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『百人一首』暗誦を活かすには?

2017-11-30
大学生はどれほど暗誦しているのだろう?
暗誦する意味は何か?
日常語の韻律に敏感になるためにも

1年生のオムニバス講義で、『百人一首』をどれだけ暗誦しているかをまずは個人で書いてもらった。その上で、5人1組の班内で相談してどんな歌を暗誦しているか3首ほど挙げてもらうという活動をした。大半の班は少なくとも1首の和歌を挙げ、10班中3首を挙げられた班は三分の一程度。中には様々な和歌の中にある韻律のよい句、「あしびきの」「ちはやぶる」「うつりにけりな」などを混合して組み合わせて1首に仕立て上げた班もあった。(もちろんこれも許可して、「正解」を求める活動でないことを宣言している)個々の学生には個人差があって、何首も口をついて出て来そうな者もいれば、歴史的仮名遣を間違って読んでしまう学生まで様々だ。こうして1年生に文学的な講義をすると、高校までの「国語教育」の現状が浮き彫りになって、大変興味深い結果となる。

中華人民共和国では小学校段階で暗誦すべき「80篇の詩」が、日本でいう学習指導要領の上で定められていて、6年間でそれを暗誦する教育課程となっている。日本に来ていた留学生に話を聞いたことがあるが、教育熱心な家庭では物心もつかないうちから詩を暗誦させるらしい。しかも暗誦することで詩句を身体的に通しておくと、日常言語の上で役に立つ機会があるという意識を持っているようにも思われた。どこぞの国の政治家が、詭弁的に故事成語で答弁するのとは”基本”から違うような気がする。だが日本でもカルタ競技を題材にしたアニメとその映画化の影響などもあって、「ちはやぶる」などという枕詞の存在感が増し、その韻律に好感を持っている若者は多いように思われる。そこで『百人一首』を「本歌」として、学生の日常を題材にした短歌を創るという活動をこの講義の最後にしてみたが、これはなかなか学生たちも楽しんでいた。これは既に俵万智さんなどが実作に活かしている手法だが、ただ「暗誦せよ」ではなく、こんなところから『百人一首』の存在に興味を持たせる工夫が必要だということだろう。

「浜松町 田町 品川 大井町 大森 蒲田 川﨑 鶴見」
いわゆる「ハナモゲラ和歌」は世の中にいくらでも存在する
「暗誦させる」ではなく、個々の学習者を「主体的表現者」として尊重することである。


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「読み聞かせ」でよいのでしょうか?

2017-11-29
絵本を介して読み手と聞き手
双方向性な応対によって作品世界が拡がってくる
そんな新しい用語の提案をみやざきから!!!

先日ある絵本を翻訳した作家の方とメッセージ交換していて、「(聞き手である)子どもたちがいてこその絵本である」という趣旨のやり取りをした。そうなると現在世間に通行している「読み聞かせ」という語は適切ではなく、何らかの代替語を考案せねばならないということになった。「読書県日本一」を目指している宮崎としては、ぜひ何らかの提案を県全体で考えたいと思うところである。十分な代替案がないままに、仕方なく旧態依然の概念で使用され続けている用語は少なくない。作家さんとのやり取りの中では「主人」「旦那」などもそうで、本来は家庭の中で平等であるはずの夫婦関係において「男性優位」を未だに助長している「悪役」であろう。もちろん学校では「父兄」などという語は現在使用してはならず、謙遜を旨とするのであろうが、「愚妻」「愚息」「愚妹」などはもっての他という気がする。言葉は無意識に使用されると、行動を規制する怖さがあるからだ。

現在僕は暫定的に「読み語り」という語を使用するようにしているのだが、講演や講義においても話す内容の理解のためには、ついつい嫌々ながら「読み聞かせ」を使用してしまう現状だ。この件をやり取りした作家さんのような存在が、メディアを通じて大々的に代替語を喧伝する機会が望まれる。ちょうどこの日もゼミで「絵本の対話性」に関する卒論中間発表があって、「絵本と聞き手」の対話性を考える趣旨が提案されたが、ゼミ内で議論を進めるうちに、「絵本を介して聞き手と読み手の三者の対話」から生じる作用を検討すべきだと軌道修正された。具体的に少々述べるならば、「読み手」が絵本を声で読んでいると、「聞き手」である子どもたちが絵本の言葉に対して「合いの手」や「返しの言葉」を投げかけてくる場合がある。「読み手」はその反応に間を置いたり、韻律を合わせたりと対応しながら「読み方」を変化させていく必要がある。いわば「読み手」もその場で「成長」することになり、「聞き手」との間にコミィニケーションが成立するのである。さらにいえば、状況によっては「読み手」と「聞き手」が反転し、「聞き手」自らが声に出して読みたいという願望が生じれば、それが読書推進の芽となるわけである。

