昭和の香り大掃除のち
2017-12-31
普段できないところに埃取り合わされるは「レコード大賞」
昭和が演出されるあの時代の・・・
小学生の半ば頃から大掃除が好きだった。年末とならば当時新築だった自宅を、自分の勉強部屋はもとより、リビング・階段・照明器具からガラス拭きまで、ひと通りしないと気がすまなかった。大晦日まで夢中になって掃除をしていると、祖母などが「もういいのにしたら」と声を掛けてきた記憶があるほどだ。今にして、なぜそんなにこだわっていたのだろうと考えてみたりもする。一つには、自宅が立派な3階建てのビルに改築されて、子どもながらにそれに大きな誇りを感じていたからではないかと思う。各所に施された住居としての工夫、それを新築当時は多くのお客さんが訪れて讃えてくれていたように思う。そしてその誇りとはそのまま、両親の「頑張り」そのものであったのも子ども心に感じていたからであろう。
今年もまた、宮崎の自宅の大掃除に勤しんだ。年内講義が27日まであったせいか、年賀状の作成が遅れ、大掃除もやや遅れ気味の進行である。慣習としては何とかこの日までに終わらせて、正月飾りをつけねばなるまいと意気込んだりもする。ある程度の計画はあるが、目につくところから進めていくとなかなかの体力を要する。さながらシムに行かずに、トレーニングをしているような心境になった。概ね目処がついて暗くなる前には、玄関飾りを設置することができた。その後、自宅で食事をしつつ珍しくTVを観ていると、「日本レコード大賞」を放映していた。今年の賞がどうこうと言うよりも、平尾昌晃さんをはじめ今年旅立たれた方々の名作が流れるのに、いたく感動を覚える。小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」が新人賞を受賞した時、作曲の平尾さんが横にいて、泣いて歌えなくなると平尾さんが一緒に歌唱したと云う名場面が特によかった。当時は「八重歯」が一つのチャームポイントであったが、現在の小柳さんはすっかり矯正したのだとわかった。さらには「ピンクレディー」の変わらぬ踊りぶり、そして荻野目洋子さんダンシングヒーロー」に乗って、バブル時代のファッションで踊る「大阪府立登美丘高校ダンス部」の妙技には涙さえ出てきた。バブルそして昭和は遠くなりにけり、とはいえ今またあの「昭和」が貴重な時代であったと回顧すべき時代なのかもしれない。大掃除と「レコ大」の取り合わせは、僕にとっても貴重な思い出である。
平成の世の中は何を忘れてきたのだろうか?
「個人」ではなく「集団化」した”歌手”が大賞を獲得する時代
辞書を引くと「新語流行語」として「八重歯ガール」があり昭和リバイバルの色濃きを実感。
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年賀状・メールそれからSNS
2017-12-30
手書き宛名に一言メッセージ年賀状の投函日時や使用期限なども
メールももはや古くSNSの気軽さの時代か
郵便局で今週25日になって、ようやく年賀状を購入した。顔見知りの窓口の局員さんに「本当は今日あたりまでに出すんでしたね」とこちらから話しかけると、「本当はね」と笑顔で応対してくれた。1月1日までに先方に届くにはそれが望ましいという郵便局側の喧伝で、かなり昔からそう言っていたような気がする。今年は購入した際に「注意書き」が添えられていて、来年1月7日までしかこの「52円」の年賀状が使用できないそうである。通常の葉書は10円値上がりしていたが、今回の年賀状だけは特例で据え置きながら、1月7日の期限付きというのも如何なものかという気持ちになった。投函期限といった意味でそれぞれが郵便局側の事情でありながら、聊か消費者におもねるような姿勢が気になる。いずれにせよ「年賀状」という紙製で一定の面積に文字の書き込めるコミュニケーションツールが、明らかに過渡期にあることを象徴しているようである。
連絡手段といえばこの5年間(宮崎赴任以来)ほどで、学生とのやりとりが急速に変化してきたように思われる。以前はいわば「携帯メール」でゼミ関係の連絡をして通行したいたものが、ここ2年ぐらいはメールの返信があまり来なくなった。学生たちにその理由を聞くと、メールは「あまり気づかない」のだそうだ。それに成り代わっているのが、LINEというWeb上のサービスである。スマホの通知機能という長所を活かしたこのサービス、これまでむしろ相互の私生活が干渉されるのではないかとか、本来は接続したくない相手からも無用なメッセージが来るのでは思っていた。だが学生同士の連絡環境について話を聞くと、かなり有効に使いこなしていることがわかってきた。例えば教育実習に関して緊急な連絡をしたい時は、代表者にメールをすればかなり即時的に全員に連絡される効果がある。もはや大学システムのメールサービスや、まして掲示板などは過去のものとなりつつあるようだ。
とはいえ手書きの意味は何か?
