親子とは遠きにありて響くもの
2017-10-31
存在の原点としての父母お互い苦悩を抱えても響きあう間柄
あらためてふるさとは遠きにありて・・・
あっという間に10月が過ぎ去ろうとしている。和歌文学会大会開催のことばかりに専心しているうちに、という感覚である。だがその間にも在京の父が怪我に遭い、その症状や治療の方向性について、電話で母とやりとりを繰り返し気を揉んだ期間でもあった。本来ならすぐにでも上京したいという思いも押さえ込みながら、宮崎で「和歌・短歌」のためゆえに集中できたとも言える。ようやく2つ目の台風を横目にしつつ、怪我後の父を見舞った。怪我から1ヶ月ほど経過したこともあったが、思いのほかに元気そうで安心した。近所にある昔から馴染みの鰻屋まで歩いて行って父母と3人で食事をした。カルシウムを含めた栄養素抜群の鰻は、格好の食事となった。もちろん父も完食、こうして向かい合って接してみると、やや無口な父ながら息子への思いが伝わってくるようで、とても良い時間であった。
母もまたこの1ヶ月は闘いであった。父の病院への付き添いを始め、治療方針についても様々に考えを巡らし、家での安静な生活にも気を遣い続けた。また会社の請け負った進行中の仕事もあり、その差配にもテキパキと動き続けた。忙しいながらも宮崎からの電話を繰り返すことを絶やさずに、語り合うことでお互いの苦しさを紛らわして来たように回想できる。それを実感として会って生のことばで聞いてみると、僕が想像していた以上に父も苦しみ、母も苦しんだことが肌身に沁みて伝わって来た。宮崎での和歌文学会開催にあたり、この重責の苦しさは自分しかわからないと思っていたが、性質は違えど父母もそれぞれの苦しさを乗り越えようと必死だったことがわかった。ふと、親子とはこんなものなのかもしれないと思った。個々の歩む道で苦しさがあっても、無償の愛情で繋がり支え合うようなことばにし難い感覚。お互いがこのような気持ちを、ようやく発見したような帰郷であった。
思い遣るとは自らの苦闘を超えること
そこに何の見返りも期待せずただただ自らが進むこと
親子とは・・・・・・・そして楽しく語るもの
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われとわが悩める魂の黒髪を
2017-10-30
研究発表という行為の在り処
自問自答しそして多くの研究者の前で披瀝する
質疑応答の対話とまた独酌の対話まで
静岡大学で開催されている中古文学会2日目、8本の研究発表が行われた。依然として台風22号が太平洋に沿って東進するなか、国立大学の広いキャンパスではバス停から当該学部棟まで歩くにも濡れに濡れて難儀である。だが其処には、この日のために準備に準備を繰り返された研究発表が待っている。自らが発表する立場となれば、雨に濡れることなどたいした問題ではない。毎度、発表を聞いていて思うのは、その人らしい視点ある研究であるかという点だ。ある先行研究AとBがあってどちからに傾倒してしまうのではなく、相反するものであっても一つに融合して相矛盾なく擦り合わせれば、新たな視点を生み出すことができる。やや違った角度から述べるならば、まったくの「独創」などはあり得ないはずで、自分の視点とは他者との関係性の上でしか決して理解できないものなのだと痛感する。師が示す見解に漬かるのではなく、自分でやろうという意志と野望の体現が研究発表ではないかと思うのである。
自問自答するのものまた研究であるには違いなく、また前述したような対話関係の上に立つのも研究である。そのように何事も一方に決めつけないことにこそ、知的さと理性が介在する。その研究を「酒」に例えるのは聊か不謹慎の誹りを逃れないかもしれないが、牧水という歌人が「自己即歌」と考えて、旅や酒に身を浸しながら多くの秀歌を詠んだことを考えると、つい類似点を見出してしまう。独酌してしみじみと自己の内部と対話するごとき飲み方、また一方で同朋と酌み交わしつつ語らいながら飲む楽しい酒。この両者がともに人生を豊かにする糧になると考えるのが、豊かな酒の飲み方であろう。牧水は大酒を飲んだことばかりが取り沙汰されるが、決して酔って乱れたり暴れたりということのない、豊かな酒であったと云う。このように考えるとまた、伊藤一彦先生と堺雅人さんの対談本の中に、「楽しい酒は残らない」という伊藤先生の名言があって堺さんが賞賛していることが思い起こされた。
