悩ましい文法学習を考える
2017-07-11
中学校での口語文法高校での古典文法
形骸化した学習から抜け出すために
国語教師であれば、文法学習について日頃から苦心することも多いであろう。反対にむしろ定式的に消化すべき内容として、”得意”としている方もいるかもしれない。僕自身が高校生の時、この後者のタイプの教師の授業を受けたが、それは”得意”というより”独り舞台”であり、文法副教材に載っているようなことを、ほぼ独りで板書して話し切っていた。その視線は僕ら生徒に向けられることなく宙を泳ぎ、ただただ時間だけが過ぎ去っていった。もちろん僕は自分自身で好きな本を読んでいたので退屈しなかったが、心の隅で「国語教師とは?国語授業とは?」という疑問が浮上し、今の仕事に至る一因となっているような気もする。いつの時代でも、「授業」とは「教師の説明」にあらずなのである。
県内のある中学校を授業研究で訪れ、小規模校少人数学級の「口語文法」の授業を参観した。個々の生徒たちが、いかなる課題意識を持って口語文法の学習に取り組むのか、またどのような対話を醸成し無味乾燥な文法学習を活性化させるのか興味深かった。僕自身の教員経験からしても、中学校の口語文法の学習は目標や到達度が見えづらく、また生徒たちの学習意欲を上げるのも難しい。幼少の頃からの「言語感覚」で心得ていることを、いかに理論的に理解・定着させるのか?文法上の説明ができないと生活上何に支障が出るのか?など、授業づくりの根本で悩ましいことも多い。参観して学んだことは、やはり「場面・人物・状況」を具体化して、それを会話にするなどロールプレイの手法を用いたりする方法が考えられる。この発想からすると、短歌を学んでいることがとても有効なのだという考えに至った。一つの「助詞」で、その歌の出来栄えを大きく左右する。そして「場面」があって「人物」の心も見えてくる。種々の短歌用例を挙げて学ぶ「短歌文法学習法」などを開発してみるのも面白いかもしれない。
「言語感覚」を「知識」とするために
そしてまた「知識」は表面的な用語にあらず
日本語教育の視点とも交流し、豊かな発想で生きた文法学習を求めたい。
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