万年筆で先方の住所を丹念に書き上げる
葉書とて個人情報や個人間メッセージが露出しているなどとも考えながら・・・
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各部署に心を込めてありがとう
2017-12-29
大学業務の仕事納め各部署の方々にお世話になった1年
すべてに挨拶はできずこの場を借りて
大学業務も官庁同様に仕事納め。いくつかの方面に報告や感謝のメールを送り、提出が滞っていた書類などを指定部署に提出したりもする。この1年、研究・教育そして学会大会運営に当たり、様々な部署の方々にお世話になった。外部から学会大会宛に大量の郵便物が届くこともあり、その郵便物は個人名ではなく、「和歌文学会第63回大会運営委員会」宛であるため、特別な箱を用意していただき、料金後納葉書などを間違いなく丁寧に受け取っていただいた部署の方々がいらした。大学のメールボックスというのは、常々見て郵便物を受け取らないと様々な書類が混在し煩雑になりがちである。書類のみならず、定期購読の雑誌類や小箱ながら荷物も届く。それに加えて学会の出席葉書や郵便振替口座の収支を記した封筒などの郵送物の整理にも、大変気を遣った1年であった。
今年は学会大会開催のみならず、教務教育実習担当としての実務にも奔走する1年であった。担当2年目ということで、ガイダンスや事前指導などでの学生への説明・注意、また各実習校へ挨拶回りに出向き説明する機会も多かった。こうした実務を支えていただいたのも、担当部署の方々である。説明用の配布資料や申請書類などを整えて印刷していただく、内容の確認に始まる労力は並大抵でもないと思われる。諸々と伝え聞くところによると、国立大学法人化してから「経営合理化」の建前で、事務担当者もだいぶ人員的に削減されてしまったようだ。自ずと1人1人にかかる負担は大きくなっている。特に責任ある立場になると、時間外の夜間や休日に仕事をこなす方も少なくないように思う。非常勤を勤めていた母校の事務の方々の状況を知っているだけに、ある意味で「法人」とはいえ「国立大学」と冠している大学の”台所”がこのような状況でいいものかと思うこともある。待った無しの少子高齢化社会、それゆえにこそ国は「教育」に投資を惜しむべきではないのではないか。
午後は自宅の一部改修工事
街の電気屋さんにも諸々と世話になった
そしてゆったりとした時間を過ごす宵の口。
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頑張った自分に拍手
2017-12-28
大学事務も大掃除研究室はそのまま仕事の型を維持
そして夜は年内最後の筋トレプログラムへ
朝から大学へ行くと、仕事納めを前に事務の方々が大掃除に勤しんでおられた。その光景を見て研究室も整理したい衝動に駆られたのだが、まだまだ継続的な仕事がたくさん残っているため、そのままの「型」を維持しようと思い直した。もとより、大掃除をするだけの時間もない。この日も通常通りの講義があり、学生たちも休まず出席する者がほとんどであったが、どうやらインフルエンザなどにかかってしまった者も出始めたと聞く。ややゆっくりランチをとれたが、その後は会議。来年へ向けて諸々と仕事は続く。夕方は、最初から決めたようにジムへ向かう。この姿勢がないと、なかなかトレーニング時間の確保が難しくなる。この「潔さ」を何事にも持ちたいと思っている。
ジムへ行くと、よく会話をする何人かの会員さんたちとストレッチマットで一緒になった。この日は職場での「納会」などが多いのであろうか、あまり来館者が多くない。7時台の筋トレプログラムに参加する者がもしや4人程度ではないか、などと会話をしながら身体をほぐし続ける。職業や年齢を超えたトレーニング仲間の方々が親和的に交流するのも、東京にはなかった宮崎の”ぬくみ”である。プログラムの開始時間が近づくにつれて、いつも参加している人々も増えてきた。今年最後となるプログラムを盛り上げようという話となり、開始直後にトレーナーさんが自己紹介した際から、普段はしていない拍手を送る。この1年間で何回ほど、このプログラムに参加してきたであろうか。筋トレは身体各所に焦点を当てて9種目、各5分程度の筋持久系のトレーニングが続く。その各種目をやりきった後に、僕を含めた親しい4名ほどの会員さんたちでいつもお互いに拍手をすることが恒例化している。さながら「頑張った自分に拍手」、この日は他の会員さんもこの拍手に賛同してくれて、一緒に盛り上げてくれる方々もいた。やや辛い筋トレであるが、「拍手」一つで持っている力以上のものが出せるような気持ちになってくるものだ。
