九州の歌人たちーよい歌とは
2017-07-28
「いのち生くるこの地の上の対等の生物なれば昆虫(むし)をしいたぐ」(築地正子)「水のへに至り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子」(竹山広)
「東京に捨てて来にけるわが傘は捨て続けをらむ大東京を」(伊藤一彦)
九州附属学校連合会「国語部会」にて、「心の花」で親交のある宮崎在住の歌人・大口玲子(おおぐち りょうこ)さんをお迎えして、「九州の歌人たち」と題して御講演をいただき、その後、「よい歌とは」というテーマで僕との対談が実施された。かねてから本学附属学校の先生方より、「短歌」に関連する企画をとの要望を実現することができた。まずは、大口さんによる「九州の歌人たち」の御講演。小欄冒頭に三首の歌を引用したが、この三名の歌人について実にわかりやすい「読み」を提供していただき、僕自身もあらためて三者の歌の「凄さ」を学ぶことができた。熊本の築地(ついじ)さんの歌には「対等の生物なれば」の表現に緊張感があり、農産業をしている築地さんが、昆虫を「殺す」のを「しいたぐ」と表現することの凄みが感じられた。二首目の竹山さんは長崎で被爆体験のある歌人。この歌は長崎市内で歌碑にもなっているというが、あらためて読み直して、その凄まじい表現に涙腺が緩まずにはいられなかった。ぜひみなさんも、この歌の「普遍性」を読んでほしい。竹山さんは東日本大震災を見ずに他界されたが、既にこの歌で様々な災害の場面で起こり得る悲劇を予見したようなリアリティが感じられるのである。
三首目は現在宮崎で僕も親交の深い伊藤一彦さんの歌。宮崎で生まれ育ち、大学で東京に出るが高校教員として再び宮崎に帰り、今に至るまで歌を作り続けている。伊藤さんの歌には「東京」に対する奥深い意識が読めて、僕自身も宮崎に移住したからこそ「少しわかる」歌であるように思う。「傘」という雨から身を護る大切な道具でありながら、雨が止んでしまえば捨てられてしまうような存在。その「わが傘」が「大東京」を「捨て続けをらむ」と云うのである。僕自身にとっては故郷である「東京」に、捨てた僕の「傘」は、「鞄」は、「靴」は、今も何を「捨て続けをらむ」なのだろうか。後半は対談「よい歌とは」、なかなか難しいテーマであるが、小中学校の先生方は、こうした「助言」や「評価」観点を欲している。大口さんが角川『短歌』本年新年号に載せた佐佐木信綱の「春ここに生るる朝の日をうけて山河草木みな光あり」の歌を起点にスタート。「すべてを良きものとして歌えるような世の中」を願うという大口さんの願い。往々にして国語の授業では「作者の意図」などを問うが、その「答え」となっているような点を、歌人(作者)は微塵も考えていないことが多いこと。「ことば」そのものの「魅力」から読むこととともに、近現代短歌の場合は歌人の背景を考えざるを得ないことなどを話題として約30分間の対談となった。なかなか「まとめ」というわけにはいかなかったが、まずは先生方自身が作ってみることが肝要ということ。最後の謝辞で、本学附属小学校教頭先生が、歌を一首即詠したことは、まずこの講演・対談の成果であり嬉しい思いで対談を終えた。
歌を語り歌をよむこと
「国語」の中で軽視されがちな短詩系
歌の「凄さ」「美しさ」「怖さ」「喜び」あらゆる「生きる」を受け止めるために。
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