「お仕着せがましい」使役の「せ」
「させる」という学校の活動が、子どもたちの主体性を刈り取ってしまう
さて果たして適切な用語は提案できるであろうか?短歌県・読書県みやざきの大きな仕事かも。


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短歌と俳句・・・俳句と短歌

2017-11-28
短歌は一首、俳句は一句
それぞれ「歌」「句」と略称する
「言わない文学」の好きなこの文化の中で・・・

俳句は「文化遺産」として登録されることを目指していると云うが、短歌は「遺産」ではなく今も生き続けているので登録など目指さない。こうした趣旨のことを、佐佐木幸綱先生のお言葉として何度か聞いたことがある。確かに「遺産」たるや「遺された産物」ということであるから、そこに登録されるものは「過去のもの」と見なされる必然がある。まあこれもまたそれぞれの考え方であるから、相互に否定する必要もないとは思いながら、歌をやっている身として「今も生きている」という趣旨が、誇らしく思うのも正直な思いだ。学部2年生の複数担当講義の後半が、この日始まった。10月当初にテキストとしているアンソロジー(詞歌集)から、「好きな歌を一首選んでおくように」という課題を出しておいた。この日は受講者の自己紹介を含めて、それを板書して一言キャッチフレーズを添えるという活動を行なってみて、あらためて「短歌」と「俳句」の関係性を考えさせられた。

学生が選んできた詩歌の半数が「俳句」であったのである。記憶するに間違いなく僕は「和歌・短歌を選んでくるように」と2ヶ月近く前の教室で指示した。アンソロジーである文庫が、「教科書掲載の和歌・短歌・俳句」が古典近・現代を問わず載っているので、ある意味でやむを得ないと思いながら、聊か「俳句」優位な風潮を嗅ぎ取ってしまい短歌人として心を揺さぶられた。学生がコメントを始めると、「短歌は一首、俳句は一句」という量詞の使い方も厳密ではなく、何度かその発言を訂正したが、最後には話の勢いで自らも歌に対して「一句」と誤ってしまい、さらに自らを省みる事態になった。そういえば先日もよく行く公共温泉で常連の方々と話していて、「専門は何ですか?」と問われたので「教育学部の国語です」と一般向けに答えた上で、「和歌とか短歌です」と付け加えると、その方々のお一人が「テレビでやっている俳句を先生が直すのはいつも一理あると思っているんですよ」と話題を展開した。やはりバラエティー番組もまた「短歌」ではなく「俳句」なのである。考えるに短歌の添削行為などをしたとしたら、その理解度からして”バラエティー”にならないのではないかと、やや短歌人の矜持として考えた次第であるがいかがであろうか。

その双方を器用にこなす方々もいる
中学校教科書は中2で「短歌」中3で「俳句」
歌ができない時など「俳句を読むとよい」と聞くが、境にこだわるだけ未熟なのかもしれない。


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ひとりを大切にしておかないと

2017-11-27
注文をすれど飲み物もなかなか来ず
腹を立てずにどういうことか?と考える
地方都市で味わう疑似体験といまの社会風潮なのか

自らがどれほど宮崎の人間になりきれているだろうか?などと考えることがある。九州一番の都市・福岡県の繁華街である博多や天神に行くと、街の渋滞や駅での人の流れからして、慌ただしい都市の感覚が蘇る。今回はライブ会場のヤフオクドームで過ごす時間がほとんどであったが、即日に宮崎へ帰りたかったため、初めて夜行バスを利用した。ライブが終わってやや混雑した地下鉄に揺られて天神へと向かった。バスの出発まで聊か時間があったので、少々腹ごしらえをしようと店を探したが、既に知っている店は早めの閉店。路上の屋台はこの時間でいっぱいのところばかり。仕方なく周囲を見回して、小綺麗なイタリアンバーに入店した。