誠にジムにもよき仲間たちがいる
お互いに身体を鍛えて各自の人生を歩む
今年の僕はまさに「頑張った自分に拍手」よくぞこれほどの状況を乗り切ったものである。
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創り出す1年を振り返りー宮崎大学短歌会納会
2017-12-27
数名のゼミ生から始発そして力強い新入生たちが集い
全国へアピールできるようになった『宮大短歌』
宮崎大学短歌会の納めとなる歌会・忘年会を開催した。創設して約1年となる短歌会が、年末にこのような豊かな時間を共有できる仲間の集う場になっていることに驚きと深い感謝を覚える。物事を始発する際には、自転車を漕ぎ出す時のようにバランスと大きな力が必要である。短歌会も当初は大学公認申請をしようとすると、「しばらくして活動が波に乗ったら申請してください」と”名ばかりサークル”になりはしないかと学生支援課でも活動に懐疑的であったようである。それが会誌第1号を発行し、学祭でも教室を確保し学内外に存在をアピールし、県内の「心の花」の方々や全国の大学短歌会へ向けて、その会誌を配布するまでに成長した。その結果、平成30年度版『短歌年鑑』(角川)に掲載されている「全国大学短歌会地図」には、堂々とその名を連ね「地元メディアへの出演も果たし存在をアピールした。」といった寸評もいただいている。また宮崎市で開催された「平和のための短歌甲子園」で優勝(4チーム中)、日向市で開催された「マスターズ短歌甲子園」(4チーム中)で準優勝と、県内には若い短歌の力を示すことができ、大学への公認申請において文句ない実績を築いたといえよう。
こうした活況を呈したのも、従来からいる僕のゼミ生に加えて、4月から入会してきた新入生の力が合流したことが大きい。高校時代に「牧水短歌甲子園」で活躍した学生を筆頭に、教育学部以外からも複数の会員が参加するようになって、短歌に対する議論も多様となって白熱した。こうした学年を超えた力の融合があってこそ、短歌会たる自転車はバランスを保ち前に自走し始めたのである。また短歌会の特徴として、お互いが忌憚のない意見を言い合える環境となっていることも重要だ。昨今の若者はWeb上のやり取りに慣れて、SNSなどにおけるメッセージによる、ある意味で”架空な会話”を好む傾向がある。現に「リアル歌会は怖くて参加できない」と思っている者が全国的に多いと聞いている。この問題は、今後の社会構成上においても熟慮すべき問題であろう。社会に出れば自ずと「対面」で仕事をすることが未だ大半である。その「対面性」を忌避する環境に、若者たちが逃避し甘んじているとすれば、現在でも問題となっている「離職率・休職率」が、今後もさらに増加する傾向が否めないのではないか。だからこそゼミや講義や実習、そしてこうしたサークル活動を通して「対面」で腹の底から意見を言い合える「体験」を、学生時代に必ずすべきではないかと思われる。
大学短歌バトル(3月開催)「九大宮大短歌会連合」予選通過
そして地元「牧水研究会」と共催の「若者の語る牧水」企画も
新しき年に向けてこの1年を礎として、地方大学ならではの短歌会がさらに羽ばたこうとしている。
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今年は長い年内講義
2017-12-26
大学暦の変化甚だしく休暇の余裕はほとんどなくなってしまった
研究・教育を支えるのは個人の努力なのか