「われとわが悩める魂(たま)の黒髪を撫づるがごとく酒を飲むなり」(牧水『秋風の歌』)
「魂」に「黒髪」がありそれを「撫づる」という比喩の面白さ
研究発表の質疑がときに「続きは懇親会で」というのはこうした意味があるのかも・・・
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平安時代文学・文化における「音声」と「書記」
2017-10-29
中古文学会秋季大会シンポジウム「聞かれる物語と書かれた物語」
「声なるものの諸相」「正本(証本)」の問題などなど
今週は中古文学会が開催される静岡大学へ来た。変わらず台風22号の進路を窺いつつ、自宅のある宮崎の降雨状況なども気にしながらの参加となった。開催校としての和歌文学会のち1週間の学会であったため参加するか否か大変迷ったが、冒頭に記したシンポジウムはどうしても聴きたいと思ったので参加を決断した。学校での「音読」活動への疑問から、国語教育上の「声」の問題を考えて15年ほどになろうか。最近は牧水を中心とする近現代短歌における「声」と「創作性」「朗誦性」の問題にも興味がある。繰り返しての提示になるが、いまこの文章をお読みいただいているあなたは実態としての「声」は出してなくとも、心(頭)の内なる声によって、「意味」を生成しそれを理解しているはずである。「書くこと・読むこと」は表面化する「声」があるかないかの差によって、「話すこと・聴くこと」と対応しており、我々に「ことば」による思考や交流をもたらしているわけである。
シンポジウムでは「物語内で物語が語られる」こと、「書かれた物語の音声性をどこに見出すか」など物語テクスト内部の語法に見える「聞かれる」「書かれた」の問題。また藤原俊成の歌論「古来風躰抄」にある次の一節「歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にもあはれにも聞こゆる事のあるなるべし。もとより詠歌といひて、声につきて良くも悪しくも聞こゆるものなり。」などが提起された。個人的には和歌の朗詠などには大変興味があるが、その上で「声が声で目的化」してしまい「日常の声」とは違うものになってしまう、という司会である学習院大学の神田龍身先生の指摘には、あらためて考えさせられた。「意味」を置き去りにした「声」の存在は、朗誦・披講の場や「素読」そして近現代に至る学校の「音読」の問題に連なると考えたゆえである。要点を押さえた質問にはなりそうになかったのでシンポジウムでは発言しなかったが、懇親会の席上で神田先生とこの点についてやりとりをした。神田先生の様々な物語・日記論を今一度参照しながら、この問題は僕自身の一つのテーマとして追い続けて行くべきだと心に決めた。またシンポジム内で早稲田大学の陣野英則先生が、「自ら校訂作業をするときに、音読をすると意味が明確化する」といった発言にも、物語の「声」を考える上で大きな示唆を得た。
「声」で創られる和歌・物語
「意味を理解しようとすれば必ず声を媒介としなければ成立しない」
あらためてオングの評論なども含めて「文学と声」の問題は実に興味深い。
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飛ばぬならまろびて待てよ航空便
2017-10-28
強風により予約便の欠航搭乗口付近で「どうしてくれるんだ」と詰め寄る人々
「ただただどうしようもなくそうなっちゃった」ことへの対応
週末は静岡大学で、中古文学会が開催される。だが偶然にも、2週続けて南海より日本列島を台風が睨んでいる。予報円を眺めながらそれもまた確定ではない一情報であるということが、先週の大会開催校としての体験で身に沁みてわかった。諸々と東京での所用もあり前泊で航空機を予約していたので、まだ金曜日ゆえ影響も少ないと思いきや、空港周辺が強風のため使用する機材が宮崎ではなく鹿児島に向かったと搭乗待合所にアナウンスが流れた。しばらく待機していたが、アナウンスはさらに「欠航」の響きを多くの待合客に浴びせかけた。問題はここからの受け止め方である。僕の場合、2000年代によく米国を旅していたので、こうした状況には慣れっこである。他の乗物以上に天候に運航が左右されやすい「航空機」は「欠航の可能性がある」のが前提だと思っている。だが、多くの方々はそうでないのだという光景をまざまざと見た。