ライブでは現地購入したツアーTシャツを被りかなり汗をかくので、ラフな服装にスニーカーと小型のバックパック(リック)という外見が聊か作用したのであろうか?土曜の夜ということもあって、多くの人たちが仲間たちと語らいながら飲食をしている。「おひとりさま」なので自ら「カウンター」を希望して着席するが、冒頭に記したように注文してもなかなか飲み物さえも出て来ないありさま。大勢で”やっている”テーブル席とか派手な出で立ちで来店しているカップル席には、次々とビールや料理が運ばれて行く。その後、夜行バスの時間があったので限られた時間だからということもあったが、それにしても「ひとり」ポツんと店内に置き去りにされた感覚であった。極端な物言いをすると、この店ではほとんど相手にされていないような感覚を持った。大切なのはここからである、牧水が旅の最中にその外見で判断されて逗留を断られて追い返されたことを思い出した。時にその疑似体験的な感情になってみるのもよい、などと考えて最後には”即座に”渡された会計伝票に記された”わずかな”金額を払って店を後にした。

さて、損をしたのは誰であろうか?
その場では利益にもならぬ「ひとり」を大切にするかどうか
朝の宮崎、ローカル線の車窓には線路脇の雑草が風に吹かれていた。


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桑田佳祐さん「がらくた」福岡公演

2017-11-26
日本語と英語の巧みな掛詞的韻律
恋・愛・人生を炙り出す絶妙な歌詞
そして読める人には読める痛烈な風刺

朝起きたら何かが違っていた。この日は、抽選で見事に当選した桑田佳祐さん「がらくた」全国アリーナ&5大ドームツアーの福岡公演であった。「何かが」と書いたのは、自分の中に降り積もり溜まっていた何かが一気に吹っ切れたような爽快な行動に変わったいえば、聊かわかってもらえるであろうか。今回は高速バスを利用し早々に福岡まで、開場2時間前までには会場のヤフオクドームに到着し、ライブ用のTシャツと首に巻くツアータオルを購入した。現在のチケット購入制度では転売による競売を防ぐために、入場するまで席はわからない。きっといい席だろうと思いきや、ドーム球場のアリーナ席(通常では野球をする人工芝の上にシートを掛け、パイプ椅子で座席を特設したもの。必然的にステージに一番近い席ということになる)の前から16列目という幸運であった。開演までの待ち時間も、開演後の熱狂の時間も、まさしく「時間を忘れる」ような至福の時間となった。

さて、ライブのセットリストや曲の紹介は、大晦日までツアーが続くので控えることとして、あらためて「表現者・桑田佳祐」の真骨頂に生で触れたような感覚を得た。もちろんCD音源やDVD映像で観てもその素晴らしさは伝わってくるのだが、やはり生ライブでの桑田さんの表現力は計り知れない。アメリカンロック全開でノリノリで行くかと思えば、今年の目玉となった「若い広場」(「朝ドラ・ひよっこ」の主題歌)のような昭和歌謡を匂わせるような曲もあり、その総合力こそが「日本のポップミュージック」の代名詞といってもよいだろう。そこに緩急鋭くバラード系の曲が織り交ぜられ、個人的に好きな曲であるせいもあるが、その度に涙がとめどなく流れてしまった。恋・愛・人生という誰しもが深く考えるべきテーマを、様々な表情で桑田さんの曲は聞かせてくれる。

ドームツアー場合はあまりにも会場が広いために、通常の野球観客席からステージの細かな様子はほとんどわからない。よってステージの背後にある大型ビジョンが拡大映像でその様子を流すのだが、そこに全曲とも「歌詞」が文字スーパーで表示された。日常では歌詞を確認したい時とか、カラオケの際に特に「歌詞」を意識するのだが、こうしてライブで生で唄われる曲の歌詞が確認できることによって、日本語の響きと英語の響きを巧みに重ね合わせた掛詞的歌詞の妙をあらためて楽しめた。英語のようで実は日本語の音として聞くと、奇想天外な意味が勃ち現れる。実は古典和歌にも似たような言語遊戯的な発想が、時代によって展開したが、そんな趣さえ感じさせるのである。つまり曲に乗せた「音」のみでは判らない、蔭題(淫題)が仕込まれており、「文字」によってそれが起ち(勃ち)上がるのである。

