なげいだされしうつくしさかな
2017-12-02
「君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな」(前田夕暮の歌より)
素を見せる、自らを投げ出す力
来週の講義の準備をしていてあるアンソロジーを紐解いていると、冒頭に掲げた前田夕暮の短歌が気になった。何となく傍でねむる「君」という存在、「あはれ」は古語の意味で「ああ!」という感嘆詞か「素晴らしい」という良い意味であろう。その「君」はもちろん素顔で無防備である訳だから「女の魂」を「なげいだされし」という状況だと社会的には思える。だがその寝顔こそを「うつくしさかな」と慨嘆している反転的な発想が読めるよい歌である。親密な「君」たる間柄であれば、なるべくは建前に塗り込められることなく、素顔で思ったこと感じたことをそのまま吐露し合えるのがよいだろう。まさに「化粧」とは、「ばけてよそおう」と訓じられ、和語の「けはい」「けそう」として「装(う)」の漢字にも通じ、「仮粧」が当てられることもある語である。化けて仮の装いの建前だけで本心がわからないほど、怖いものはないとも言えるかもしれない。
この日は講義で2週間に渡って構想してきた「詩の群読」の班別発表であった。題材は「ことばあそび」「宇宙の中にいる自己存在」「対象への語りかけ」「人の時間意識」に関する4種類で、敢えて作品性の違ったものから学生たちが自ら選んで班を構成し表現するという課題であった。各班とも題材に合わせた工夫を考案し実に楽しい発表となったが、その中で「対象への語りかけ」をテーマにした詩の場合に、そのテキストを宮崎弁に改編して朗読するという工夫が見られた。これがなかなか好評で、要するに「素顔」の学生たちの「語りかけ」が詩の文脈で再現されたような発表となったのである。元来「標準語」などというのは、政治的中心地から強引に定められた「基準」なのであって、まさに「化粧」「仮粧」であり、地方の者にとっては「虚飾」に過ぎないであろう。こんなことと前述の夕暮の歌が結びついて、「素顔」の「うつくしさ」を感じたわけである。
思ったことをことばにすること
それこそまさに「生きる」ことそのものではないか
本日は「老いて歌おう全国大会」で「短歌トーク」に登壇する。
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