搭乗口係員に「予定があるんだ、どうしてくれるんだ」と詰め寄る中年男性。「ホテルの手配もしてくれるんだろうな」と即座に当日代替便の可能性も考えぬ短絡的な老年男性。僕はというと冷静にそんな光景を横目にして、係員へ「代替便」の可能性を問いかけた。すると羽田空港から来る最終便の機体繰りを行なっていて、欠航便の乗客を収容できる大型機が来る予定で調整中だと云う。一時はこの日のフライトを諦めて翌土曜日早朝便への変更も考えたが、その大型機の可能性に賭けてみることにした。しばらくしてその機体繰りが可能になったとアナウンスがあり、振替手続きのため人々は1階カウンターへ我先にと進む。僕もその波に乗じたが、列に並びながらスマホの航空会社アプリを起動すると、その画面上で手続きを完了することができた。だがその上で、振り替えた最終便も飛ぶ確証はないことを心得ていた。最終便までしばし、空港で有効な読書時間ができた。そういえば伊藤一彦先生と堺雅人さんの対談本『ぼく牧水 歌人にまなぶ「まろび」の美学』(角川oneテーマ21 2010)に、「意味ある偶然」という一節があるのを思い出しながら。
「自分をゼロにできる、よけいな自意識、自分へのこだわりを持つと
『一体化』はできない」(同新書より)
牧水からまなぶ自然観は様々な面で人を穏やかに生きさせる。
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落ち着く食事穏やかな水
2017-10-27
「いつもので」という旦那さんの一声疲労回復栄養素豊富にひれかつ
そしてシムのプールでしばし思考と身体の対話
しばらく椅子にも座らず、立ちながらというよりも走りながら生活をしている感がある。もちろん比喩的な表現であるが、数ヶ月間のそれはなかなか簡単には止まることのできない状態にある。むしろ止まったらそのまま立ち上がれなくなりそうな気もしないでもない。かなり以前に小欄の「トレーニング・健康」カテゴリーにおいて、「疲労はトレーニングで癒す」といった趣旨のことを書いた記憶がある。あの寝過ぎてしまった時の、何とも言えない気怠さが嫌いだ。むしろ筋肉を刺激して全身の血流をよくすることで、蓄積された疲労の要素たる老廃物は排泄されるような感覚がある。イチローさんが年齢を感じさせないプレーを今でもできるのは、「オフもトレーニングを続けている」からだといった趣旨の記事を読んだことがある。
夕食に馴染みのとんかつ屋さんに行った。旦那さんが麦茶とおしぼりを持ってテーブルに来て、僕の顔を見ると「いつもので」と一声掛けてくれ、僕も「はい」と笑顔で頷く。この呼吸感がたまらなく癒される瞬間である。「いつもの」とは「ひれかつ」のことであるが、脂身が少なく栄養素が凝縮していて疲労回復効果は抜群である。その後、1週間以上行けなかったジムへ。何人もの馴染みの会員仲間の方から「忙しいんですか?」と声を掛けられる。「何とか今週の初めで一段落ですね」と応じて、ストレッチマットで身体の隅々と対話する。いつもにない肩甲骨周辺の凝り、股関節もかなりの硬直具合である。その後は激しい筋トレなどは避けてプールへ。「初級」コースにて、限りなくゆっくりゆっくりと水中を前に進む。次第に身体が自然に動くようになって来て、様々な思考が豊かに蘇ってくる。やはり人間は、元来水の中から出でし生命なのだろう。
日中は書類書きに会議の連続
途中で都城島津邸まで往復2時間
ひれかつとプールの水にありがたき英気を貰い週末は静岡へ。
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日常から2020宮崎国民文化祭へ
2017-10-26
日常とはそして将来への希望とは研究学会開催という大仕事を終えて
横に置いていた仕事に追われる日々
この数ヶ月が、誠に「非日常」であったことを痛感する日々が続いている。そしてまた、大会開催が終わったからといって、息つく暇があるわけでもない。その「非日常」の中で横に置いてしまっていた事に、今度は追われる日々となった。あまり気が抜けないように、などとも考えてこの週末には中古文学会で静岡大学まで行く予定にもしている。どうやら2週続けて台風が列島を睨んでいるらしい。10月としては異例のことであるようで、「日常」には程遠いことを演出されたりもする。大会開催校から参加者へ立場を反転するわけだが、開催校の立場となればやり切れない気持ちで進路予報を毎日眺めているであろう。