最後に、「ひょうきん」で「エロエロ」のイメージのある桑田さんであるが、その歌詞に込められた「風刺」は筋金入りだ。今回のツアーも、「この曲が1曲目か」とやや驚いたのだが、今だからこそ「この曲」なのだと深く納得した。だが「風刺」という性格上、当然のことながら、そう簡単にはその「意味」を読み取ることはできない。前述した歌唱と歌詞表示が同時進行であった効果だろう、今回もいくつもの新たなる歌詞の「読み」を個人的に発見できた。この境地はもはや短歌などの文学作品を読み解くことに等しく、理解するには一定の教養が求められる。古典を含めた様々な文学を、桑田さんが十分に咀嚼している証拠である。それは1曲約18分という、ライブでは決してセットされない「声に出して歌いたい日本文学」を聴けば、それなりの理解は可能だ。与謝野晶子や石川啄木の短歌に桑田さんが曲をつけると、それが不思議と桑田さんが作詞したような曲に聞こえるのである。この日の会場を埋め尽くした観客は3万6000人(外野席はステージ裏で使用できないため)ということらしいが、何人がこうした「風刺」を「読んだ」であろうか。

会場整理係員の女性も涙ぐむ曲のちから
彼女は僕に共感し本来は禁止されているであろうに、客である僕に声を掛けれくれた。
また今回のライブで、僕の人生が変わり始めた。

桑田佳祐と同じ時代に生きていられて本当によかった!!!


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小さな学校大きく育つ

2017-11-25
全教職員が全校生徒の顔と名前がわかる
小さな学校にこそ見える教育の原点
時間も感覚もすべて「競争」にある社会の中で・・・

米国によく行っていた頃、ある日本人と出会ってこんなことを話した覚えがある。「日本の教育の一番の問題は何か?」と問われたので、「1学級あたりの児童・生徒数を30名以内にすべきことではないか」と答えた。当時は「新自由主義」に席巻されているご時世ということもあったが、その日本人は「そんなことを教育関係の研究者が考えているから教育が良くならないんだ」と云う趣旨で反論された。いわば「競争」原理に拍車をかけて、教師もできる限りの力を尽くしてこそ「プロ」なのだと言わんばかりの反論であった。金を稼ぐことも、地位を築くことも、財を成すこともすべて「自らの力」で競争に勝ち抜いてこそ、社会の勝利者(勝ち組)であるという発想であるが、いまや社会がこの様な「原理」で動いているわけで、これを予見する様な人物として僕の脳裏に刻まれている。

果たして「学校」は、「競争」のみで成り立つのだろうか?「教育」に「対費用効果」などという経済用語が平然と使われるようになったのも、その頃からだ。児童・生徒は決して生産品・管理品ではない。効率のみであらゆることが論じられ、競争に先んじた者が「優秀」とされる。自ずと元来から「力」のある者が潮流を最初から掴み、「力」なき者は衰退していくしかなくなる。現況の企業への対応や各大学への対応も、すべてはこの「競争」原理によって成り立っている。「対費用効果」の少ない「少人数学級」などもってのほかなのである。こうした原則が、「都会」と「地方」の中にも同じ図式で成り立っている。だからこそ立ち止まって考えてみよう、そんな「競争」ばかりしている「社会」が、生み出している物は何か?平常では理解しがたい「人間性」を逸脱した事件・事故が、最近あとを絶たないではないか。もうそろそろ、僕たちは気づいた方がよいだろう。

小さな学校で大きく育つ子どもたち
そして個々を大切にする先生方に教わること
宮崎には、せめてそんな「学校」を増やしたいものである。


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「くに」風土・文化を考えて

2017-11-24
鹿児島から都城経由で宮崎へ帰る
晴天のもとあれこれと考える
「くに」という語の使用もすっかり変化して

「くにはどこですか?」という問い掛けや「おくに自慢」という際の「くに」という語彙を使用しづらくなった、あるいは意味が通らなくなった、という意見をいくつか目にしたことがある。こういう場合の「くに」はもちろん、「生国・郷里・故郷」(『日本国語大辞典第二版』「くに」の項目9)という意味である。だがあらためて客観的に地域の風土・文化を眺めてみると、明治以降に作られてきた行政単位の「県」では収まらない「おくに事情」があるものだと思うことがある。昨日の小欄にも新幹線が通っているかどうか、ということで大きな違いがあることを記したが、それを利点とだけ捉えていいものかという疑問も生じるという趣旨を付け加えておきたい。特に幕末から明治維新の歴史を考えた時、薩摩の果たした役割は計り知れない。だがある意味で対局的に東の日向が存在していたことを、生活をしてみて実感するわけである。