Xマスを過ぎて、年末の雰囲気が一気に押し寄せて来た感覚である。今年度は大学暦の関係で講義は27日まで、町には小学生が日中に遊びまわる姿が見られたが大学はまだ終わらない。セメスターに「15回講義+試験」を文科省が必須として以来、各大学は暦の設定に大変苦心している。私立大学に在籍する研究者仲間などは、祝日でも通常の曜日の講義があって出勤することも珍しくないと云う。4月の新学期開始前の3月にオリエンテーションを実施したり、松の内に講義が始まるのも既に普通のことのようである。その点、国立大学法人は入試が2月下旬であるため、私立大学のように1月いっぱいで講義+試験を終わらせる必要もなく聊か余裕があるものの、夏休み・冬休みの入りは全校種で一番遅い。
今週の講義はどうなんだろう?と聊か学生たちの動向に注目していたが、まずは月曜の講義に関しては全員が顔を揃えた。帰省先がある学生にとっては、27日まで講義があると特に航空券の値段に大きな影響があるのではと余計な心配などもしている。まあ一時期は「大学レジャーランド」などと世間から揶揄される時期もあったゆえ、その反動が今にあるとも考えられるかもしれない。この流れに並行して、必然的に大学教員の仕事も多忙化している。これは「大学」に限らず全校種に言えることだが、「働き方改革」が本気で必要であるように思う。僕が初任者で教員になりたての頃は、町の親しいガソリンスタンドで「先生は休みばかりでいいですね」などと常々皮肉を言われていた記憶がある。そうした世間の狭量な見方が現在の波を作り出したのかもしれない。だが小中高大を問わず、「先生」には豊かな子どもの未来を考えるために、豊かな時間と心に栄養をつける余裕が必須ではないかと思う。欧米とくに北欧などで教育水準が高いのは、こうした点に予算を十分に確保し、「余裕」を生み出しているからに他ならない。こう考えると日本の研究力・教育力そのものが、危機に瀕しているとも考えられ末恐ろしいことだと現状を憂える。
時間さえあれば質が確保できるのか
講義内容・方法そして研究の深さが教育力を支える
「短歌」とは哲学・処世術的にも最たる表現なのかもしれないなどとも。
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聖夜の思い出いま甦る
2017-12-25
夢か現かサンタクロース子供部屋に届くプレゼントあれこれ
この日のあり方は世代を超えて・・・
聖夜たるや、夢と希望のある1日。昭和の高度経済成長期を幼少時として、バブル期を大学生から社会人に移行する時期に生きてきた世代として、誠にこの1日をどう過ごすかという観念に踊らされて来たのかもしれないなどと今年は考えていた。一昨日、よく行く公共温泉で馴染みの方々と話していると、みな口を揃えて「明日はケーキを食べなきゃならんね」と言っていた。かの方々は世代として孫たちがやって来て、その付き合いで自らの好むと好まざるに限らずケーキを食べるのだと云う。確かに宮崎でも人気の洋菓子屋さんでは、予約しないと好みのケーキは買えない状況である。東京在住時のイブにデパ地下を通りかかった際に見た、信じ難いほどの行列が思い返された。24日付宮崎日日新聞によれば、シングルマザーの3人に1人は「Xマスなければいい」と回答し、10人に1人は「うちはサンタは来ない」と伝えたことがあるという結果(NPO法人「チャリティーサンタ」の調査)を報じていた。
幼き頃の思い出としていつまでサンタさんを信じているか?といった話題を、先日学生たちと話す機会があった。すると僕らの世代と、感覚はあまり変わっていないのに聊か安堵を覚えた。僕の場合は、自宅が新築され子供部屋ができて個室で寝ることになって数年後のある聖夜のことである。なかなか寝付けないでいると部屋の扉が開いて、母が入って来るのがわかった。だがそのまま僕は寝たふりを続けた。すると僕が当時欲しかったミニカーがたくさん収容できる立体パーキングの大きな箱を、母は枕元に置いたのである。そのまま母は部屋を出て行ったが、僕はどうすることもなく、大きな箱をそのままに喜びと期待だけを抱え込んで眠りについた。これこそが、夢と希望を抱いて寝るということだろう。学生たちの聖夜も様々であったが、この行事が単なる喧騒に終わらず「想像力」や「詩心」の喚起に繋がっているのだとすれば、金額でない大切なものを届ける一夜であると考え続けてみたいものである。