様々な仕事を急ピッチで進めながらもまた、諸々と将来構想に希望を見出したりもする。宮崎県では2020年に、国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭が開催される。「山の幸 海の幸 いざ神話の源流へ」が大会テーマであり、宮崎が誇る「食文化」と「神話」を融合した内容で県ならではの文化を発信する機会となる。その企画会議会長が、お世話になっている伊藤一彦先生。テーマに含まれる「いざ」は、やはり牧水の歌言葉を感じさせる。これからの3年間僕もまた、短歌を始めとして県の文化興隆も視野に入れて仕事をして行くことになる。今回の学会大会にて短縮版で上演された神楽なども、あらためて県内随所に観にいきたいという思いが募った。大学内でどのように仕事に関わり、そしてまた県内に地域貢献して行くか。そんな数年間の構想を考える宵の口であった。
大会開催を経て新たなる自分になった
今あらためて足元を見据えて歩み始める
日常を積み上げながら3年後の将来へ向けて
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ありがたきはただゼミ生の信
2017-10-25
伊藤一彦先生短歌日記(ふらんす堂)「宮大の男女の学生が仕事をきびきびこなしているのが・・・」
誠にありがたきお褒めの言葉
子を見れば親がわかる、などと世間では言われる。長年、中高の教員をしてきた僕にとっては誠に深い実感がある。「子」は「親子」のみならず、たぶん「学校」では「子を見れば担任(担当)がわかる」であろうし、「会社」では「社員を見れば社長がわかる」なのであろう。当方は学会大会開催に集中していたが、「党員を見れば党首がわかる」のもまた然り。党員の信を得られない党首は戦略も誤り、党員たちが離れて独立したりもする。やや迂遠をしたが、となれば「ゼミ生を見れば指導教授がわかる」ということにもなろうか。冒頭に伊藤一彦先生の短歌日記の趣旨を一部紹介したが、誠に過分なお褒めの言葉をいただいたと思っている。そしてこの日は、伊藤先生からお電話までいただき、そこでもまた「ゼミ生」たちの仕事ぶりをお褒めいただいた。
赴任5年目、ゼミ生が有意義な学生生活を送るにはどうしたらよいか?と様々に模索してきた日々であった。「ゼミ」たるや週1回全員が集まって卒論を始めとする中間発表を繰り返すのが基盤である。まずはその場で学年を超えて忌憚なく意見を言い合える環境を創ることが重要だと考えてきた。「意見を言わないのは発表者に失礼」を合言葉に、ゼミ内をさらに2分割3分割した小グループで対話の練習をする。そこで得られた積極性は、そのまま採用試験の面接や集団討論に活かされる。さらには、僕自身が関わる様々な行事に参加してもらうことである。学内のみに留まらず、地域社会の様々な方々と交流する機会を積極的に設ける。大学近隣の小学校2校へは週1回朝の読み聞かせに足繁く通う学生たちがいる。市内で開催される歌会に参加する学生もいる。また県立芸術劇場との連携事業では、出演や裏方を存分にこなしてくれた学生たちがいた。そんな「現場」で培われた人間性が、この度の和歌文学会大会の運営委員として発揮されたように思う。同窓の先輩からは「懇親会の司会を学部生がやるのは前代未聞」などとも、また研究者仲間からは「私も宮大に赴任したい」と言う人も。2次会も含めてこれほど学会の先生方と親密に接した学部生は、僕も今まであまり見たことはない。
学会荷物の残りを再び研究室へ
そしてこの日のゼミは、この運営についての対話
教員志望のゼミ生たちは将来、学校行事で子どもたちから深く信頼される教師になると確信した。
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和歌文学会第63回大会実地踏査へ
2017-10-24
宮崎県内文学散歩地方学会ならではの企画
ひむかなる台風一過の空のあを・・・