鹿児島との往復は、好んで都城経由を選択している。ここのところ都城島津邸とのお付き合いも生じたので、尚一層その歴史が身近に感じられるようになった。現在の行政区画では「宮崎県」である都城市だが、文化的には薩摩との関係があまりにも深い。歴史上において「県」として独立しようとしていた時期もあったことが、十分に頷けるのである。それだけに都城で食事などをしてみると、宮崎市内とは異なる「味」に出会うこともしばしばである。もちろん宮崎県内でも、飫肥藩・高鍋藩・延岡藩と各地で風土と文化は違う。以前に親友の落語家さんと話していた際に、こうした藩単位での結束を重視した方が、緊急時などにも対応しやすいのではないかなどと話したことがある。「県」と大括りに考えがちであるが、「くに」という単位を活かしてこそ今後の少子高齢化社会には対応するのかもしれない。

あれこれと思索する一日
自らの「くに」意識はいかに?
相対化できる”ことば”を常に持ちたいものである。


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教育実習どうでしょう?

2017-11-23
教員養成の中心的学び
教育実習どうでしょう?
九州地区の情報交換会にて

九州地区の教育実習に関する情報交換会に出席するため、鹿児島まで赴いた。隣県の中でも一番行きやすい感覚がある鹿児島までの道のり、この日は生憎の雨に見舞われた。筆者はいま「一番行きやすい」とは書いたが、鹿児島まで行っていつも痛感させられるのは新幹線が通っていること。北上し熊本・福岡・佐賀あたりからは時間的にも大変近いことが、参加者である先生方の口調から伝わってくる。情報交換会の終了時刻20:00を鑑みても、この三県いや山陽や関西圏あたりまでなら日帰り圏内である。「行きやすい」ながらも当初から一泊を決め込んでの参加となった。なぜこうした交通事情のことを記したかといえば、そこに各県の大学の特徴も出ていると感じられるからだ。本県みやざきであれば、この背骨たる交通幹線の埒外にあることを、どれだけ有効に活かせるかが重要ではないかと常々思うのである。

さて、情報交換の内容を小欄に記すのは控えるが、自明のことながら「教育実習」こそが「教員養成」の中心的な学びであることは動かし難い事実である。いつの時代も「教育改革」の重要性が説かれながら、政治のでも数々の提言・施策がなされながら、「教育実習」そのものが伸び伸びとした有効な学びの場になっているかといえば、全肯定はできない事情が数多く見られる。それを教員養成学部の現場にいる大学教員や附属学校教員があれこれと努力を重ねて、自分たちの「後輩」を育てるために尽力しているのが現状である。特に「附属」の先生方というのは、向き合う生徒・児童とその保護者のみならず、附属たる大学の実習生の対応もあるのだ。想像するにそれは「忙しさ」の上に「忙しさ」を重ねたような仕事環境にあると言えよう。昨今の現職教員の労働時間の問題視などを考えても、根本的に本気でこの国の教育をよくしたいなら、「改革」の基本理念こそを変革すべきだと痛感するのである。さてそこで、みやざきでできることは何であろうか?穏やかに時間が流れる、みやざきでできることとは・・・

鹿児島中央駅をあとにして
静かなカフェへ
桜島もこの2日は穏やかでありがとう。


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主張に育つ宮崎の美学ー宮大短歌会学祭慰労会

2017-11-22
忌憚なき主張を闘わせる
それこそが相手への理解と尊重の一歩
学祭を終えてまた大きく前進した短歌会の面々

大学祭での宮崎大学短歌会ブースでは、会誌第1号が約120部ほどの方々に配布されたと報告があった。当初はどのくらい配布できて、どれほどの新人勧誘効果があるかなど不安も大きかったが、こうした一石が次第に会の存在を知らしめ、やがては大きな波紋となって行くであろう。これも会員である学生たちが、学年を超えて協力し様々な産みの苦しみを経験しつつ踏ん張った成果である。赴任から今までの4年間は、学部の国語専攻のゼミ生としか深い関わりがなかったが、この短歌会のおかげで農学部・工学部の学生たちとも交流が深まり誠に嬉しい限りである。さらには彼らが対話や議論に対して、忌憚なき主張を闘わせる習慣を備えており、学年の上下関係や顧問である僕なども公平に「短歌」という表現の「学び」の中で向き合う姿勢があることに、ある種の驚きと深い感謝を覚えるのである。