欧州で体験した家族・親戚が集まる静かな夜
「心」のあり方を考える日として成熟して欲しいものだ
今年もあと1週間という道しるべとしても重要なのだろう。
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牧水没後90年に向けてー牧水研究会総会
2017-12-24
今年の活動を諸々と振り返るそしてさらなる活性化へ諸々と思案
来年の牧水没後90年へ向けて
「牧水研究会」総会が宮崎市内で開催された。この1年間の活動を振り返り、また来年の計画において様々な意見が交わされる貴重な機会である。まずは今年の研究会を振り返り、暑い夏8月13日「牧水を語り合う会」にて自身で研究発表をしたのが思い返された。関西から田中教子さんも見えてご発表し、宮崎が故郷の吉川宏志さんも参加して多様な視点で議論ができた。また初めての試みとして、宮崎大学公開講座を「まちなかキャンパス」で実施し、牧水研究会の方々も多数見えてかねてからの公開講座受講生の方々に牧水の歌の魅力を伝える機会となった。また、牧水研究会として特筆すべきは「宮崎県民文化賞(学術部門)」をいただいたこと。創刊から11年目21号を数える『牧水研究』で築き上げた成果は県内外で高く評価いただいているということであろう。だが「内容が難しい(とっつきにくい)」といった趣旨の意見も出され、「評論」としての「書き方」を再考する必要性も感じた。こうした振り返りをしつつ、話題は来年の牧水没後90年に向かって行った。
牧水の没年は昭和3年(1928年)であり、来年で90年となる。大きな行事としては「全国牧水顕彰会」が11月に牧水が好んだ地・群馬県みなかみ町で開催される。かの地は市町村合併の際に、牧水の歌集名を採って「みなかみ」とひらがな表記が選択されたと云う。同日夜には「日本ほろ酔い学会」も開催される予定。牧水がみなかみ町を初めて訪れたのが、大正7年(1918年)ということで来年は訪問100年となる。一部牧水が逗留した宿の部屋が遺っていると聞き、僕自身は親戚関係の集まりでよく訪問していた土地ながら、牧水の足跡を追っていなかったので今から大変楽しみな機会である。また来年の目玉として「若い人の読む牧水」という提案がなされ、若者との対談を『牧水研究』に載せてはどうかという話題となった。僕の研究室では牧水を卒論テーマにしている者も2名いるので、その成果を踏まえた対談を早期に実現しようというありがたいご提案である。地域の大学として、学生の活動成果を市民の方々と文化面で交流を深められるのは、この上もない貴重な機会である。早速、この計画に乗り出す準備を始めようと思う。最後にもう一つ来年の大きな行事は、「国際啄木学会」が「牧水研究会」との共催で5月に宮崎で開催されることだ。今年の『牧水研究』で論じた啄木と牧水との関係について、さらに深めて研究発表の機会を僕自身はいただける予定である。
かくして今年もたくさん牧水先生について語った
尽きせぬその歌の力動ある韻律
牧水没後90年、奇しくも「昭和・平成」という時代を考えることに等しいのだろう。
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「声を重ねる」声で遊び 声と笑い 声で豊かに
2017-12-23
市民団体主催のワークショップそしてブックカフェでの自由な朗読会
声を重ねた1日