大会3日目は、いわゆるオプショナルツアーの企画、県内文学散歩を計画してきた。一昨年の岡山大学での開催時の資料で見ると20名ほどの参加者。今回はどれほどの先生方が参加してくれるのだろうかと思いつつ思案してきた。昨今、文科省からのお達しもあって、半期15回の講義回数を遵守しなければならず講義を休講にできなくなった。そのせいもあろうか、大会申込葉書の「実地踏査」欄に丸がついた返信は予想より大幅に少なかった。当初は中型バスぐらいはチャーターする見積を地元旅行社に出してもらっていたが、次第に小型からマイクロ、いや観光タクシー?などと計画を縮小することを考えねばならなくなってきた。最終的に参加人数は僕自身を入れて7名、手伝い学生2名とともに計9名の文学散歩となった。だが利用したのは小型バス、やはり乗り心地と安心感が全く違うと思ったからである。
いざ快晴の青空のもと、大会会場の市民プラザを出発。バスは東九州自動車道を利用し一路日向市へ。本来なら月曜休館である若山牧水記念文学館を、館長の伊藤一彦先生のお計らいもあり特別に和歌文学会のために開館していただいた。先月の牧水祭でお世話になった事務局長や職員さんが、歓迎の笑顔でお出迎えをしてくれた。まずは牧水生家へ、こちらも特別に通常は立ち入り禁止である部屋の中に2階を含めて上げていただいた。牧水が産まれたという縁側、床の間にある「白鳥は・・・」の掛軸、陽光差し込む2階では坪谷川のせせらぎの音が、感性に忍び込んでくる。その後は記念文学館へ、企画展「牧水と月」では古典和歌では常套の「類題」の意識で牧水の「月」の歌が読めた。さらには常設展で牧水の揮毫した歌などをご覧いただいたが、「かんがえてのみはじめたる・・・」の色紙は「がんがんと・・・」と読めるなどという冗談も交えつつ、牧水の歌を和歌研究・書誌研究の立場から観る方々の発見にも面白みが感じられた。
昼食はこれも特別に貸切営業をしてくれた「牧水庵」で「牧水そば定食」を。田舎蕎麦と炊き込みご飯にみなさん大満足であった。その後は今回の懇親会に協賛いただいた「あくがれ蒸留所」を、当初の計画にはなかったが訪問することになった。今回一般公開用に作成した公開講演ジンポジウムのチラシデザインが誠によかったと、それを利用した看板表示を依頼作製し蒸留所の玄関前にはそれがたなびいていた。杜氏さんの案内で焼酎を作る工程を一通り見学、豊かな米の香りと大きな「唐芋」が置いてあるのが印象的であった。何本か焼酎を配送購入する先生方もいて、小瓶のお土産までいただき誠に心温まる歓待に感謝であった。再び東九州道を利用して宮崎市内へ。清武インターを下りて宮崎学園都市・大学キャンパスを車窓からご覧いただきながら、神話の舞台である青島へ。台風の後の海風はやや強かったものの、実に爽やかに気分にさせる光景を楽しみながら神社参詣。檳榔樹に取り囲まれて元宮までご参拝いただき、引き返すと門の石段に小さな蛇が。これは縁起がいい、とこの宮崎の邂逅を参加した全ての先生が楽しんでくれたように感じられた。青島から宮崎ブーゲンビリア空港へバスは向かい、そこで計画通り16時30分過ぎに解散し、和歌文学会第63回大会は幕を閉じた。
この日は台風の悪戯で関東地方では休講の大学も
延泊後に個人で県内の文化遺産を楽しんだ方々もあると聞いた
かくして2年間の計画を実行し終え、満足な気分で夜は独り温泉を楽しんだ。
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和歌文学会第63回大会研究発表会
2017-10-23
8本の研究発表会活発な質疑応答
嵐を呼ぶもうたを語れり
和歌文学会第63回大会2日目。台風21号によって来宮を急遽断念せざるを得ない先生方もあったが、昨日から大会に参加しこの日は航空機が全便欠航となったために、早々に延泊を決めて研究発表に御参加いただいた先生方も多かった。また東京から陸路を新幹線で博多を経由し新八代、そして高速バスと乗り継いで、この日の午後になりながらも参加いただいた先生もいて、開催校としてはこうした気持ちが心より嬉しかった。研究発表後の総会では、事務局が用意した資料が不足するほどで、予想を上回る先生方がいらしたのには驚いたほど。自然には抗えず安全第一は勿論であるが、開催校のみならずこの日のために研究発表の準備に準備を重ねて来た8名の先生方のためにも、滞りなく予定通りの時程が消化できたことは大きな喜びであった。
