語源を共通にしているという説もあり、僕は特にこれを支持している。88歳となる受賞者の方も、介護者の方とともにお元気に登壇されたが、あまり意識をせずに思ったことを短歌にしてみた、という趣旨のことを発言されていた。これぞ短歌を作る原点ではないかと、あらためて壇上で考えさせられた。

「銀色に街はたそがれ帰るべきわたしの路はどこにも見えぬ」
(優秀賞・100歳・山口県)

この歌も大変素晴らしい。100歳となり「帰るべきわたしの路はどこにも見えぬ」というのは、深い寂しさを感じさせるが、それだけに人生はいつまでも「旅」なのではないかと痛感した。牧水の若き日の歌に「幾山河越えさりゆかば寂しさの終てなむ国ぞけふも旅ゆく」は著名であるが、「寂しさがきっとないであろう国」を求めて「どれほどの山河を超えて行けば」と詠うわけであるが、生きるとはどんな年齢であってもその年齢なりの「寂しさ」を「越えたい」と願うものなのかもしれない。人は独りで産まれ来て、ひとりで旅たる人生を歩む、それゆえに周囲の人々との関わりこそが、「生きる」肝心要なのであるとも言えるだろう。

まだまだ昨日コメントした歌、小欄でコメントを付して紹介したい歌はたくさんであるが、特に気になった入賞作を掲げておくので、ぜひ深くその歌の気持ちをお読みいただきたい。

「妻入院騒ぎのなかのダイヤ婚一人静かに祝い酒する」(優秀賞・92歳・千葉県)
「まどろみてひざより手帖すべり落ちいちょうの押花はらりと落ちぬ」(優秀賞・鹿児島県・93歳)
「卒寿宴何の卒かよまあだまだ白寿や茶寿がお待ちでござる」(優秀賞・91歳・宮崎県)
「戦友はみんな死んだと百近き父の寝言は宙を揺蕩う」(介護者の部優秀賞・宮崎県)
「宇宙から地球の景色見るよりも百から見える景色が見たい」(介護者の部優秀賞・宮崎県)


これから、いや既に突入している超高齢化社会
「生きる」ことを三十一文字の言葉に託し内に籠らず
知事がこうした高齢者の言葉を丁寧に咀嚼する「短歌県」を誇りに思いたい。


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