宮崎市の市民団体「Swing-By」主催「子ども夢基金助成活動」にワークショップ担当として、学生4名とともに参加した。題して「声を重ねる」。学校の「国語」授業ではあまり実践されない、声と身体を重視した詩歌を題材とする内容である。「おならうた」の絵本から始めて、「かっぱ」「ののはな」などの『ことばあそびうた』をやると次第に子どもたちとの声の交流が深まってくる。そこに声のリレーゲームとか身体的コミュニケーションを必要とする活動を折込み、寒い板張りの会場ながら、子どもたちの顔が紅潮してくる。後半は「わかんない」の詩から。「みかん」「やかん」「じかん」の三つのことばを「実物(じかんは時計)」を見せて実感でその物をことばにしていく。最後は「うちの子は甘えん坊で・・・」という俵万智さんの短歌を題材に、場面と言っている人の心を想像して寸劇にするワークショップ。3名グループの可愛らしい発表に、保護者の方々も動画撮影などを楽しんでおられた。この全体進行をゼミ生が上手く仕切って補助してくれて、誠に円滑にあっという間の1時間半を過ごすことができた。
その後は懇意にするブックカフェで月1回開催される朗読会「TONARI」へ。「日常の”隣”に詩がある」という発想で、毎回自由に参加者が題材を決めて朗読を披露し合う。ここのところ学会大会開催等に追われて数ヶ月は参加できないでいたが、年内最後の機会にとゼミ生も誘って参加した。本来は「自作の詩歌」を読むという趣旨であるが、今回は時節柄読みたいと思っていた『サンタクロースっているんでしょうか』(偕成社1977)を読んだ。折しも進行を担当する主催者の方がサンタクロースのコスチュームであったため、場にかなった内容の朗読を提供できた。その中にある趣旨に「サンタクロースは詩である。」というものがある。並列的に「愛」「思いやり」「信頼」や「ロマンス」が挙げられている。人の豊かな想像力こそが「詩歌」となってこの世の中で光を放つ。それがなく「目に見えるもの」しか信じない「うた(疑)ぐりや」のなんと多いことか。年末になると詩歌を愛好する身として、いつも考えさせられる内容である。一緒に行ったゼミ生たちも、それぞれに即興的に題材を選び朗読に参加したことで、新たな出逢いのある宵となった。まずは声を重ねて出逢うことが大切であろう。
「声即ち命」と思えてくる
寒き夜空にぬくもる声を
師走に人を繋ぐ「声を重ねて」
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血の流れおり脳に手足に
2017-12-22
筋トレに身体の奥の暖かさ冷えて循環が悪い血流は思考も鈍らせる
10日ぶりのトレーニングで実感したこと
手帳の月別頁にはトレーニングをした日に「Gym」の表示をつけるようにしているが、今月は甚だ寂しい表示である。昨日の前の表示が11日に記されており、9日間も空いてしまったかとこの時季の自らを省みた。和歌文学会大会のあった10月でさえ最大7日間の「空き」であったから、今月の生活は僕にとって異例である。そのためか筋肉量が減少して、身体内の血流があまりよくないのであろう。思考がやや停滞し常に焦燥感のあるような状況が続いているように自覚していた。小欄の「トレーニング・健康」カテゴリーに幾度も記してきたことだが、身体の活性化による血流の促進いかんが、脳内活動に直結していることを実感する結果となった。
この日はジムに到着すると、すぐさま風呂とサウナに入りまずは身体を温めた。汗が出やすい状態を作りストレッチの可動域を少しでも広げる。その後、じっくり30分間のストレッチ。通常では約15分間であるが倍の時間を要して身体をほどいていく。その後、30分かけて早歩き程度の速度でトレッドミル(ランニングマシン)、次第に血流が全身によく流れ出すような感覚を覚える。さらにノーウエイトでスクワット、最低限の重量のダンベルで上半身の各所の筋肉に刺激を加えていく。すると久しぶりに身体の奥からの”あたたかさ”を覚えた。まさにこの温床のような血流が思考も含めて活性化するのである。そういえば、夏8月の「牧水研究会」で『短歌作法』の中から「歌ができない時はどうするか』といったテーマで牧水の考え方を引用し発表したが、「散歩・風呂・酒」というのが牧水なりの手段であった。いずれも「身体を奥からあたためる」手段なのである。
淀みたるもの動き出すとき
ストレッチと筋トレが脳にも血流を運ぶ
するとなぜか「気運」も自ずと開けてくるものである。
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