昨夜も今月3回目の短歌会例会を開催。ある応募のために「奈良」の題詠を扱った。やや難しい題詠であったようだが、それだけに個々の歌への表現の豊かさがあらためて感じられた。応募作品ゆえに小欄での内容的言及は控えておくことにしたい。例会後は、学祭の慰労会へ。話題は多岐に及んだが、「意見の主張」を積極的にする姿勢について”主張”し合った議論がとても豊かな内容であった。自らのゼミの学生たちには、こうした姿勢を身につけられるように日常から工夫をしているが、自然と短歌会の学生たちも「主張」があるのが嬉しい。これも高校時代に「牧水短歌甲子園」やその他の文芸部での活動を通して、貪欲に「表現」を求めてきた面々であるからだろう。話題は「宮崎の将来の生きる道」などにも及び、世代を超えて「短歌」を見据えて、豊かな地方での生き方などの意見が交わされて、大変意義深い時間となった。昨今の学生に聊か物足りなさを感じていたが、一番身近な学生たちにこそ「主張」があったわけである。

「短歌」を創ることは「生きる」ことそのもの
ならば生活する風土のことにも無頓着ではいられない
荒んだ都会にはない「宮崎」が、学生たちの中にも見えたことが何とも感激なのである。


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やはりできるぞ温泉ののちー牧水『短歌作法』を倣って

2017-11-21
歌ができないとき
牧水『短歌作法』に曰く
「読書(音読)・温泉・そして酒」

学祭片付けのための休講日。朝から研究室に出向くか否かと迷ったが、外から機材撤収の音などが聞こえてくるのを懸念して、午前中は自宅で歌集など読みながら歌作に励んだ。ここのところ1階リビングの長机に座椅子という環境を、ほぼ「短歌用」に占有していて、其処に座れば歌集を読むことと歌作をするスイッチが入るように施した。これも自宅内のスペースを自由に活用できる特権である。こうした「場所」が、思考に与える影響は大きいように思われる。もちろん研究室も書籍や辞典類の揃えには長けているのだが、ここのところ事務的作業をすることが多く、短歌を作るにはズレた思考になっていることに先日気付いた。机いっぱいに歌集だけが積まれており座卓であるのも、身体性の「スイッチ」を入れるためには有効であると思う。

それにしても急にかなり寒くなった。部屋には石油ストーブの匂いが立ち込め、厚手の冬服を焦って衣装ケースから出した。肌は乾燥し始めるし、吹く風は痛く頬に刺し込む感じがする。午後になって研究室で少々仕事をしてからの夕刻、ジムに行くか迷ったが歌作の流れができていたので、再び座卓へ。だがなかなか飽和した頭では、納得した歌ができない。そこで冒頭に記した牧水『短歌作法』の一節を思い出した。「読書」でダメなら次は「風呂」、発想を変えるためにも車に乗って近所の公共温泉に向かった。いつもながら「常連」の顔馴染みとなった方々が、「源泉」(大きな浴槽より温度が低いが、含有物の濃度が高いのか疲労の回復具合が違うような気がする)で談笑している。まずは大浴槽に独りで浸かり歌のことなど、あれこれと考えていた。温もった身体はやはり新たな発想をもたらせてくれる。その後、「源泉」にも浸かって温度差を楽しみ馴染みの方々の四方山話に加わると、一気に思考が正常化したような気になった。今年は先月までの学会大会開催にあたり、運営上の苦しさの中で何度もこの温泉には助けられた。まったく違った仕事を持つ地元の方々と話すことを含めて、「温泉効果」は抜群のようだ。

風呂の中で歌ができたら「音読」して覚え込む
牧水は「慌てて風呂から上がって書き留める場合もある」と記す
風呂にぬくもり人にぬくもる、やはりこれでこそ「和(む)歌」なのであろう。


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