開催校を担当してみてまた考えたのは、研究発表1本の重みである。準備段階でまずは何人がエントリーするか?遠方の宮崎であるから少ないのではないか?などと当初は不安もあったが、いざ蓋を開ければ8本を遥かに超える申込があった。選ばれた8本の発表者の発表要旨を事務局が纏めて、7月末までには手元に送られて来た。それを印刷所に発注し要旨集を作成、同時に大会案内とプログラム・専用封筒を印刷するために事務局とやりとりをしながら校正を進めたあの8月の暑い日々。9月に入るとすぐに全会員に発送する作業に取り掛かったが、総計755部の封筒詰めはゼミ生たちが丁寧に間違いなくこなしてくれたが、その作業は予想以上に困難なものであった。そして9月中旬以降、大会参加申込葉書と費用振込通知が届き始める。参加人数はどうだろうか?という思いを抱きながら、学部事務所に特別に用意してもらったトレイの中を日々覗き見るのが日課となった日々であった。かくしてこの日の研究発表に多くの会員の方々が参加するお膳立てができたわけである。その1本1本を、自らが発表する気持ちとなって展開できたのは誠に勉強にもなった。今後は、自分が研究発表をしたり学会に参加する場合、常に開催校の立場になって考えようと切に思う。そしてもちろん、また研究発表が自らもしたいという野望が起動したのである。
先輩の発案で臨時の懇親会を予約
20人近い先生方が集まり楽しい宴となった
和歌文学会がまた僕自身を大きく育ててくれたと噛みしめる宮崎の夜であった。
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公開講演シンポジウム「古典和歌と近現代短歌ー研究と実作」
2017-10-22
「うたをよむとは?」「よむ」は「読む」であり「詠む」でもある
やまとうた1300年の歴史という時に・・・
構想2年、パネリストを個々に依頼しテーマをどのように設定するか?宮崎でしかできない学会シンポジウムにするにはどうしたらよいか?様々なことを考えに考えて来た。これはパネリストを決めてからテーマを決めるというような段階的なことではなく、その顔ぶれから生まれる対話的な創造をいかに意識して組んでいくかといった作業でもあった。いわば一定の線の「見えている」「想定できる」結論を導き出すのではなく、まさにこの対話性そのものが創作的な意味合いを持つものかもしれない、などと考え始めていた。実に大きく捉えどころのないテーマ、司会を依頼した先輩たる先生にも、その焦点化しづらい内容において何度も何度も問い返されることもあった。だがしかし、シンポジウムを実際に展開してみて、この設定は間違いでなかったと、舞台袖で総合司会をしながら頷くことの連続であった。
「我々が万葉集の歌を読む時、新古今集も読んでいる頭で読んでいる」といった趣旨の内藤明さんのご発言には、あらためて誠に深い問題意識が芽生えた。それは伊藤一彦さんの基調講演でのご指摘「牧水の歌には万葉集の影響があると簡単に指摘されてきたが、実は香川景樹から学んだ平明な表現と韻律の影響が大きいと考えるべきではないか」という点に通ずるものである。シンポジウムでは牧水の「白鳥は哀しからずや・・・」の歌に関して、その読み方が様々な角度から捉えられた。歌が詠まれる上での「事実と真実」について、『文學界』連載の「牧水の恋」でその深さを精緻に読み解いている俵万智さんの指摘にも、歌の創作主体がどのような作用によって作品を生み出していくかを具体的に示してもらうような展開であった。小島なおさんは幼少の時、お祖母様から「銀も金も玉も何せむに・・・」の山上憶良の歌を刷り込まれるように聞かされたことで、その「銀(しろがね)」という語彙を活かした歌を創作したと云う。そして永吉寛行さんからは、小中高を通して歌を創作的に扱う実践や試みが紹介され、学校の授業が歌を解体して扱っている過誤から、むしろ歌の本質が見えてくるようにも思えた。総じて歌はまさに日本語における欠くべからざるコミュニケーションツールであって、それゆえに関わる人々を繋ぐという見解に、和歌研究者として実作者として、身の引き締まる思いがした。
まだまだほんの一部しか書き記し得ないが
この内容はいずれ学会誌『和歌文学研究』に掲載される。
やまたうた1300年の対話「一本の史の(不)可能性」の上で・・・・・
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