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「心の花9月号 今月の15首」ー「楽しい」選評に感謝

2017-09-09
「白玉のフロントガラスに尾を曳きて濡れるも果てぬ恋もするかな」
(『心の花』9月号「今月の15首 佐佐木幸綱選)
初めて選んでいただきました。

昨日の小欄で9月は「実り」の「好機」が訪れるだろう、などと記したところ本当に心から嬉しいことが起こった。所属する短歌結社「心の花」会誌(9月号)冒頭に載る「今月の15首」に初めて選ばれたのである。これはまったく予期しないことであったが、今にして思えばその兆候はあったのかもしれない。実はこの歌稿を提出した6月は、諸々の仕事が重なり精神的に大変苦しい時期であった。当の作歌の方も誠に惨憺たる状況だと自覚していた頃で、今までで歌稿提出に一番苦しんだ月だったように思う。梅雨時でジムから帰りの車に乗り込んで、しばし駐車場で放心状態になっていると、どこからともなくこの歌が「降りて来た」感覚があった。こうした意味で「恋」は、自分の中の一つの「主題」なのかもしれない。そしてまた古典和歌を長年研究して来た身として、その継承という点も作歌の上で大きな課題にしたいという気持ちが、無意識に働いたのかもしれない。いずれにしてもこの歌は、自分の中でも不思議な1首であったことは間違いない。

佐佐木幸綱先生は選評に「オリジナルな、長い序詞が楽しい。」と書いてくださった。初句から「濡れるも」までが「果てぬ恋もするかな」を導き出す序詞というご指摘。自分でも聊か「序詞」は意識していたものの、ここまで徹して読んでくださり、何より「楽しい」と書いてくださったことがあまりにも嬉しい。選評の最後に「読者は遊び心を楽しみたい。」とあるのも同様で、読み方によってかなり「遊び心」をくすぐる多様な解釈を生む歌であると思っている。また幸綱先生の評とともに嬉しいのは、結句「恋もするかな」の歌が選ばれたことである。これは学部時代の和歌研究の恩師・上野理先生執筆で、今もなお和歌研究史に刻まれている名論文「平安朝和歌史における晴と褻」(ご著書『後拾遺集前後』風間書房刊・所収)においてその指摘の起点としている恋歌の類型的表現なのである。結句「恋もするかな」として、そこまでの表現を「オリジナル」にすれば、実に多様な(褻の)恋歌を読むことができるというもの。『古今集』恋の部立の巻頭歌が、やはりこの類型歌であることは有名である。自分の作歌活動において、今は亡き恩師にもご助力いただいたような気持ちとなって、思わず涙腺が緩んでしまった。

悪戦苦闘の末に変化が起こる
伊藤一彦先生のお言葉に励まされたあの頃
歌を創り続けて来て本当によかったと思える秋の日であった。

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