メディアの学習活用と辞書
2017-09-01
スマホ1台で有効な教材開発物語の構造理解・批判的思考・CM表現
そしてメディアとしての辞書について
集中講義2日目。午前中は、受講者による身近なメディアを有効活用した教材開発と授業提案。初日に醸成した様々な問題意識に基づき、動画・写真・新聞・Web記事などを利用してユニークかつ有効な教材が提案された。ほとんどの学生がスマホを利用し、短時間な中で実に見事な教材を提案した。既に教員が現場でタブレットなどを利用する実践は見掛けるが、スマホとなると「学校」での使用そのものが生徒・児童の手前から「不可」となっている場合も多いのだが、これは既に使わない手はないと思うほど、学生たちの発想は豊かであった。またPCを使用せずともスマホをアダプターで接続するだけで、即座にプロジェクター投影も容易で起動等のタイムロスもなく次々と利用できるのがよい。もちろんWeb接続環境もいちいち「学校」のWiFiに依存することなく、スマホ単体でそれなりの容量が確保されているのも心強い。これは既にリテラシー教育の必要性も含めて、「学校」では教員のみならず学習者がスマホを利用して発表や知識の確認をする「学習」をすべきではないかと考えさせられた。使用を「禁止」する旧態依然の環境こそが、むしろスマホを宝の持ち腐れにし、子どもたちの不健全な使用のみに貶めているのかもしれない。
午後は先輩である元小学館辞書編集長である神永曉さんに外部招聘講師としてお出でいただき、「メディアとしての辞書」という演目で御講演をいただいた。辞書編集の実態や用例収集の裏話、そして紙媒体の辞書とデジタルコンテンツの長所短所など、これだけの内容を少人数で聞けた学生たちは実に幸せであったであろう。神永さんは「辞書引き学習」の普及のために全国行脚もなさっているが、デジタル検索一辺倒に依存して育った子どもたちは、大学生になって「五十音図が書けない」などという実情が散見されるのだという。もとより五十音図は、小学校1年生でそれほど緻密に習うものではない。だが物理的に紙媒体の辞書を引く動作を繰り返すことで、身体的に順序を獲得できるものだと云うのだ。みなさんも自らの体験を思い返せばすぐに理解できることだろう。紙の辞書のページを繰り、当該項目を発見したときの小さな喜びの繰り返しこそが、学習の扉を開く行為なのだと、あらためて考えさせられた。本務校の大学生たちは五十音図は大丈夫であろうか。
御講演後は学生たちと対話の時間
様々な方向からの質問をやりとりできた
学習とメディア活用について前向きに様々な視点を持つべきであろう。
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