高校漢文学習と教科横断のことなど
2017-07-13
「国語」で漢文を学習する意味そして言語系科目の教科横断を考える
これからの時代に求められる学力として
ある高校の校内授業研究に、本学部から数名の大学教員が参加した。高校1年生「国語総合」の「漢文」の公開授業から参観。入門期にあたり「寓話」の教材をどのように扱うのか大変興味深かった。比較的多くの教科書に掲載されている「漁夫の利」の教材で、その「譬え話」にどのような効果とか意味があるかを考える授業構想となっており、多くの点で共感できる内容であらためて漢文教育の重要性を考えさせられて大変勉強になった。まずはプリントに記された白文を、生徒たちは文構造としての「述語」を探し出すように読み解いていく。自ずと主語やそのうちなる固有名詞が明らかになっていく。入門期というのは、往々にして訓点の扱い方を記号的に学ばせる方法が採られがちだが、無機質な四角の中に訓点に従って番号を記していく学習などは、むしろ様々な錯綜を招き起こし、有効な学習とは思えない。こうして内容ある本文(白文)に対峙して読み解く過程を経験してこそ、訓読がいかに意味ある直訳法であるかが体験的に理解できると考えたい。
事後研究会では、語彙的な理解が必要になった際の「二字熟語」に変換した学習を進めることを提案した。「強秦」(強い秦という国名)の理解であったら「強敵」という現代日本語を考えて、上の漢字が下の漢字を修飾しているという漢語構造を考えさせる。「幣大衆」(大衆を疲れさせす)であれば、「幣」の単語家族として「疲弊」の「弊」の字があることを考えさせる。こうした習慣をつけておくと、日本語への理解力と表現力がつき、まさに「国語」で「漢文」を学ぶ意味が具体的に浮上する。もちろん大学入試対策にも誠に有効な方法である。自らが高校現職教員だった頃より、こうした漢文教育方法の提言をどこかでしたいと考えていたので、誠に意義ある機会をいただいた。その後、英語の授業も参観。「国語」で学んだ「論理的文章展開」を意識しながら、自らの興味ある「音楽」について英文を書き、最後にはそれを会話として表現するという内容であった。個人的な見解であるが、この「国語」でいうところの「論理的」という観点が、非常に曖昧であるようにも思われる。長い日本語の歴史も鑑みるに、口語性が高く時系列的に物事を記していくという特徴があり、それがまさに奈良平安朝以後は「漢文」の、明治維新以後の「西洋文化(言語)」に依存して「論理性」を築き上げてきたことを認識しておく必要性を感じた。
生の現場の授業改善に関わることの意味
「入試」学力に偏重した高校教育を変えるべく
教科横断の鍵は「自分のことばを持つこと」ではないかという気づきを得た。
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